沖縄に生まれ育ったぼくが、経験していない「戦争」を書いた理由…『月ぬ走いや、馬ぬ走い』に寄せて

写真拡大

今年の群像新人文学賞を受賞した、21歳の現役大学生・豊永浩平さんの『月ぬ走いや、馬ぬ走い』(ちちぬはいや、うんまぬはい)が大きな話題を集めています。

本作では戦争末期から現代にいたる沖縄を舞台に、時代も年代も異なる全14人のモノローグを組み合わせて、時空を超えた壮大な物語が展開されていきます。戦争中の日本兵から戦後の学生運動家、現代のヤンキー中高生や小学生まで、現在と過去を行きかいながら次々と変化するダイナミックな「語り」が特長です。

豊永さんは、本書は自分の「人生を変えた一冊」だと言います。本書の執筆・出版を通して見えてきた「二つの沖縄」、そして自分では経験していない「戦争」を書いた理由とは?著者自身による特別エッセイをお届けします。

(ホテル アンテルーム 那覇「MEET MEET BOOKS 彼らを変えた一冊」展〔2024年10月1日〜15日〕より転載)

人生を変えた一冊と「二つの沖縄」

「人生を変えた一冊」、となると多くの場合、その本を読者として読むことによって何かしらの転機やあたらしい考えが生まれた、というのが一般的だとおもいます。ですが、ぼくはあえてここで書き手として書き、それによってじぶんの何かが変わった一冊について紹介してみたいのです。なぜか。それはぼくのなかで読むことと書くことがひとつながりになっているからです。なので、自薦というかたちになってしまうのですが、この場で拙作『月ぬ走いや、馬ぬ走い』について紹介させていただきます。

ぼくの敬愛する作家が、自伝ともとれる小説のなかでこのように書いています。「さっぱりわからない。/教科書の記述とはほどとおいところでおれの先祖は生きてきただろうし、いま現在、おれはそれらの記述のおよばないところで生きている。」……さすがにじぶんが教科書とはまったく関係がない、とまではぼくには断言できないのですが、この主人公の独白に大きく共感する部分があったのもたしかな事実でした。沖縄で生まれ、育ちましたが、中高の教科書をみてもそこに書かれているのは『おもろそうし』ではなくて『万葉集』ですし、歴史についても、扱われるのは三山時代ではなく南北朝の合戦です。それにくわえてさきの沖縄戦の話者が減っていく現状などもあり、作家としてやっていくためにどこかでぶち当たるだろうとおもっていた故郷の歴史が消えていってしまっている、そして、自身までつながれているはずの先祖たちがたどった足跡がどんどんおぼろげになりつつある…… そのような危機感のもとで、ぼくは『月ぬ走いや、馬ぬ走い』を書きはじめたのでした。ですから、この小説では一九四五年前後から現在まで約八〇年のスパンで沖縄の歴史が扱われています。オジーとオバーから、彼らの孫まで、戦争や米軍統治下に、学生運動からゴーパチ沿いを走るヤンキーまで、それぞれの登場人物がリンクして、ある物語をかたち作る、というのが作品のコンセプトになっています。

二つの沖縄がある、とおもいます。

それは、ぼくが生まれ育った沖縄、そして外から見られた沖縄です。いままで県外へ行くことは片手で数えられるほどしかなかったのですが、この作品で賞をもらって、ぼくの生活は一変しました。仕事をつうじて本州のさまざまな場所に旅するなかで、この二つの沖縄のイメージの輪郭がよりくっきりと際立ち、重なりつつあるのを感じています。じぶんが経験していない歴史を書く。そのためにひつようなのが、ほかの方が書いたものを読む、という作業でした。体験記などの資料やじぶんが影響を受けた作品もふくめて読みなおすなかで、ぼくは、作中で登場人物の語りのそれぞれをリスペクトする作家の文体を真似て書いてみる、という手法を実行しています。それはじぶんの読書史プラス沖縄の近現代史を総ざらいする試みでした。この試みと二つの沖縄が、作中でどのように照応しているのか。興味がおありの方は、ぜひご一読下さい。

※引用文の出典は、中上健次『十九歳の地図』110p 二〇一五年七月 河出書房新社です。

⇒もっと読む【群像新人文学賞受賞!21歳の現役大学生が戦争から現代へ、圧巻の「語り」で紡ぐ壮大な沖縄現代史】では、『月ぬ走いや、馬ぬ走い』の冒頭部分を読めます。

豊永浩平(とよなが・こうへうい)

2003年沖縄県那覇市生まれ。琉球大学人文社会学部に在学中。2024年、『月ぬ走いや、馬ぬ走い』で第67回群像新人文学賞を受賞。

21歳現役大学生、衝撃のデビュー作!豊永浩平『月ぬ走いや、馬ぬ走い』の歴史と現在を接続する「声」