若新雄純氏

写真拡大

 茶髪に色付きメガネがトレードマークのタレント学者といえば、慶應大学特任准教授の若新雄純氏(通称・「わかしん。」年齢非公表)である。同氏が慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に通う大学院生だった時代、16歳の高校2年生と半同棲生活を送り、その間、浮気などに悩んだ少女が自殺未遂騒動を起こしていたことが「週刊新潮」の取材でわかった。

 ***

【写真を見る】コスプレにカラオケ! JKたちに囲まれ喜色満面の若新雄純氏

「意識高い系」学生グループ内では「みんな知っていた」

 若新氏は慶応SFCにある政策・メディア研究科特任准教授。夕方の情報番組「Nスタ」(TBS)で毎週、ニュースを解説している。昨年3月までは4年半の長きにわたり、「大下容子ワイド!スクランブル」(テレ朝)のレギュラーコメンテーターを務めた。その他「サンデー・ジャポン」(TBS)、「DayDay.」(日テレ)、「ビートたけしのTVタックル」(テレ朝)などの人気番組に多数出演。忙しなく各局を走り回る日々だ。

若新雄純氏

「彼はSFCの大学院2年生だった25歳くらいの頃、16歳の女子高生と半同棲生活を送っていたのです。彼女は若新と出会ったばかりにボロボロに傷つけられ、最後は忽然と私たちの前から姿を消した。あの当時、彼が所属していたコミュニティにいた人はみんな知っていることですよ」

 こんな情報を寄せたのは、とある慶応OBだった。25歳と16歳の男女の交際。この関係を聞けば、誰しも「淫行」の二文字を思い浮かべるだろう。

「いわゆる『意識高い系』の学生グループ内で、彼は知られた存在でした。起業に憧れる学生が多く、勉強会、講演会などと称し、みんなお洒落感覚でよく群れていて、彼は酒が飲めないのですけれど、いつもそこにいた印象です」(事情通のX氏)

2度目のデート後、男女の関係に

 そこに迷い込んでしまったのが当時16歳の女子高生だったA子さんだ。

「複雑な家庭環境で育った女の子だった。母親とは折り合いが悪く、家に居場所がない。けれど逆境に負けまいと、SFCに合格することを夢見て勉学に励んでいた」(知人女性)

 彼女が若新氏と出会うのは2008年9月頃。場所は東京・渋谷で催されたパーティーだった。当時、菅直人元首相の秘書で、後に衆議院議員になった中谷一馬氏の誕生日パーティーである。

 中谷氏は取材に「200〜300人参加したパーティーだったので、A子さんが参加していたかどうかはわからない。A子さんの名前に記憶があるが、ほとんど接点がなく、2人の関係性も知らない」と答えた。

 パーティーから帰ったA子さんは、名刺をもらった一人ひとりに御礼のメールを送った。すると若新氏から「今度パフェ食べにいかない?」と、誘いのメールが届いた。その日は新宿で会ってレストランで食事し、パフェを食べて別れた。が、若新氏が間もなく誘ってきた2度目のデートで東京ディズニーシーに行った後、事態は急展開する。

「その帰り、A子さんは、若新氏がタワマンに転居する前に住んでいた新宿2丁目のマンションに連れ込まれ、男女の仲になった」(X氏)

浮気と「タカリ癖」に悩んでいた

 以後、A子さんは彼の部屋で寝泊まりするようになり、半同棲生活が始まった。

「母親はA子さんの外泊を認めてはいましたが、放置していた形。家出少女を自宅に泊めていた若新氏は一時、A子さんに合鍵まで預けていた」(同)

 新たな居場所を見つけたA子さんは、交際当初は浮かれていた。だが、次第に心を病んでいった。原因の一つは、若新氏の浮気である。

「彼と部屋にいる間、突然入ってきた女性と鉢合わせになったこともあったそうです。知らない女の衣服や化粧品が見つかったりして、その度、修羅場になった」(前出・知人女性)

