大谷翔平選手は大リーグのドジャースと10年7億ドル(約1015億円)という「スポーツ史上最高額」の契約を結んだ。スポーツジャーナリストの木崎英夫さんは「ドジャースは伝統的に、勝利を求めるだけでなく、社会貢献を意識している球団だ。大谷選手は、巨額の契約金よりも、球団のそうした姿勢を評価したのだろう」という――。
写真=Sipa USA/時事通信フォト
ロサンゼルス・ドジャースの記者会見で紹介される大谷翔平(=2023年12月14日、ロサンゼルス) - 写真=Sipa USA/時事通信フォト

■大谷翔平の「スポーツ史上最高契約」で最も特異的だったこと

12月9日(日本時間10日)に、大谷翔平投手(29)とドジャースとの間で基本合意が発表されると、「世界のスポーツ史上最高額」の契約が明らかにされた。10年総額7億ドル(約1015億円、当時のレートで計算。以下同)である。莫大(ばくだい)な額だけに、金額絡みの情報が続いた。

大谷の契約は巨額のほとんどを受け取らずに「後払い」にするところに特異さがある。おさらいをすると……。

契約期間内の年俸は総額のわずか3%の200万ドル(約2億9000万円)。10年後の2034年〜43年に、残りの6億8000万ドル(約986億円)が無利子で支払われる「後払い」方式。一般的に、後払い分の分割割合は20%前後といわれるだけに、97%を繰り延べ払いにするこの契約がいかに異例であるかがわかる。

14日(同15日)にドジャースタジアムで会見を行った大谷は、後払いになった理由をこう述べている。

「自分が今受け取れる金額を我慢してペイロール(チーム年俸総額)に柔軟性を持たせられるのであれば僕は全然、後払いでいいです、というのが始まりですかね」

なぜこのような受け取り方にしたのかということが「柔軟性」ではっきりとわかる。メジャーでは、球団の総年俸が規定の額を超えると、リーグに課徴金(ぜいたく税)を支払う必要がある。来季は2億3700万ドル(約344億円)が規定額とされるため、本来の大谷の年俸(7億ドル÷10年=7000万ドル)だけで29・5%を占めてしまう。残り約70%でメジャー40人枠の39人分を支払うことになり負担度が大きい。

■契約してなお35億円が浮く

昨年、ドジャースは課税対象となったチームで最も多い約3200万ドル(約46億4000万円)のぜいたく税を支払っている。この制度は、初めて規定額を上回った球団は超過分の20%、2年連続なら30%。そして3年連続の場合は50%に税率は跳ね上がる。ドジャースは2021年も対象となっていたため、30%の課税となった。

今回の大谷が選択した後払いだとどうなるのか。本来の年俸分の7000万ドル(約101億5000万円)から実質年俸200万ドル(約2億9000万円)を引く単純計算にはならない。

繰り延べがある場合は、契約の総額を現在価値で計算する。ぜいたく税の計算上では、インフレ率と減価償却費(物価上昇とその影響で変わる貨幣価値)を加味するため、大谷の来季年俸は4600万ドル(約67億円)となる。

つまり、大谷が後払いを選択したことにより、球団は2400万ドル(7000万ドル−4600万ドル。約35億円)が浮くことになり、これが大谷以外の残り39人分の年俸に充てやすく、常勝に向け補強しやすくなる。

来季からの大谷の年俸は、本来の額より約98.6億円も減る「我慢」になるが、この点にニューヨーク・ポスト紙が歯切れのいい見解を示している。

「巨額な繰り延べ払いに同意できたのは推測で5000万ドル(約72億円)近くのフィールド外の収益があるため」(ニューヨーク・ポスト電子版12月11日配信記事より)

■なぜドジャースにはお金があるのか

大谷は、今春に米経済誌フォーブスが発表したメジャー選手の年俸“外”収入ランクで3500万ドル(約51億8000万円)の堂々1位。超人気球団移籍で存在感が増すばかりの大谷のエンドースメント(CM出演、企業の肖像権利用やグッズの商品化権など)は、今後、さらに大きな広がりが見込める。

一方、球団への経済効果も必至。ドジャースはメジャー屈指の優良企業。昨季の総収入5億6500万ドル(約819億円)は30球団で最高額。今年も順風満帆で、圧倒的な集客力で一頭地を抜く。

2023年の総観客数は約384万人で1位。1試合平均が4万7371人で、2位ヤンキースの4万862人を6509人も上回った。大谷の加入で、広告、チケット販売、駐車場料金、球場内の物品販売などの売り上げ増収も期待できる。

写真=iStock.com/Amy Sparwasser
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Amy Sparwasser

