麻布には麻布台ヒルズ。銀座には、GINZA SIX。日本橋には、コレド室町…。

東京を彩る様々な街は、それぞれその街を象徴する場所がある。

洗練されたビルや流行の店、心癒やされる憩いの場から生み出される、街の魅力。

これは、そんな街に集う大人の男女のストーリー。

▶前回:上京4年の26歳女子。美人で性格良しの芦屋育ちのお嬢様が、アプリで男から避けられる理由とは




Vol.3 『18年越しの答え合わせ/コレド室町』さくら(36歳)


― 今回はフランスからのお客様か。どうしようかな。

外務省で働くさくらは、コレド室町で手土産を探していた。

来週に控えた、海外からの来日客を迎えるためものだ。「長旅おつかれさまでした」の気持ちを込めて、さくらはいつもお客様に小さなプレゼントを渡すようにしている。

江戸時代の日本橋の賑わいを再現したというコレド室町には、日本の伝統や歴史を感じさせる、気の利いた工芸品やおやつが豊富に揃っている。

商店や問屋で栄えた中央通り、魚河岸の名残を感じさせる老舗店、浮世小路と福徳神社──。

界隈に漂う「日本らしさ」は、日本で生まれ育ったさくらにとっても心地よく、楽しいものだ。

― 金沢金箔専門店の金箔スイーツは目を引くし、小さな食器やコスメも喜ばれそう。あ、和菓子ならフルーツを丸ごと使った大福もインパクトがあっていいかな…。

日本に来てすぐのお客様が、何を手にしたら喜ぶか。そんなことを考えながら仲通りに出ると、見覚えのある男性が目の前を横切った。

― え…譲司?いや、まさかね。

ドキン、と心臓が高鳴る。

仲通りを飾る、特徴的な⾊とりどりの提灯。柔らかな光の下を歩く彼の横顔をなんとか観察する。

背は高くないものの、がっしりとした肩幅と胸板。黒々として凛々しい眉に、満足そうに微笑みをたたえた大きな瞳。

譲司の懐かしい面影を確かに感じる。

譲司は、さくらの古い友人だ。幼少期に通っていた横浜にあるインターナショナルスクールで、同級生だった。

高校生までは家族ぐるみで付き合いがあったが、あれから18年。もう人生の半分は顔を合わせていないことになる。

― 彼が東京にいるはずないのに。でも…私が譲司を見間違えるわけない。


仲通りを抜けた譲司らしき男性は浮世小路へと進んでいく。話しかけそびれたさくらは、ためらいながらも背中を追った。

福徳の森と呼ばれるイベントスペースを通り、鳥居をくぐる。気がつけばさくらは彼について、コレド室町に隣接する福徳神社へと足を踏み入れていた。




手水舎の前まで来た譲司は、キョロキョロと中を見回す。そして、「そうそう、たしかここに…」と独り言を呟きながら、ふいに後ろを振り返った。

必然的に、後ろにいたさくらと顔を合わせる。

「え…?さくら!?」

「やっぱり譲司だ。…久しぶり」

突然の再会。

記憶の中の幼馴染みの残像と、今自分の目の前にいる人物の姿を重ね合わせて確かめるかのように、ふたりはゆっくりと見つめ合う。

不思議と時の流れは感じない。さくらは、まるで昨日も譲司と一緒にいたかのような自然な安心感を覚えた。

「驚いたな。去年ここに立ち寄った時に花手水が綺麗で、また何かあったらいいなと期待して来たんだ」

「花手水?」

「そう。手水舎の水鉢に季節の花を浮かべていることがあるんだ。花の季節には早かったことに今気がついたけど、…思いがけず、さくらに会った」

「私も驚いたよ。譲司、いつから東京にいたの?」

「しばらく会ってないもんな。もし時間あったら、軽く夕食に付き合わないか」

「そうだね。10数年分の、話を聞きたいな」

大人になって、初めての再会。

信じられないような気持ちを互いに抱えつつ、ふたりはすぐそばにあるフレンチレストラン『LA BONNE TABLE』に入った。

「さくらは、元気にしてた?」

「うん。いろいろあったけど、元気だよ。譲司は?」

幼い頃から思春期までを、共に生きた譲司とさくら。

顔を合わせなかった10数年の時間を感じさせないほど、自然で穏やかな空気感をふたりは感じていた。



3歳でプリスクールに入学してから、高校卒業までの15年間。

15年もの長い間“幼馴染み”という特別枠に収まっていたさくらと譲司は、互いを異性として意識することなく、不思議なほどに仲の良いまま成長した。




転機が訪れたのは、高校最後の秋。

譲司のアメフト部引退試合を観に行った日の出来事だった。

「さくらのこと、好きだ。付き合ってほしい」

そう告白したのは、譲司のチームメイトである瑛太だった。

― 付き合うということは、瑛太と、譲司よりも親密になるということ…。

譲司以外の男性と、親密になる自分。

自分以外の女性と、親密になる譲司。

そのどちらも、想像するだけで耐え難いことに、さくらはこのとき初めて気がついた。

その日の夜、譲司の家を訪ねたさくらは、そのことを伝えるつもりでいた。

「譲司。今日は試合お疲れさま」

「うん、応援に来てくれてありがとう」

「いい試合だったよ。それでね、わたし…」

けれど、その先の言葉は言わせてもらえなかった。譲司は何かを察したように、さくらの言葉を遮ったのだ。

「さくら、聞いて。俺、春からドイツに行くんだ」

突然譲司の口から出た「ドイツ」という単語に、さくらの頭は真っ白になった。

いや、正確には突然ではなかった──さくらは何年も前から、譲司が「海外でアートを学びたい」と言っていたのをそばで聞いていた。

