そんななか、入社後3日目に親方から「カウンターに立ってくれ」といきなり言われたそう。寿司職人を長年続ける先輩と、同じ空間に身を寄せることになった岩井さんは「かなりの“圧”を感じた」と振り返る。

 ある日、最も怖いと思っていた先輩と2人きりに……。

「それで、お前はいつ辞めるの?」

 先輩の言葉にはっぱをかけられた岩井さんは、負けず嫌いな性格ゆえに「辞めません!」とキッパリ言い放ち、“絶対に寿司職人になる”と本気のスイッチが入ったという。

「怖いと引け目を感じていた先輩が、いちばん教えてくれましたね。心に響いたのが『文句言われたくないなら、言われないような仕事をしろ』という言葉でした。やるべきことをきっちりする。与えられた仕事のプロフェッショナルになる。

 つまり、手子の仕事もろくにできない自分が、先輩から握りやさばきを教えてもらうこと自体、筋が通っていないわけです。だからこそ、血の滲むような努力をしないといけないと思いましたし、まずは目の前の仕事を完璧にこなすことを意識しました」

◆おしゃれは我慢し、体力勝負の毎日。女性ならではの苦労を乗り越えて

 休日も練習用の魚とシャリで寿司を握る練習を重ね、一人前の寿司職人を目指した岩井さん。どんなに辛いこと、悩むことがあっても、尊敬する先輩から助言をもらい、常にモチベーションの維持を心がけていたそうだ。

 だが、寿司職人を目指す上で、“女性ならでは”の苦労があった。いかにして乗り越え、寿司職人としての腕前を磨いていったのか。

「女性なら誰だって楽しみたいはずの髪の毛やネイルといった“おしゃれ”は我慢する必要があると思いますね。ハワイが好きだった頃の自分と、今の自分では全く雰囲気が違うんですよ(笑)。また、女性は体調が変わりやすく、生理のときは長時間働くのが辛かったですね。立ち仕事や階段の上り下りなど、本当に体力が必要で、慣れるまでは苦労しました。

 あとは仕事と子育ての両立も大変です。寿司職人は仕事柄、例えば子供が急に熱を出したときには休みづらい。子育てに対して職場の理解が必要なわけですが、銀座おのでらには育休制度が充実していて、私はその制度を活用していました」

 岩井さんは、寿司職人の仕事においても「子供の存在がパワーになっている」と話す。

 育休制度が終わる頃、「銀座おのでら」運営元の(株)ONODERAフードサービスの社長から「立喰いスタイルのお店に立てば、ファンが必ずつく」と勧められ、岩井さんは表参道の「立喰鮨 銀座おのでら」で働くことになった。

◆“女性寿司職人”のロールモデルを目指して…

 新天地での活躍を期待しての抜擢は見事に的中。

 現在は、常連客から「瑞帆の寿司が食べたかったら会いに来た!」と言われるほど、岩井さんはお店に欠かせない存在になっている。

「板場に立てば、自然とアドレナリンが出るんですよ」

 自分が握った寿司が「美味しい」と言われたときは、自分のエネルギーになり、やる気につながるそうだ。

 また、本店で学んだ洞察力も意識していると岩井さんは話す。

 お客様の顔色や所作、機微を見て、次の行動を予想したコミュニケーションを取ることで、お客様を待たせないように配慮している。まさにプロフェッショナルの仕事を日々全うしていると言えるだろう。

 今後の展望は「海外で寿司を握り、老若男女、人種、貧富関係なく、世界中の人にハッピーを届けること」だと岩井さんは述べる。

「寿司職人は終わりのない仕事だと思っていて、死ぬまでやり続けるつもりです。生涯修行の気持ちを持って、寿司の握り手として魂を高めていきたい。将来の夢は、『寿司を食べたくても食べられない人に、寿司を振る舞うこと』です。

 自分が何も食べられない時におにぎりから力をもらったように、『生きていることの幸せ』を伝えられるようにしたいですね。そして、世界中に女性の寿司職人を増やしていく。自分がそのロールモデルとなり、自ら道を切り拓いていきたいと思っています」

 岩井さんは、まずはアメリカの温暖な地域を拠点に、世界で活躍する女性寿司職人を目指しているという。

 まだまだ男性が主流の寿司職人にとって、岩井さんのような存在は、業界に新風を起こすきっかけになるのではないだろうか。

<取材・文/古田島大介、撮影/藤井厚年>

【古田島大介】
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている