「大したことない男ですね」デート中、浮気した元カレにばったり遭遇してしまい…
前回:「今夜、食事しない?」浮気した同僚男性からの誘い。27歳女の心は揺れたが…
「今夜のデート、是非ともお願いしたいです。19時には仕事が終わります。会社は品川です」
「あれ?OKなんだ。しかも是非ともってw」
「もしかして冗談でしたか?」
「いや本気だけど、今日の今日で無理かなって思ってたから。うれしい」
「よかったです。待ち合わせ場所はどちらでしょうか?」
「相変わらず宝ちゃんのLINEって文章がバリカタ」
「そうでしょうか?どちらにお伺いすればよろしいでしょうか?」
「オレが会社まで迎えにいくよ。デートだし♡」
「恐縮です」
「だからカタいってw」
デスクに常備しているお気に入りのミントの飴を口に放り込み、数字を片づけるスピードを加速させる。今日は絶対に定時までに仕事を終わらせ、ここから逃げ出すのだ。
祥吾から逃げる口実としては成功したのだから、本当にデートする必要はないのかもしれないけれど、祥吾への宣言がウソになるのはなんとなくダメな気がした。
祥吾のLINEも電話番号もブロックしている。その理由は…別れて一週間後に祥吾から≪大丈夫?≫という連絡がきたこと。以来、総ブロックという結論に至ったのだが、ブロックしきれていない現状が悩ましい…と溜息をついた時、ピコンと音をたてPC画面に社内チャットが着信した。
≪先ほどの件ですが、想定外の案件につき理解できず、もう一度説明をお願いします。動くには時期尚早かとも思いますので、本日作業終わりでそちらにお伺いします≫
祥吾からだった。条件反射で、送信者を確認せず開封しまったことを心底後悔した。このチャットには既読がついてしまうのだ。
― 私が誰かとデートするなんて想定外で理解できず、時期が早いと?
誰かに見られるかもしれない社内チャットが故の、その回りくどい表現に余計に腹が立ち、思わず口の中の飴を思いっきり噛んでしまった。砕けたミントの強い刺激が一気に喉と鼻に抜けたせいでじんわり涙が出た。社内チャットをブロックさせてください…と本気で上司のクレアにお願いしたくなる。
祥吾は私を、自分以外の男とはデートすらできない女だと思っているのだろうか。
確かに私は男性慣れしているとは言いがたい。付き合ったのは祥吾で3人目。1人目は、高校で同じ図書員だったことがきっかけで告白してくれた佐藤くん。
学校の帰り道を一緒に…というくらいだったから男女と言うには幼い関係で、佐藤くんが地元の大学に進学し、私が東京の大学へという遠距離が原因で円満に別れた。
2人目は、大学時代、友香の恋人の友人だった大木くん。お互い熱狂的なソフトバンクファンということで意気投合し、告白されて付き合うようになった。それなりに楽しく2年が過ぎた頃、彼が海外留学するタイミングでこちらも円満にお別れしている。
そして3人目。円満なお別れとは程遠い、祥吾の登場だ。
大学の先輩である祥吾は、私より一学年上。リーダー的ポジションで陽キャのお手本のような祥吾と私では属性が違い、ゼミが同じということくらいしか共通点がなく、すれ違えば挨拶するという程度だった。
関係が変わった…というより始まりは、私の就職活動の失敗がきっかけだった。第一希望にはじまり、その後何社も落ち続けた私を心配したゼミの先生が紹介してくれたのが祥吾で、それ以来、なにかと面倒を見てくれるようになった。
押しが弱く、決断までに時間がかかる私をフォローしてくれたことには今でも感謝している。この会社の事務職に追加募集が出たことを教えてくれて、合格できたのも祥吾のおかげだと思っている。
「宝の人生にはオレが必要だと思う。付き合おう」
私が入社して半年がたった頃、まるでプロポ―スのような告白をされた時はうれしかったし、断ることなど思い浮かびもせず頷いていた。祥吾といればホッとできたし安心した。熱く燃えあがって…とは言えなかったかもしれないけど、私なりに恋をしていた。その恋が突然終わったのが2か月前。
私と祥吾は5年近く付き合い、結婚の話をするくらいの関係になっても、一度も社内の噂にならなかったのに、新しい彼女(祥吾と同じMRで祥吾より1つ年上)とは、はやくも社内の公認カップル的な感じになっている。だからもうほっておいてほしいのに。
「5年も付き合えば、別れたからってすぐに他人になれない。宝はボーっとしてるし欲がないから心配なんだ。これからも相談にのるし助けたい」
そんなLINEが何通かきたかと思えば(その後ブロックした)いまだに社内で会う度に声をかけてくるのだ。
― つまらない女。そう思ったのならもう関わるのをやめて欲しい。
別れを告げられた頃、惨めで逃げ出したくて転職が頭をよぎった。でもそのために苦手な面接にもう一度トライすることや、自分のセールスポイントを探し出すことにも自信が持てず。せめてもと西麻布に引っ越したのが1か月くらい前なのに、もう随分前のことに感じるのは私だけなのだろうか。
