ドリカムの35周年を語った中村正人

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 デビュー35周年を迎え、「ドリカムワンダーランド」と対をなすライヴ「ウラワン」の開催をはじめ、さまざまな企画も重なり、大きな盛り上がりを見せるDREAMS COME TRUE(ドリカム)。ヴォーカルの吉田美和(59)とともに数々の夢を実現してきた、リーダーでベーシストの中村正人(65)は「夢は持った瞬間にかなっているんですよ」と力説する。

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最初から完成していた

「当初は吉田をソロのシンガー・ソングライターとしてデビューさせるつもりだったんですよ」

 もともとフュージョン(インストゥルメンタル)バンドを組み、1970〜80年代に盛んだった音楽コンテストやバンドコンテストへ出場。優勝からのメジャーデビューを夢見て活動していたという中村。中村がメインヴォーカルを取る形のバンドも並行してやる中で、バックバンドやサポート演奏としての仕事をもらうようになっていた頃に吉田と出会った。

ドリカムの35周年を語った中村正人

「僕のバッキングヴォーカル、コーラスで入ってもらったのが最初だった」という。当時、務めていたとんねるずや中山美穂のバックバンドに「吉田はライヴの経験がなかったので、吉田を紹介して入ってもらったりしながら、シンガー・ソングライターとしてのデモテープを作ったり、『すごくヴォーカルが上手な子がいるので使ってもらえませんか』とプレゼンライヴをしたりしていた」と振り返る。

 当時、吉田が「中村さんに歌と作詩は向いてない」と話した のはファンの間では有名な話。「最初は僕の後ろでコーラスをしていたのに、だんだんと男女デュオみたいになり、そのうち僕がだんだん後ろに下がっていった」と中村は苦笑する。

 これまたファンの間ではよく知られる話だが、中村は吉田と出会った当初、「デモテープないのでアカペラで歌います!」と地下鉄で突然歌い出した吉田の自作の歌を聴いている。それが「週に1度の恋人」「うれしはずかし朝帰り」だった。

「すでにこの時点での吉田はアーティストとして完成してました。スタイルも歌も作品も」

シンガー・ソングライターではなくバンドで

 だからこそ、シンガー・ソングライターでのデビューを模索していたわけだが、世には多くの女性シンガー・ソングライターがおり、ブームも一段落しようとしていた頃。「業界的にも吉田美和という素材に興味が示されなかった」と中村は述懐する。

 時を同じくして、TBS「平成名物TV」の1コーナー「三宅裕司のいかすバンド天国」(イカ天)によるバンドブームがにぎわっていた。

 さらに英国ではカルチャー・クラブ やスウィング・アウト・シスターといった“ブルーアイドソウル”が盛り上がっており、「僕もジャズやソウルをベースにしたバンドを組んでいたので、そういう形態に吉田の歌を乗せれば人々に届くかな、と考えた」という。

 当初は中村と吉田の二人で「CHA-CHA&AUDREY's Project」として活動をスタート。その後、吉田と同じ北海道・十勝エリアの有名ミュージシャンとして活動していたキーボードの西川隆宏(60)を招聘。後に「僕自身、この名前はイケてないなと思い」、DREAMS COME TRUEに変更した。

 六本木のライヴハウスで毎週ライヴを行いながら、中村は以前から個人のデモテープなどを渡していたプロデューサーに、3人によるデモテープを渡した。この音源が気に入られ、レコード会社へ持ち込まれることに。同社の関係者が3人を見に、六本木のライヴハウスを訪れた際には、「お客さんがいないから、わざわざお店のスタッフが私服に着替えてサクラをやってくれたほど」。

 デビューにゴーサインが出たものの、「全然順風満帆じゃなかった」と当時の苦い思いを吐露する。

「これ、誰だ?」

 このレコード会社には当時、2つの班があったという。コンスタントに売れるアーティストを手掛ける班と、これに比べて派手さはないものの根強いファンを持つアーティストを手掛ける班。ドリカムは後者に入れられた。

 1989年3月21日、シングル「あなたに会いたくて」とアルバム「DREAMS COME TRUE」でデビュー。このレコード会社ではアナログレコードが作られず、CDだけの発売でデビューした最初のアーティストとなったが、中村の中では「(レコード会社は同じデビュー日のアーティストに注力していた」という思い出があるという。

 だがそのうち、同社内で、制作チームのデスク陣のラジカセ からドリカムの曲が流れるようになった。フロアに来た幹部が「これ、誰だ?」と問いかけ、「うちでデビューしてますよ」というやり取りすらあったほど、社内でも知られない存在だったという。

 ある種の手応えを感じさせるようなエピソードだが、それでも「力を入れてもらってなかったとか重きを置かれてなかったというのはすごく感じていた」と中村。実際、デビューシングルはオリコンチャート入りせず、中村が吉田との出会いの際に聴いて感銘を受けた3rdシングル「うれしはずかし朝帰り」(同年9月1日発売)も最高位49位にとどまった。同年11月発売の2ndアルバム「LOVE GOES ON…」はトップ10入りしたものの、それでも「売れた実感はなかった」という。

