くも膜下出血を発症後、高次脳機能障害と診断されたイサオさん。家族に対して怒りっぽくなったというが、取材中は終始知的で穏やかだった。高次脳機能障害が「見えない障害」といわれるゆえんである(編集部撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

パン工場での夜勤アルバイトを終えて帰路につく。街はまだ夜明け前だ。自宅は東京郊外の高級分譲マンション。最寄駅はまもなく会社に出勤する人たちでごったがえすだろう。道すがら、ふと自分だけが人の流れと逆行しているような気持ちになる。

手入れの行き届いた植え込みとガラス張りのエントランス、3LDKの居室。イサオさん(仮名、57歳)が15年ほど前に約4000万円でこのマンションを買ったときは、自動車部品メーカーに勤める会社員だった。年収は約900万円。「妻がすごく喜んでくれたのを覚えています」。

もう一度、妻とここで暮らしたい

その妻が離婚を求め、子どもたちと一緒に出て行ったのは3年前。以来、ずっと独り暮らしだ。今は時給の高い夜勤のアルバイトを掛け持ちしており、収入は月30万円ほどになるが、その半分はローンの返済と管理費に消えていく。それでも、イサオさんがマンションを手放さない理由はただひとつ。

「もう一度、妻とここで暮らしたい」

人生の歯車が狂い始めたきっかけはなんだったのか。イサオさんは「くも膜下出血で倒れたのが10年前になります」と語り始めた。

当時は地方に単身赴任をしていたが、たまたま自宅に戻っていたときに発症したことから一命をとりとめた。目に見える後遺症はなく、数カ月で復職。再び単身赴任生活が始まった。日常が戻ってきたように思われたが、イサオさん自身は明らかな異変を感じていた。

「今までできていたことができなくなったんです。イライラすることが増え、感情の起伏も激しくなりました。何かがおかしい。以前の自分とは違う。そんな不安が募りました」

イサオさんの仕事は代理店向けの営業や現場での施工指導だったが、複数の業務を掛け持ちすることが難しくなった。いわゆるマルチタスクができなくなったのだという。

また、街中で前方から歩いてくる人と肩がぶつかってトラブルになり、一緒にいた同僚を驚かせたこともあった。「ほんの少し私が譲ればすむのに、自分からぶつかっていく感じ。以前の私なら考えられないことでした。もともとはそういうトラブルを取りなす側の人間でしたから」。

経済的DV、そしてギャンブル依存へ

イライラの矛先は家族にも向かった。妻に対する言葉遣いが荒くなり、激高して壁を殴ったことも。反抗期の子どもとは些細なことから取っ組み合いになったり、胸ぐらをつかんで壁に押し付けたりした。家族との溝が広がっていく様子を、イサオさんが振り返る。

「単身赴任先に戻るとき、最初のころは家族全員で駅まで見送りにきてくれていたんです。でも、次第にそれがなくなって。東京の家に帰っても居場所がなくなり、リビングで1人で寝るようになりました。一言も会話のないまま赴任先に戻ることもありました」

イサオさんにとって何よりこたえたのは妻からセックスを拒まれるようになったことだ。「この状態が続くなら離婚も考える」という旨のメールも送ってみたが、返事はなかったという。そして業を煮やしたイサオさんが取った手段は、給料の送金をやめることだった。

そもそもイサオさんには離婚の意思はなく、送金停止はセックスレスをなんとかしたいという一心からだったという。しかし、生活費を渡さないことは経済的DVでもある。結局、“兵糧攻め”は2年に及んだが、事態が改善することはなかった。

加えてイサオさんはストレスのはけ口を求めるかのようにギャンブルに依存するようになった。「競馬です。(くも膜下出血発症前から)パチンコはしていましたが、消費者金融でお金を借りたのは初めてでした」と打ち明ける。このときの借金は300万円にのぼった。

さらに負の連鎖は続く。

3年前、イサオさんは会社を辞めた。単身赴任生活が続くことへの不安や、「家族のもとに帰りたい」という思いがあったのだという。ちょうど会社が早期退職者を募集するタイミングとも重なった。家族からは反対されたが、最後はそれを押し切って退職した。

しかし、家族と同居したことで摩擦は一層深刻化した。そして退職から数カ月後、突然、警察署からイサオさんの携帯に電話がかかってくる。生活安全課の刑事だと名乗る男が「家族から相談を受けているので、いますぐ出頭するように」という。納得できないまま署に出向くと、今度は「医療保護入院をしないと帰さない」と言われた。

警察から「このまま帰すことはできない」

「医療保護入院」とは、精神保健福祉法が定める強制入院制度のひとつ。家族1人の同意と精神保健指定医1人の診断があれば、本人の同意がなくても入院させることができる。「任意入院」と、都道府県知事の権限などで行われる「措置入院」の中間にあたり、精神科病院の入院の半数を占める。日本特有の制度でもあり、国連からはこうした強制入院に対する改善勧告も出されている。