 また、A子さんが若新氏の「タカリ癖」に悩んでいたという証言も複数から得られた。若新氏は高校生のA子さんに“お金ちょうだい”と言って、度々金銭を要求していた。

 交際が始まってから4か月ほど経過した頃、事件は起きた。09年2月、A子さんは若新氏の自宅に1人でいる時、精神科で処方された薬を過剰服用、いわゆるオーバードーズで自殺を図ったのだ。第一発見者は深夜帰宅した若新氏だった。幸い命に別条はなかったが、その後も交際関係が続いた。結局、1年ほどで関係が破綻したが、その後もずるずるとA子さんが大学を卒業するまで男女関係は続いていた。

福井県鯖江市で「JK課」をプロデュース

 元テレビ朝日法務部長の西脇亨輔弁護士によれば、

「18歳未満との男女の関係は『淫行』として青少年保護育成条例に違反する場合があります。結婚を前提とした『真剣交際』等は除外されますが、『単に性的欲望を満足させるため』だと条例違反というのが最高裁判例の基準です」

 この問題を語る上で、忘れてはならないのは若新氏がA子さんと別れた後の14年、福井県鯖江市で「JK課」をプロデュースしたことである。

 そのネーミングと、地方創生にあたって女子高生に街づくりを託すという斬新なアイデアで、彼は一躍メディアの脚光を浴びた。事業や、若新氏と女子高生たちとの交流は10年経った今も続き、若新氏のSNSには、女子高生と「お泊まり会」やカラオケの会を催し、親しく触れ合う写真が数多くアップされている。

 2時間の取材に応じた若新氏は、自分からA子さんを誘い、2〜3回目のデートで関係を結び、それから約1年間交際していたこと、オーバードーズ騒動があったことについては認めた。だが、浮気については否定。自宅に寝泊まりさせていたことは認めつつも、「合鍵までは渡していない」と一部否定した。

 金を無心していたことについては、

「お金を僕がですか? それは交際のなかで、例えば夕食をご馳走して、今日僕、いっぱいご馳走したんだから、デザートくらい奢ってよみたいなやり取りはあったとは思いますよ」

 などと、実際に受け取ったことまではないと否定した。

50回も「真剣交際だった」と連呼

 若新氏は「真剣交際だった」と連呼した。2時間の間、彼が口にした「真剣」は50回を数えた。そのうえで、「真剣」かつ「母親の同意を得ていたから」、未成年者との交際であっても問題ないとの認識を示した。「あなたにとっての真剣交際とはどういうことなのか」と記者が問うと、

「お互い抱えている悩みを共有し合う関係じゃないですか。真剣だからこそオーバードーズしたときに救急車を呼んだし、彼女の家庭環境を知っても別れたりしなかったんです。当時は僕なりに真剣に交際していました」

 鯖江市の女子高生がこの話を聞いてどう思うか、との問いには「説明すれば納得してくれると思います」と答えた。

 慶應大学に質問状を送ると、「調査中のため、コメントできません」との回答だった。今後、若新氏が出演しているテレビ各局がどう対応するかが注目される。

 取材班はA子さん本人にも接触。当初は「今は幸せに暮らしており、彼のことは何とも思っていない」と答えたが、若新氏が自殺未遂騒動の時に取った“信じがたい行動”を聞いてからは気持ちが変わり、事実確認に協力してくれた。A子さんの母親も取材に答えたが、「同意を得ていた」と主張するには苦しい内容だった。

 1月25日発売の「週刊新潮」では、A子さんの母親や複数の知人たちの証言の詳細を紹介。A子さんが精神を病んでいった経緯、オーバードーズ事件が起きた時に若新氏が取った“信じがたい行動”、2時間の取材で若新氏が語った「真剣交際」について、4ページにわたって伝えている。

「週刊新潮」2024年2月1日号 掲載