「以前、麻倉未稀さんのバックバンドをやっていたことがあって。彼女のシングル『黄昏ダンシング』がオリコン12位に入ったとき、キングレコードは社を上げてヒットを祝っていて。ヒットするとはこういうものか、という思いがあっただけに、すねてるように聞こえるかもしれないけど、誰にも喜ばれず寂しかったんで、ヒットの実感がないままだったんでしょうね」

6畳一間でできた名作

 91年4月のシングル「Eyes to me」がオリコン1位に、同年11月のアルバム「MILLION KISSES」も前作「WONDER3」に続いてミリオンセラーとなるなど、押しも押されもせぬトップアーティストの仲間入りをしたが、「ドリカムは500万枚行くと信じてやってきた」という中村に充実感はなかった。「いつになったらお金持ちになるんだろうってね」と笑う。

 ドリカムの楽曲の大半は吉田美和の詩 曲によるもの。これは「ドリカムは吉田の作詩 作曲が推し、というのがコンセプトだから」と中村は説明する。吉田の曲に中村がメロディーを加えることはあるものの、「吉田が作詩 作曲したというインパクトを出すために、共同作曲者としてのクレジットはつけなかった」という。当然、作曲分の印税は入ってこないことになる。

 吉田が曲を書けずにいた時期に、TBSドラマ「卒業」(中山美穂主演)の主題歌の依頼があった。制作陣は「吉田が曲を書けるようになるのを待っていた」という。だが締め切りが迫ってもなお吉田は書けず、「仕方ないから正人、書いていいよ、と言われて書いたんですが、デモテープから100回ぐらいやり直しをさせられた」という。

 それがオリコンシングルチャート2位となった「笑顔の行方」。中村は「八百屋さんの上の6畳一間のアパートで書いたんですよ」と昔日を振り返る。

200万超え8作

 ドリカムは92年11月に発売されたアルバム「The Swinging Star」で初めてアルバム売り上げ300万枚を突破したアーティストとしても知られる。だがそれはすぐにGLAYが500万枚、そして宇多田ヒカルが800万枚という金字塔的売り上げを記録し、塗り替えられた。

 ただ「200万枚超えのアルバムが8作品あり、バンドの持続性という意味では、日本においては稀なバンド」と自らのバンドを評価する中村。ドリカムのすごさがきっちり可視化された証である。

米国進出の蹉跌

 デビュー当時から世界マーケットを視野に、クリスマスをテーマにした「WINTER SONG」、世界にも通用する言葉を使った「SAYONARA」など、英語詩の曲を歌い、97年には米ヴァージン・レコード・アメリカへ移籍し、世界へ踏み出した。

「ドリカムの曲を世界中に伝えたい」という思いがあったからだが、その一方で、ドリカムの根源である「吉田の詩は日本文化に特化していた」という。

「当時はまだ海外へ進出するには英語でなくてはならなかった。その英語はカナダや豪州、欧州など西洋の訛りなら許されても、日本訛りの英語は許されず、吉田もそれに合わせるのに苦労した」といい、英ロンドンでブリティッシュイングリッシュを徹底的に叩き込み、英語詩による歌に挑んだ。

 ただ米国で売るためには「エージェントやロビイストなど政治的な力が非常に大きかったのも事実で、そうした環境を揃えてくれるのが、英資本のヴァージン・レコードの米ブランチだった」といい、そこからの米国デビューへつながった。

「ロンドンで積み上げ、学んできたものをさらに大きくしたい」と意気込んだ米国進出だったが、実際には思うような結果は残せず。スーパーバンド、ドリカムにとっては結果的に、蹉跌ともいえる足跡となった。

「ウラワン」で神保彰をゲストに

 そんなドリカムが「ドリカムワンダーランド」と対をなすライヴで、隠れた名曲を聴かせる「裏ドリカムワンダーランド」(通称「ウラワン」)が9月22、23日のさいたまスーパーアリーナ(埼玉県さいたま市)を皮切りにスタートする。スペシャルゲストドラマーとして神保彰を迎えることも話題だ。

「もともとドリカムはドラムのいないバンド。だけどドラムは僕にとっても吉田にとってもサウンドの核という認識がある。基本は打ち込みでやっているが、だからこそ、僕や吉田が憧れたドラマーと一緒にやりたいという思いは強い」と説明する。これまでにも村上“ポンタ”秀一、ハーヴィー・メイソン、ソニー・エモリー、クリス・コールマン、坂東彗ら綺羅星のごときドラマーを迎えたライヴを行ってきた。

「神保さんと僕は同い年だけど、フュージョンバンドをやってきた者としてはずっとトップを走ってきた憧れのドラマー。お互いに65歳になって初めてできること。10年前かというと違っていて、今だからじゃないかな」

隠れた曲の持つチャンス

「ウラワン」は、ファンが聴きたい曲を並べる「ドリカムワンダーランド」と対をなし、ドリカムが聴かせたい曲、隠れた名曲が並ぶライヴというコンセプトだが、「楽曲配信の時代になってから、隠れた曲 がもう一度日の目を見る機会が格段に増えたと思っています」と中村は指摘する。

