武豊が告白する”93年朝日杯”の「衝撃の真実」…「シャドーロールの怪物」と呼ばれた三冠馬の伝説はここから始まった!
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かつて「怪物」と呼ばれ、一世を風靡した競走馬がいた。クラシック三冠を達成した「ナリタブライアン」。三冠達成から一転、挫折を経験。最強との呼び声高いナリタブライアンはなぜ王座から転落してしまったのか。
2024年はナリタブライアンの三冠達成から30年目に当たる。そんな節目の今、4人の伝説のジョッキーに取材した『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』(鈴木学著/ワニブックス刊)から、その短くも濃密で波乱万丈な馬生を浮き彫りにする。
『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』連載第1回
ナリタブライアンと武豊
──武さんにとってナリタブライアンの存在を意識し始めたのは、いつ頃からでしょうか
「朝日杯かな。やっぱ『凄いな〜』と思いましたよ」
ナリタブライアンが圧勝した朝日杯3歳ステークスの騎乗者に「武豊」の名前はない。どこで見ていたのだろうかと思っていたら「香港行ってたんちゃうかな」と言う。そうだった。ナリタブライアンと同じ大久保正陽厩舎で、馬主の山路秀則が所有するナリタチカラで香港国際カップに出場していたのだった(結果は7着)。
朝日杯で武豊が乗る可能性もあった!
──調教師は香港で、かすかに流れるラジオ短波の放送で朝日杯のレースを聴き、終わった直後に電話をして勝ったことを確認したという話です
「大久保先生から『朝日杯は勝った』みたいなことは聞いたと思います。あの時は、どっちに転んでもおかしくなかったんです。南井さんがもし香港に行けば、俺が朝日杯っていう感じだったと思います」
初めて聞く話に理解が追い付かなかった。今風に言えば脳がバグった。南井さんが香港国際カップでナリタチカラに騎乗して、武豊さんが朝日杯でナリタブライアンに騎乗する可能性があった?
「チャンスがあったんですよ。ほんとね、南井さんとどっちを乗るかみたいな話になっていたんですよ」
──あ、そうなんですか!?
「そうなんです。だって清水英二さん(もナリタブライアンに)乗っていたでしょ」
そう言われればそうだ。
「大久保厩舎は僕と南井さんがだいたいいい馬に乗っていて、ナリタチカラにもふたりとも乗っています。(朝日杯と香港が)同じ日に行われるってなって、(ふたりのうち)どっちが選んだのか覚えてないけど、こうなって(自分が香港で騎乗し、南井さんがナリタブライアンで圧勝して)『わ〜』って。あとから思えばですけど。そこ(朝日杯)からですからね、ブライアン(が頭角を現したの)は」
函館でデビューしたことが運命をわける
思えば、ナリタブライアンの三冠の前年に大久保正陽厩舎のナリタタイシンで皐月賞を制している。
「まえの年か。(皐月賞の2着は)ビワハヤヒデだもんね。だから、そういう近いところにいたのに逃したなっていう感はありましたね。大久保厩舎の馬に乗せてもらっていて、山路オーナーの馬も乗せてもらっていたのにナリタブライアンに乗ってなかったのは、やっぱり……『いや〜、すごく近いところにチャンスあったのに逃した』っていうのはすごく思っていましたね」
ナリタブライアンが函館でデビューしたことが運命を分けたといえる。
「それはありましたね。小倉にいたもんな、俺。あの時、北海道に行っていたら、もっと早くに三冠ジョッキーになれてたんかな〜とか思いますよね」
1993年夏に武豊が北海道で騎乗していたら、ナリタブライアンのデビューの際、大久保正陽がまず初めに武豊に声をかけたのは想像に難くない。
「大久保厩舎のナリタの馬ですからね。だから2回逃した感じはしましたね。2回、チャンスあったんだよなあ……」
デビュー前と朝日杯3歳ステークスの2回。そこに分岐点があったというわけだ。
「ありましたね。ニアミスでしたね。まあ、でもそれも競馬の面白いところで……。そうやって香港に行けたことも大きかったしね。いい経験ができたし、ナリタチカラでいいレースもできたしね」
『武豊によって「30年越し」に明かされる過去…「ナリタブライアン」を育てた頑固者・大久保正陽との「意外な秘話」』へ続く