メジャー球団の収入源の5本柱となるのが、(1)チケット販売、(2)放映権料、(3)マーチャンダイジング(商品ロイヤリティと球場内物品販売)、(4)スポンサーシップ(映像や登録商標などの素材提供)、(5)その他(映像や写真の貸し出し、駐車場料金、イベント開催など)だが、その中で安定した経営を支えるのが放映権料である。

ドジャースは放映権料でも他を寄せつけない。米データサイト「FanGraphs」によると、ドジャースの地元テレビ放映権料は、年平均2億3900万ドル(約347億円)で1位。2位エンゼルスの1億3800万ドル(約200億円)を約1億ドルも上回っている。

■球団オーナーは33兆円を管理する

そもそもテレビの地元放映権料が1億ドルを超えているのは6球団だけ。その中で、ドジャースが抜きんでるのは、「タイムワーナー・ケーブル」社と結んだ2014年から25年間で総額約84億ドル(約8580億円)の大型契約が背景にある。

先に示したドジャースの総収入約819億円に次ぐのはヤンキースで4億8500万ドル(約703億円)。大谷の加入で東の名門との差はさらに広がる可能性がある。

こうして営業の諸相を見ると、メジャー屈指の人気球団ドジャースが大谷翔平獲りに1015億円もの巨額投資ができるのもうなずける。

付言すると、リーグの規定で来年からの後払い分には、“積み立て貯金”での資金確保が求められる。開始は2年以内から。つまり、支払い開始は10年後でも、26年から6800万ドル(約98億6000万円)の用意を毎年しなければならないが、安定した収入源から万端の準備が進められる。

ドジャースの運営は「グッゲンハイム・ベースボール・マネージメント」が行っている。オーナーはマーク・ウォルター氏(63)。約3000億ドル(約33兆円)を管理するグローバルな資産運用会社「グッゲンハイム・パートナーズ」の最高経営責任者(CEO)であり、同グループは株式や債券、商業用不動産、エネルギー産業などへの投資のほか、保険会社も有し堅実な運用実績を誇っている。

■大谷の言葉に隠していたドジャースへの思い

会見で移籍決断の決め手を問われた大谷は言った。

「心に残っている言葉として、オーナーのマーク・ウォルターさんも含めて、ドジャースが経験してきたこの10年間を彼らはまったく成功ではない、ということはおっしゃられていたので、それだけ勝ちたいという意思がみんな強いんだなというのは、心に残ったかなと思います」

世界一の証“優勝リング”が「優先順位でいちばん上にある」とも言った。エンゼルス時代は1度も短期決戦の美酒を味わえず「もっともっと楽しい、ヒリヒリするような9月を過ごしたい」と本音を漏らした。

ウォルター氏率いるドジャースも「常勝軍団」のたしなみはまだもてていない。今季まで11年連続でポストシーズンに進出しながら、世界一の座をつかんだのはコロナ禍で60試合制に短縮された2020年の1度だけ。

戦力補強に出し惜しみをしない球団と、戦力向上に自ら後払いを申し出た選手との間で成立した「世紀の契約」。その結びを“勝利への渇望”とすればすんなりと収まる。が、大谷はこの契約の深淵に届くものを封印していた気がする――。

歴史に彩られた名門ドジャースには築き上げてきた理念がある。それは、球団の来歴に滲んだ、2つの出来事につながってくる。

写真=iStock.com/webphotographeer
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/webphotographeer

■勝利の前に「道義」を重んじる

今年1月、ドジャースは、女性への暴行疑惑が表面化しDV規定違反で長期出場停止処分を受けたトレバー・バウアー投手(32)の放出を決断した。

バウアー投手は、昨年12月に異議の申し立てによる調停で処分期間が324試合から194試合に短縮され、ただちに復帰が可能になっていた。

3年契約最終年の今季に2250万ドル(約30億4000万円)の契約を残していたが、球団はそのほとんどを負担する形で契約解除に踏み切った。

フロント首脳陣は、大きな損失を覚悟した決定の理由をこう述べている。

「すべての情報を吟味し、トレバー自身からも話を聞いて、放出という決断に至った。正しい判断だったと考えている。われわれの判断に、非常に満足している」

端的な理由には、人格者として知られるウォルター・オーナーの意思が色濃く映る。

ウォルター氏は金融分野での成功を土台にいくつもの慈善団体を立ち上げ、低所得の若者たちが苦しむ機会均等の格差をなくすための支援などのほか、キンブラ夫人とともに動物愛護活動にも熱心だ。

フロリダに1万7000エーカー(東京ドーム1472個分)の土地を購入し、絶滅危惧動物の保護区を設けている。ウォルター氏の価値観の基底には社会的公正がある。件の決断からは「道義にもとる」という人格者のメッセージを汲み出すことも可能だ。

