「完璧な医療体制」「食事は有名シェフが監修」のはずが…夫を高級老人ホームに入れた妻が「大後悔した」意外なワケ

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さっさとクビにして欲しかったが…

深夜一時、先輩医師に頼み込まれ、平野医師は病院を追い出された患者の訪問診療をすることになった。

厄介なのが長女で、異常が見当たらない父親(89歳)をごり押しで入院させたあげく、担当医に「私の父を何だと思っているの? 東大出身の医師にしろ」とごねて、結局追い出されたという。

前編記事『看取り医が驚愕…「あなたの出身大学はどちら?」入院患者の“モンクレ長女”が深夜に放った「衝撃的な一言」』より続きます。

「先生は、どちらの大学のご出身かしら?」

うんざりする質問に、うんざりした顔で遠くを指さした。薄らぼんやりと母校の光がみえる。さっさとクビにして貰おうと思っていたが、長女は「あら、そうなの。ふーん…」と言いながら、私の顔から履いている靴まで値踏みするような視線をおくり、奥に引っ込んでいった。

代わりに来たのが、患者の妻らしき高齢の女性である。とても申し訳なさそうな顔をしていた。

「夜分、お手間をかけまして申し訳ございません。主人をよろしくお願いします」

娘とは対照的に感じのいい御婦人だ。無下にはできない。私は帰ってしまうタイミングを見失った。部屋にあがりこみ、御主人の診察を開始する。先輩医師の言う通り、90歳近くになるご主人に気になる疾患は見つからなかった。

ただ認知症が進行しているように感じる。妻は7つ下の82歳。普段から腰痛と闘いながら夫の看病をしているという。これまでの「お薬手帳」を確認したら、認知症の薬が処方されていた。定期的に服用しているのはこの1種類のみ。長女が診察に割って入ってきた。

「それは茨城にはろくな施設がないから、虎ノ門まで行って診て貰ったのよ」

長女は、駐車場にある高級外車に父親を乗せて都内まで通院していたことを自慢しはじめた。東大出身者の主治医を指名でもしたのだろうか。近所の神経内科や精神科に行けば簡単に手に入る薬を、長女の運転とはいえ、往復4時間以上かけてもらいに行かされた老夫婦に同情した。

「娘を甘やかしすぎた」

2週間に一度、会長宅への往診が始まった。立ち会ってくれたのは患者の妻で、話してみると苦労人で常識人だということがわかった。

長女は都内で暮らしており、普段はいないという。それを聞いて思わず私がほっとすると、その一瞬の表情を見逃さず、「娘は、少し甘やかしすぎた」と悔やんでみせた。

「この前もエコの時代だからと電気自動車を私たちにねだってきたのよ。娘といっても還暦も近い年なんだから、自分の小遣いで買えばいいのに、未だにおねだりをしてくる」

小噺のように仕立てて、笑いながら話してくれた。

壁に飾られた夫婦の写真は作業服姿のものも多く、工員たちと一緒に写っているものも多かった。2人でトタン屋根の作業場から仕事をはじめ、従業員を雇い、少しずつ会社の規模を大きくしていったという。会社の成長記録は、二人三脚で歩んだ夫婦の歴史のようにも見える。

「私も工員のみなさんの賄いを作りながら、一緒に働いていたのですよ。いつだって作業服でいたから、銀行員が来ても私が社長夫人だなんて、誰も信じてくれなかった」

元社長夫人は介護ベッドで横たわる夫を見つめながら、うれしそうに私に話してくれた。一方で夫は「眠る時間がどんどん増えている」という、認知症と老衰による廃用性症候群が進行しているようだった。

長女が介護サービスを拒否したヤバい理由

夫は、身体的にも認知症的にも生活全般にわたって介護を要する状態だ。要介護3はつくと考えた。ケアマネジャーをつけて、デイサービス、訪問看護介護等を利用すれば、腰痛と闘いながら介護を続けている妻の負担は軽減されるだろう。

それらをひとつずつ説明し、今後どうしていきたいか尋ねると、「私は、最期まで夫と一緒にいたい。その介護保険とやらで、夫も私も少しでも楽に過ごすことができたらいいわね」と言って夫の手を握った。

ところが、ことはうまく運ばなかった。それを聞いた長女が激怒したのである。「今すぐ折り返しの電話が欲しい」と事務所に連絡が入り、携帯電話から電話をかけると、

「なんで私の父が、国のお世話にならなくちゃいけないんでしょうか? 私の父に情けないことをさせないで下さい」と拒否してきたのである。私も応戦し、介護サービスを使うことが恥ずかしいことではないことを説明したが、ダメだった。

この二人に必要なのは、夫の弱った体を介護する人材が必要なのだが、「父には相応しい人をつける」と言って聞かず、資産家の御用達だという家政婦派遣所から、料理が上手だという家政婦を入れてしまった。そしてたまに訪れては弱っていく父親をみて、それを母の落ち度だと責め立てた。