 すなわち、かつて200万枚以上売れたアルバムでも「CDだと隠れた曲 は隠れたままで終わっていた」。楽曲配信なら、どの曲も区別なくずらりと並べられ、大ヒット曲と同等に目が行く可能性が少なからずあるためだ。

 実際、自身の事務所を立ち上げ、音楽出版会社も運営する中村には、どの曲が何回再生されたか、あるいは、JASRACによるデータなど、「どの曲がどれぐらいマネタイズされたか」というのは逐一分かるという。その中で「ドリカムの曲が300曲あるとすれば、290曲は聴かれていない。トップ10の曲でドリカムは成り立っているんです」と説明する。

 サブスクサービスごとに売れる曲の特性もあるといい、「あのサブスクではこの曲、こっちではこれ、というのがあって面白い。どのサブスクでも聴かれる曲、たとえば「何度でも」などは1億再生超えになっている」と話す。

「吉田の仕事が新しい曲を書くこととすれば、僕の仕事は聴かれていない290曲に日を当てること」と断言。その意味では「今度のウラワンでの選曲は、10年や20年やっていない曲がザラにある中で、吉田の口から生で聴ける最後のチャンスかもしれない」と指摘する。若い頃ならネガティブに捉えられるかもしれない発言だが、2人の年齢を考えれば、今回の選曲の貴重さが十分に納得できるはずだ。

 しかも、隠れた名曲とはいえ、決して演出が地味になることはない、ドリカムのウラワン。「それを踏まえた上で、ウラワンがどういう到達点にたどりつくかを楽しんでほしい」と中村は自信を見せる。

ドリカムの日も

 織り姫と彦星が出会う夢を叶える日ということから、日本記念日協会によって認定されている「ドリカムの日」=7月7日。吉田の出身地、北海道池田町では6日の前夜祭と合わせスペシャルイベントが開催される。

 ドリカムミニライヴはもちろん、今年の日本アカデミー賞協会特別賞(特殊美術造形)を受賞した造形作家、村瀬継蔵さんが監督した「カミノフデ 〜怪獣たちのいる島〜」(主題歌:DREAMS COME TRUE「Kaiju」)、堤幸彦監督最新作「Page30」(音楽監督:中村正人)のプレミア上映会、ドリカムディスコ、ドリカムのライヴ衣装を手掛ける丸山敬太のブランド「KEITA MARUYAMA」の30周年とコラボした展示衣装巡りなどが予定される盛りだくさんのイベントだ。

「池田町のワイン城50周年と合わせてのイベント。池田町も懐深く協力してくれた官民連携によるイベントで、地方創生というとオーバーかもしれないけれど、せめて吉田が生まれ育った町で我々がお返しできるとしたらこういうこと」とイベントに中村も腕を撫す。

夢は持てばかなう

 35年という長い時間の中で紡がれてきた名曲の数々。あえて中村が頭に描く「この曲」を聞くと、

「やっぱり、最初に地下鉄で吉田が歌った『週に1度の恋人』と『うれしはずかし朝帰り』かな」

 と、ほぼ時間を置かずに答えが返ってきた。その衝撃を受けてから、自分たちの夢を形にし、実現してきた。

「今、夢を持とうというと、持つことが恥ずかしいとか夢でなく目標を持とうとか、昨今言われる風潮がありますよね。 それは全て正しいと思うし、否定しないけど、夢を見ることをディスってしまっては、それこそ夢も希望もないですよ」ときっぱり。

「もちろん夢を実現させるには努力が必要だけど、夢は持つだけで素晴らしい、と、デビュー前にとある先輩に教わりました。どんな大きな夢でも、夢を見ることを遠慮してはダメ。夢はかなわないと自信満々に言う人は、自信満々に言うから、『夢がかなわない』という夢がかなっちゃうんです。だから僕は『戦争のない世界なんてかなわない』とは思わない。もちろん生物だから生きるための競争はあるにしても、殺し合うことなどなくなるという夢は信じています。これからも大いに夢を見ますよ」

 先日の米ニューヨーク行きで、「観劇した舞台で、日本や東京へ行ったというせりふがある種のブランドとしてとらえられていたように、今、日本やJAPANのブランド化を強烈に感じます。今、日本にとってはチャンス。夢を見ていきましょう」。夢を見続ける中村が、吉田とともに繰り広げるライヴで、我々もまた夢を見続けることができそうだ。

◆DREAMS COME TRUE(ドリームズカムトゥルー)
ベーシストでコンポーザー、アレンジャーの中村正人と、ヴォーカリストでコンポーザー、パフォーマーの吉田美和からなるバンド。時代に合わせて楽曲をクリエイトし、吉田が生み出す歌詩は世代を超えて多くの人に愛されている。2024年1月にはライヴBlu-ray / DVD「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2023」をリリース。書籍「ALL ABOUT 2023 史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND」も発売された。最新シングルは映画「カミノフデ 〜 怪獣たちのいる島 〜」の主題歌として書き下ろされた、2024年3月配信の「Kaiju」。

デイリー新潮編集部