― よし、5分前。
予定通りに仕事を終え、念のためクレアに他の仕事はないか確認してから、早歩きで9Fのフロアからエレベーターへ。1Fまで降りると猛スピードでセキュリティゲートを通り抜ける。祥吾に捕まらずにビルの外に出ることができて、ひとまずほっとした。
― まだ来てないかな。
19時には会社の前まで行くよと言ってくれていた大輝くんを探す。今日一日中吹いていたらしい強風のせいで、通勤時にはあった葉がほとんど落ちてしまったイチョウ並木の向こう、大通りを挟んだその先から、宝ちゃーん!と声がして視線を向けた。
子どもみたいに大きな声で叫ばれて恥ずかしくなり、笑ってしまう。
大きな体で長い手を振る大輝くんは、暗くなった街中でそこだけポッと光っているようにとても目立って、道行く人が振り返り、立ち止まり、大輝くんに視線を向けている。
それらは単に大きな声を上げた人への視線というよりは、異様に感じる程のスタイルの良さ、その顔の整いっぷりに気がついたこともあるのだと思う。
私の携帯が鳴り見てみると、≪そっちに渡るね≫というLINEだった。大輝くんに視線を戻すと、私から見れば右、少し離れたところにあった横断歩道の方向を指さしている。私はそちらの方に歩き、大輝くんも移動する。
横断歩道を挟み、大輝くんがこちらに渡るための信号が変わるのを待っていると、宝!と声がした。声の方を向かずとも、誰が来たのかわかって心底がっかりする。
「フロアに行ったら今日はもう帰ったって言われたから。良かった会えて」
走ってきた祥吾はそう言った。私は助けを求めるように、横断歩道の信号を見た。まだ赤。大輝くんはうつむき携帯を見ていて、私に話しかける祥吾に気がついていない。
― とりあえず、大輝くんと合流するまで無視。無視しかない。
どうせ口ではかなわないのだからと無視を決め込んだ私に、かまわず祥吾は話しかけてくる。
「LINE。パリ楽しかったねって何あれ?」
「…」
「今から待ち合わせ?」
「…」
横断歩道の信号が青になり、その青を知らせる音楽が鳴り始めると、大輝くんが顔を上げた。私と目が合うとほほ笑み歩き出したが、隣の祥吾に気がついたのか少しけげんな顔になる。
祥吾から離れたくて、大輝くんの方へ歩きだした時、祥吾に手首をつかまれ歩道に戻された。
「宝、質問に答えてよ」
「…離してください」
この人は、もう、ほんとに、何がしたいの…!と私が祥吾の手を渾身の力で振り払った瞬間、宝ちゃんと声がして引き寄せられた。
「お仕事お疲れ様」
気がついたらすっぽりと、相変わらずいい香りのする大輝くんに抱きしめられていた。挨拶のハグにはだいぶ慣れたとはいえ、ここではちょっと困ると慌てて身をよじると、あ、会社の側だったね、ごめん、と大輝くんは笑った。
大輝くんの腕からすり抜けた私が見たのは、フリーズしている祥吾の顔だった。付き合ってからの5年で一度も見たことがない、なんだか間抜けな表情で、私ではなく大輝くんを見ている。その視線を気にせず、こんばんは、宝ちゃんの会社の方ですか、と大輝くんは言った。
「…そちらは…どちら様ですか?」
問われたことにハッとしたのか、いくらか表情を整え、祥吾はそう聞いた。自分への質問には答えないスタイルがなんともふてぶてしい。
「宝ちゃんには大輝くん、って呼ばれてます。友坂大輝です」
「宝とはどういう関係ですか?」
「呼び捨てにしちゃうってことは…やっぱり宝ちゃんの元カレ?」
そう言った大輝くんが、祥吾ではなく私を見たのでしぶしぶ頷いた。
「あなたが元カレさんかぁ」
「…宝とはどういう関係ですか、って聞いてます」
「今からデートに行く関係です。昨日までパリで一緒だった関係でもあります」
ね、と私の肩を抱き寄せた大輝くんに…というよりこの状況に動悸が高まる。初めて見る大輝くんの挑発的な態度にも、それに煽られた祥吾の表情が変わっていくことにもソワソワハラハラが止まらない。
「…なんのつもりか分からないけど、コイツをからかうのはやめてください」
「宝ちゃんをコイツとか言わないでもらえます?それにオレが宝ちゃんをからかってると?」
「あなたみたいな人が…宝とデートとかありえないでしょう?」
― うん、そう。祥吾、正解です。
私は心の中で突っ込みを入れる。だって疑似デートだからねと思いながら、もう行こう、と大輝くんを促した。そうだね、と言いながら大輝くんは動かず…というより、さらに一歩、祥吾に近づいて笑った。
「あなたに会ってみたかったんですよ。自分が浮気したくせに、宝ちゃんに呪いをかけた最低な男に。でもまあ…やっぱり所詮、このレベルか、って感じですけど」
「…このレベルって、どういうことだよ」
怒りを露わに語尾を崩した祥吾は、私が知らない祥吾だった。186cmの大輝くんが見下ろすと、いつも私が見上げていた祥吾の175cmも小さく見える。