夫婦は離ればなれに

そして「家政婦よりも介護のプロを」と訴えていた私はある日、蚊帳の外へと追いやられた。いつものように往診に行くと、長女が立ちはだかっていて、

「先生には大変、お世話になりました。でも熱海の老人ホームに父を入居させることにしたのでもう必要ありません。完璧な医療体制も整っています。御食事だって銀座の〇〇が監修していますのよ」

と、お役御免を言い渡されたのである。食事の質を上げれば食べてくれると勘違いしている。終末期の老人がそれほどの量を食べられる状態で無いことを説明しても、理解して貰えなかった。

「お母様も一緒に入られるのでしょうか?」と聞くと、「いえ、母はしばらくこの自宅でひとりで過ごして貰います」と言って聞かない。せめて夫婦を離ればなれになるのを阻止しようと、妻の通える範囲内の地元施設をすすめてみたが、「父にはふさわしくない」と言って聞く耳を持つことはなかった。

親子の立場は、年を追うごとに逆転していく。血気盛んな性格の子供となれば、なおさらだ。妻はしょぼくれた顔で、長女に何も言えないでいる。夫と離れるのが嫌なのだろう、じっと下を向いていた。

結局、夫は翌週、長女のいう“熱海の医療体制が完璧な施設”へと移動し、私はこの家を離れた。

社長夫人が後悔した理由とは

患者の「その後」を知ったのは、1年ほど経ってからだった。診察でこの家の近くを通りかかったとき、あの妻が歩いていた。声をかけると手を振ってこたえてくれて、話したいことがあるから家に寄って欲しいと頼まれた。

後日伺うと、御主人は熱海の高級老人ホームに移動後、3ヵ月ほどで亡くなったということを知らされた。妻が介助していた頃は、何とか食事ができていたが、施設入所後に急速に認知症が進行して、最終的には食事中に喉を詰まらせて逝ったそうだ。

老人ホームにありがちな、無理やり食事を食べさせ、誤嚥しても吸引せず、窒息してしまったケースのようだった。

そんな最期になったことについて、妻は自分を責めていた。

「娘の運転する車で夫と一緒に熱海まで行って、だますように夫をそこにおいて帰ってきてしまったのです。玄関から出ていく私たちを見つけた時の夫の顔が忘れられません。自分も一緒に帰りたかったのでしょう。

でもね、娘の考えに私は抵抗できなかったのです。あの時、先生がおっしゃるように老人ホームに入るなら自宅の近くにすればよかった。熱海じゃ、危篤状態だって言われても間に合いませんよ」

遠くのビッグネーム病院より、近くのノーブランド診療所

今回のケースを整理してみる。

認知症も老化も進行したものは戻らない。

終末期の患者は、有名シェフの豪華な食事を出したところで食べられない。

ご主人に残された時間もあまりなかった。

それらを踏まえれば、“完璧な医療体制”も“有名シェフの豪華な食事”も必要なかったのではないか。この老夫婦に必要だったのは、2人がいつも顔を合わせられる環境ではなかっただろうかと、私は考えている。恐らく自宅に介護サービスを入れれば何とかやっていけただろう。そう導ききれなかったことが悔やまれる。

この長女のケースは極端だが、患者やその家族が虎の威を借るように、高名な医者や、有名病院にすがる姿を時々みかける。「私は〇〇大学病院の××先生を知っているから、万が一が起きても大丈夫」だとおっしゃる方もいるが、蓋を開けて見れば、講演会のあとにちょっと話しただけだとか、同じ宴会の会場で居合わせた程度の仲であることも多い。

仮に本当に仲が良くても、その関係を信じて病院まで向かったものの門前で断られることが多いのが、今の病院の実情だ。現在の医療制度では病院ごとの役目に沿って、いかにベッドコントロールを円滑に進めるかが大切である。義理や人情で動かせるものは思っている以上に少ないのかも知れない。

そもそも終末期の医療において、有名病院や高名な医者は、(ブランド名によって安心感は得られるだろうが)それが患者の幸せな最期を迎えるための担保になるようなものではない。個人的には、「遠くのビッグネーム病院より、近くのノーブランド診療所」だと考えている。

平野国美氏の連載記事「「あのポンコツ、どうしようか」…!認知症が進み、死期が迫りつつある夫に対し、悪態をつく毒舌妻の「もうひとつの素顔」と「意外な本音」」では、「夫を看取ってから一緒に死にたい」と願っていた妻に起きた“奇跡”をリポートしています。

「あのポンコツ、どうしようか」…!認知症が進み、死期が迫りつつある夫に対し、悪態をつく毒舌妻の「もうひとつの素顔」と「意外な本音」