「これからどうやって生計を立てていこう…」元TBSアナウンサーの画家・伊東楓がドイツで直面した「残酷な現実」

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「あの頃は毎日がつらすぎて、絵を描く活動は3年で辞めようと思っていました」

元TBSアナウンサーで画家の伊東楓(30歳)は、TBSを退社後、現在の拠点であるドイツに渡った3年前の日々をそう振り返る。

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「元TBSアナウンサー」の肩書きが通用せず…

「日本にいた時は、『元TBSアナウンサー』の肩書きもあり、順調にアーティスト活動ができていたから、希望に満ち溢れた形でドイツに行ったんです。でも、やっぱり理想と現実は違いました。ドイツでは、『TBSって何?』『そもそもアナウンサーとは?』という感じで、元TBSアナウンサーの伊東楓という人間は見向きもされませんでした」

2021年2月にTBSを退社した翌月には、処女作となる絵詩集『唯一の月』(光文社)を刊行。絵画の個展を開催するだけでなく、著名なファッションブランドとのコラボを果たすなど、アーティストとして順調すぎるスタートを切った。

同年10月、満を持してドイツに渡った伊東。しかし、日本での順風満帆な「画家」としての日々は、本人の言う通り「元TBSアナウンサー」の肩書きが少なからず影響していたのかもしれない。

「ドイツに行き、誰も私のことを知らないという当たり前の現実に直面しました。そして、この国で、この環境で、『これからどうやって生計を立てていこう』と考え絶望したのをよく覚えています。

コネクションもなく、直感でドイツという場所を選んだので、当然ですが画家としての活動に何の見通しもありませんでした。口座を作るのに時間がかり、色々なトラブルにも見舞われてとにかく孤独でしたし、精神的に苦しくなって、両親や仲の良い方々との連絡をすべて遮断し、日々絶望と向き合っていました」

「すぐに辞めてもしんどい状況にあった」

「この苦しい時間を早く終わらせたい」

当時の心境を問われた伊東はそう振り返る。その苦しさから解放されたい一心で「3年」の期間を設定したのだ。

「一般論としては、つらくなったら逃げていいと思います。ただ、私の場合はファーストキャリアで実名と顔を出しているので、すぐに辞めてもしんどい状況にあったのは事実です」

TBSを退社後、伊東のもとにはメディアからの取材依頼が相次いだ。「画家に転身」といった華やかなキャリアチェンジは多くの人々の関心を誘っただけに、他人と比較して「挫折」へのハードルが高かったのは間違いないだろう。

「TBS時代から可愛がってくれている安住紳一郎さんが『伊東は画家としてどんなに頑張っても、アナウンサーだった事実、実名と顔は一生消えない。でも、それは悩むことではない。そういうものなのだから腹を括りなさい』と言ってくださったことがあります。

立場的に、画家を続けても辞めてもつらいのは当たり前。それならば、少しでも希望があるほうに賭けてみたい。そのため、3年で画家として全てをやり遂げようと決断しました」

直接売り込み、「お前誰?」からの大逆転で

「画家としてやり遂げる」。そう決意した後の伊東の行動力は凄まじかった。なんのコネクションもない中、ドイツのユニクロに自ら売り込みを図り、自身の絵が認められる。そして、2023年1月「UTme!×KAEDE ITO」コラボ商品が発売、大ヒットした。これが、ドイツに渡った伊東の、画家としてのファーストキャリアとなった。

「ユニクロの現地法人に足を運んだ時は、『お前誰?』という感じでした(笑)。現地のユニクロには1人だけ日本人の社員がいて、私のことは知ってくれてはいたのですが『ここではその経歴は使えませんよ』と言われていました。ただ、結果的には私の絵が認められて、コラボ商品が生まれた。これが画家としてのキャリアの大きな一歩であったのは間違いありません」

ドイツでの活動を開始して1年3ヵ月。世間的にみると、画家としての出世スピードは順調だったと言えるだろう。だが、本人は葛藤の中、異国の地で戦っていたのだ。

そんな伊東は、今年の10月、当初の「引退期限」でもある画家としてのキャリア3年を迎える。

(撮影/鈴木大喜)

続く記事『「人気女子アナから画家へ」伊東楓が「会社員時代の貯金が半分以下」になってもTBSを辞めたことを後悔していない《納得の理由》』では、「TBSを辞めた後悔はなかった」と語る伊東の強さの源、そして、ドイツで暮らした3年間の中で起きた心情の変化について紹介する。

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