「大した事ない人だな、ってことですよ。元カレさんのレベルは良くて並?外見、雰囲気、その他もろもろ、ごくごくフツーって感じなのに、自分は人よりイケてるとか、特別な存在だと思ってるっぽいところがイタい」
祥吾は大輝くんを睨みつけているのに何も言わない。雄弁が売りで、営業部の期待を一身に背負ったエースが言葉を失うなんて。
いや、何も言わないというより、言えないのかもしれない。映画なら主役、アイドルグループなら絶対的センターなルックスで圧をかける大輝くんに、見下ろされ、ずいっと顔を近づけられたら…。
「≪宝とデートとかありえない≫って言う発想もくだらなすぎて。元カレさん、とりあえず宝ちゃんの人生から即刻退場でお願いします」
黙ったままの祥吾から私に視線を戻し、宝ちゃん行こう、と言った大輝くんの表情は、ふにゃっとしたいつもの笑顔に戻っていた。
私のために、大輝くんがわざと強い言葉を選んでくれたのは分かっている。でも…すっきりした…というよりは、その場で動かない祥吾のダメージが気になってしまうのはなぜなのか。複雑な思いを抱えながら、私は大輝くんに手を引かれるままに歩きだした。
◆
「…ごめん、宝ちゃんオレのこと怖かった?」
大輝くんがそう言ったのは、会社から少し離れた場所で捕まえたタクシーの中。怖かったというより驚いたと私が答えると、雄大さんにもときどき怒られるんだよなぁ、と反省した口調になった。
大輝くんは私が祥吾の腕を振り払っているのを見て、元カレだろうと想像したのだという。
「宝ちゃんってあんまり人に強く出られそうにないのにさ。結構な勢いで手を振り払ってたから、あれが噂の元カレくんだろうなって。気合入りすぎちゃってホントごめん。
オレ、宝ちゃんの元カレみたいな人みると、どんどん冷めてくんだよね。簡単に自信満々になる人?自信があるだけなら別にいいんだけど、それを人と比べて優位に立ちたがる人。簡単に自分が人より優れてるって思える気が知れない」
「……大輝くんは?自分が人より優れてるって思ったりしないってこと?」
むしろ圧倒的な自信しかない人だと思っていたけど、と聞いた私に大輝くんは、うーん、オレも全く自信がないかというと、それは違うんだけどさ、と言って続けた。
「オレが宝ちゃんと仲良くなれるなって本気で思ったのってパリで宝ちゃんが、つまらない自分を変えたい、って言った時だったんだよね。
自分の意見より相手の気持ちが大切な時も多くて、相手に合わせてしまう性分で…って、宝ちゃん言ったでしょ?それ、俺も同じ。オレもそうだから」
そのことと、今の自信の話がどうつながるのかと次の言葉を待っていたけれど、大輝くんはもう何も言わず、携帯に目を落とした。そしてしばらくすると、運転手さんに行き先を変えたいんですけど、と言い、信号が止まった時に住所を伝え始めた。
「西麻布にいくんじゃないの?」
宝ちゃん明日も仕事だし、この後のデートは西麻布で、と言っていたはずだけど。
「西麻布方向なんだけど、ちょっとプランを変更しようかなって。なんかしんみりしちゃったから、2人きりのデートはまた今度」
「…え?」
「友達がパーティやってるっぽいから、そっちに合流します」
「……パーティ!?い、いや、困るよ」
「年下の男の子たちにちやほやしてもらう日にしようよ」
「…もっと困るよ!」
「宝ちゃんって野球選手が好きなんだよね…ちょっと聞いてみるね」
「…野球選手?…え?大輝くんそれどこで知った?」
焦る私の質問を、大輝くんはいたずらっぽく笑ってかわし、今日のメンバーどんな感じ?などと電話で話し始めた。おそらくパーティは既に始まっているのか、電話の向こうから漏れてくる音が賑やかで騒がしい。
「ちょっと年上のお姉さん連れてくから。うん、オレの大事な人」
― いやいや、大輝くん、それ誤解されちゃうやつ…!
私はキョウコさんじゃないよ!年上のお姉さんの色気を期待されても困る!と焦る私と、それを面白がる大輝くんを乗せたタクシーが、六本木交差点を渋谷方向に曲がり、西麻布の交差点を右、青山方面に走り…路地裏に入ると目的地についた。
そこはコンクリートの高い壁に囲まれたビル…というよりは要塞…は言い過ぎにしても、大きな一戸建てのような建物だった。
「呪いを解くために、頑張ってみない?…オレと一緒に」
コンクリートの壁にはめ込まれた鉄ドアの横にあるインターフォンを押した後、大輝くんはそう言った。え?と聞き返した瞬間、ドアが開き、大輝くんに手を引かれて恐る恐る中に入る。
― 呪いを解く。
大輝くんのその言葉の意味を…私はこの夜、とても切ない出来事と共に…知ることになる。
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▶1話目はこちら:27歳の総合職女子。武蔵小金井から、港区西麻布に引っ越した理由とは…
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