イサオさんは机をたたくなどして抵抗したものの、警察側は「このまま帰すことはできない」の一点張り。最後は根負けしてパトカーに乗り込み、そのまま精神科病院に移送された。当時の状況について、イサオさんは次のように語る。

「家族が見ているところでわざと砥石で包丁を研いだり、『この家を事故物件にしてやる』と言ったりはしました。子どもに対する(取っ組み合いや胸ぐらをつかむなどの)振る舞いも、妻の目には虐待と映ったのかもしれません。でも、妻に手を上げたことは一度もありませんし、警察沙汰になったこともありません」

イサオさんの話が事実なら、やはり強制入院は行き過ぎだし、警察の対応も民事不介入の原則に照らせば完全な越権行為である。

イサオさんは医療保護入院について「拉致監禁も同然」と憤る一方で、「借金や、私の感情の起伏が激しくなったせいで迷惑をかけたことに対する罰として受け入れなければならないのかなとも思いました」と揺れる心情を吐露した。

ただ入院中は大きな転機もあった。くも膜下出血が原因の高次脳機能障害という診断を受けたのだ。高次脳機能障害とは、脳卒中や交通事故などにより脳が傷ついたことによって生じる認知機能障害のこと。新しいことが覚えられない、集中できない、計画通りに行動できない、怒りっぽくなるといったさまざまな症状がある。

残ったのは障害者手帳と借金だけ

イサオさんにとっては思い当たることばかり。皮肉なことに強制入院の結果、10年近くさいなまれてきた「以前の自分ではなくなった」という不安の正体が明らかになった。これにより毎月約6万円の障害年金を受け取れるようにもなったという。

一方で入院期間は2カ月に及んだ。自宅に帰ると、すでに妻と子どもたちの姿はなく、荷物も運びだされた後だった。ほどなくして妻から離婚調停を申し立てられたが、イサオさんはこれを拒否。子どもたちはすでに成人しており、イサオさんは婚姻分担費用として毎月1万5000円を払い続けているという。

イサオさんは自嘲気味に「残ったのは障害者手帳と借金だけです」と言った。


最近読み始めたという、脳卒中の後遺症と向き合う人たちの実話を基に描いた小説「片翼チャンピオン」。イサオさんが今回取材を受けた理由も「同じような境遇で生きている人に自分のことを知ってほしいと思ったから」だという(編集部撮影)

自動車部品メーカーを辞めてからの就職活動は難航している。複数の会社に勤めたものの、いずれも短期間で退社。今は生活とローンの支払いのため携帯のバイトアプリを使い、夜間のパン工場など毎月20日前後の夜勤仕事を掛け持ちしている。収入自体は悪くないが、連日の夜勤による体への負担は小さくない。工場側の都合次第では月20日間働ける保証はないし、いつ雇い止めにされるかもわからない。この間も風俗店やラブホテルの夜間のフロント業務に応募したが、採用には至らなかった。

「もう普通の就職は難しいかもしれない。最近はこのままアルバイトを掛け持ちするしかないと思うようになりました。家族に戻ってきてもらうためには、がんばり続けるしかない」

イサオさんの話を聞いて思った。誰を責めることもできないと。

くも膜下出血は誰しもが遭遇する可能性がある。イサオさんは「(以前の勤務先は)単身赴任の多い会社ではありましたが、激務ではありませんでした」といい、くも膜下出血と労務環境の因果関係を否定する。見た目でわからない高次脳機能障害への理解はいまだに十分とはいえず、診断されるまでの10年間はイサオさんも不安だったろうが、家族もつらかったはずだ。

偶然妻を見かけたが、声はかけなかった

家族との関係は修復できそうですか? そう聞いてみた。イサオさんは少し間を空けて「難しいと思います」と答えた。そしてこう続ける。

「しばらくは別居先の妻の住まいに手土産や、誕生日に花を送ったりしましたが、そのうち宛先不明で戻ってくるようになりました。住民票を調べたのですが、閲覧制限をかけられていました。実は一度だけ街中で偶然妻を見かけたことがあるんです。でも声はかけませんでした。私には会いたくないだろうなと思ったので」


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取材で話を聞いた日も、イサオさんは夜勤で、出勤前に一度自宅に戻るという。いつも帰り道の途中にある神社に立ち寄り、家族が戻ってくるようにと願って100円を賽銭箱に入れるのだと教えてくれた。この日もお参りするのだといい、「もういくら費やしたかわかりません」と笑う。

イサオさんの手に握られた100円玉と、だれも帰りを待つ人がいない高級マンション。絶望とわずかな希望が交錯する。

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(藤田 和恵 : ジャーナリスト)