しかしさくらは、それは将来の展望だと思っていた。もっと大人になってからの話だ、と。

― でも、気づけば私たちはもう、大人の年齢なんだ。自分の行く先を自分で選択する時が、もう来ていたんだ。

譲司は静かにさくらを抱き寄せ、さくらはだまって譲司の肩に顔をうずめた。



高校を卒業して迎えた翌春。

さくらは東京外国語大学へ進学し、譲司はアートディレクションを学びにドイツへと渡った。

あの夜、ふたりは互いの想いに気づいていた。

しかし同時に、互いに納得の上で、恋よりも自分のやりたいことを選んだ。


「譲司がドイツへ発ったあと、私は吉祥寺でひとり暮らしを始めて…。瑛太がICUへ進学したでしょ。外語大とICUって、キャンパスが公園ひとつ挟んですぐ隣なのよ」

「瑛太から聞いてたよ。あいつ、今思えばさくらの近くに居たかったんだろうな」

「じゃあ、その先も知ってるか。結局、瑛太とは縁があったんだよね…」




大学在学中に瑛太と付き合い始めたさくらは、卒業後外資銀行へ入社。瑛太と同棲を始めて1年のうちに、授かり婚をしたのだった。

「それで…私たちが通っていたスクールって、すごく楽しかったじゃない。世界各国の子どもたちが集まって、文化も価値観も違う中でぶつかりあいながら成長して」

「そうだな。あの環境を用意してくれた両親に、感謝してるよ」

「私も。だから、息子に同じことをしてあげたかった」

― 息子を自分と同じようにインターナショナルスクールに通わせたい。そのためには経済力はいくらあってもいい。

その思いで、仕事に復帰した。

しかし、母親としての役目を果たしたかったさくらは、家庭との両立を優先して管理部門に異動したのだった。

外資コンサルでバリバリ働き、出世して責任範囲も増え、年収2,000万以上稼ぐ瑛太。

一方、管理部門での時短勤務にシフトしたさくらの年収は600万円程度。出世は見込めず、仕事の範囲も給与の上がり幅も限られている。

― 息子との時間を大切にしたいし、職場にも迷惑はかけたくない。だから、これが最善策。これ以上はできない。…わかってる。でも。

自分が事実上キャリアを断念したという現実に落ち込んださくらは、徐々に深まっていく瑛太との溝を、埋めることができなかった。

そして、息子の小学校入学を待って、さくらと瑛太は離婚した。

今まで息子が通っていたプリスクールの学費は年間150万円強だったが、小学1年生にあたるGrade1からは年間300万円近くかかる。

加えて、受験料、会費、入学金、建築メンテナンス代…。さくらひとりの財力で、これらを賄うことは現実的ではない。

シングルマザーになったさくらには、息子を高額なインターナショナルスクールへ進学させる夢を、叶えることはできなかった。

「でも、息子は異文化に興味があるみたい。洋書とか外国の画集や写真集が、部屋に溢れてるのよ」

「はは。外国が好きなのか。さくらに似てるな」

譲司の言葉を聞いて、ますます「息子にグローバルな教育環境を用意してあげたかった」という想いが込み上げる。

「そんなところばかり似ちゃってね。私、どこかで間違えたかなぁ…」

あのとき、無理に職場復帰しなかったら。

瑛太に嫉妬なんてしなかったら。

離婚なんてせず、息子はインターナショナルスクールに通い、家族3人仲良く暮らしていたのだろうか──。




にわかに表情をくもらせたさくらに、譲司は優しい声をかける。

「…さくらは、ベストだと思う選択をしてきたんだろ。後悔する必要はない」

「…」

「俺だって、もしもあのとき、と思うことはあるよ。例えば、あのとき日本を離れずに…さくらと一緒にいたら、今ごろ家庭のある生活を送っていたのかもしれない。とかね」

そう言ってイタズラっぽく笑う譲司に、さくらは思わず顔を綻ばせる。

「ふふ。でもなんか、譲司らしくないね」

「だろ。俺は自分の選んだ道を誇らしく思うし、ベストな選択をした。だから今、幸せだよ」

さくらはそれを聞いて、「今、自分は幸せか?」と考えた。

― 確かに。今わたし、幸せだ。

最愛の息子が、元気でそばにいる。

息子に刺激を受けて、少しでも外国との接点を持ちたいと外務省へ転職もした。

仕事はやりがいがあり、まだまだ自分に成長の余地も感じる。

「そうだね。ベストな選択だった。今、幸せだよ」

「俺たちは、間違ってなかったってことだな」

10代で迎えたふたりの離別は、無駄ではなかった。

それぞれが幸せに自分の人生を生きている、と悟った譲司とさくらは、満足そうに顔を綻ばせた。

譲司との食事を終えて帰宅したさくらは、息子の部屋へと向かった。

「ただいま」と声をかけながら部屋を覗くと、息子は米国のビジネス誌を眺めているところだった。

「おかえり。母さん、これって日本人だよね?」

そう言いながら掲げたページは、ドイツのスポーツブランドの広告クリエイティブを手がけた譲司のインタビュー記事だ。

「うん。日本人のデザイナーだよ」

「そっかぁ…。僕も将来、日本の枠を超えて、世界で活躍したいな」

そう遠くない未来の夢を、母に語る息子。その瞳は、キラキラと輝いている。

さくらはこの光景に、自分自身が今幸せであることをあらためて実感した。

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