30億円を“捨てる”堅靭(けんじん)な意思決定には、名門ドジャースの誇りを引き継ぐ覚悟もあったからではなかったか――ここに筆を伸ばしたい。

■有名OBでも躊躇なく解雇する

1995年、史上2人目の日本人メジャーリーガー、野茂英雄を誕生させた時のドジャースのオーナーは、ピーター・オマリー氏だ。

オマリー氏は1970年から98年の球団売却まで29年間にわたり経営のトップを務めた。家庭的な温かみのある経営姿勢は「ドジャー・ウェイ」と呼ばれ、経済誌フォーチュンによる「働きやすい会社ベスト100」で3度、トップス社が発表する年間最優秀団体に5度選出されている。

温厚で物腰の柔らかい人柄でチームの繁栄を支えてきたピーター・オマリー氏。誰もが紳士と語るその彼に怒気が突き上げたのは87年のことだった。腹心のアル・カンパニスGMが起こした「舌禍事件」である。

4月6日、それはヒューストンで行われたアストロズとの開幕戦直後に起きた。カンパニスGMは全国ネット局ABCの報道番組「Nightline」に出演。

キャスターの「メジャー球団にはなぜ黒人GMがいないのか」の問いかけに、「必要なものを持ち合わせていないから」と返答。しかし、会話の文脈の中でそれが「能力」と受け取られ、発言の直後から局には抗議の電話が鳴り響いた。非難の声は決河の勢いでドジャースにも押し寄せ、辣腕(らつわん)GMは、放送からわずか2日後に辞任という事実上の解雇となった。

それから10年後の97年だった。記憶に残る光景がある。

ドジャースタジアムのメディア専用カフェで、仕事で行動をともにしていた伊東一雄氏(02年他界)が食事の手を止めた。視線の先には車椅子に座り手をふる老人がいた。カンパニス氏だった。「パンチョ」の愛称で親しまれたメジャーリーグ解説の第一人者は大粒の涙を流した。「来日したとき、いっしょに旅行をしたんだよ」。くぐもった声は今も耳に残る。

日本シリーズ不滅の9連覇を達成した川上・巨人軍が教科書とした名著『ドジャースの戦法』を上梓し、81年の世界一制覇を含め4度のワールドシリーズ進出を果たした名GMは、黒人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンとマイナー時代に二遊間を組み昵懇の仲となったが、皮肉にも人種差別的な失言で球界を追われた。

■ドジャースの球団としての姿勢

ドジャースは1883年、ニューヨークのブルックリン・ドジャースとして発足。ライバルのヤンキースと地元ファンを二分していたが、新球場建設を巡る土地問題で市当局と対立。

1958年に決然として現在のロサンゼルスに本拠地を移した。1950年からオーナーとなったオマリー家は大資本を入れず、伝統的な一族経営による野球専業球団として新天地で躍進。利潤追求に偏らず、地域社会への貢献を目指した。

「経営は実利や実益に直結すべし」とするオーナーが多くいた中で、ドジャースにはブルックリン時代から育んできた理念「正しいやりかた」を守り抜くプライドがある。辣腕GMアル・カンパニスの電撃解任劇はそれを物語っている。

■契約解除の条項にあった「大谷の人間観」

ただ「勝ちたい」の無垢な思いから始まったドジャース移籍に、大谷はそれを担保するための「特記事項」を書き込んでいる。ウォルター・オーナーとアンドルー・フリードマン編成本部長(47)の現体制維持を求める人事の条件だ。

「ロサンゼルス・ドジャースに入団すると同時に、メインのこの二方(オーナーと編成本部長)と契約するという形ですし。そこがもし崩れるのであれば、この契約自体も崩れることになる」

エンゼルス在籍時には指揮官が6年で4度も変わりGMの交代もあった。さらには、モレノ球団オーナーが売却を示唆するという不安定極まりない状況を経験している。

傘下の下部組織では有望な若手もなかなか育たず、組織の弱体化は上層部の揺らぎから来るということを大谷は思い知った。「二方」のどちらかが欠けた場合、自ら退団できるオプトアウト(契約解除)の付帯条項を求めたのも何ら不思議ではない。

潤沢な資金に頼らずトレードでの戦力向上も図るのが、フリードマン氏だ。マイナーの指導体制も整備し、効果的な野球組織作りに長ける。

大学時代に肩の怪我で野球を断念。その苦い経験を仕事に生かしてきた。低予算の弱小チームだったタンパベイ・レイズのGM時代には就任から3年目の08年にワールドシリーズ進出を果たしている。チーム躍進に大きく貢献していた岩村明憲は「選手の心情に寄り添える人」とフリードマン氏を絶賛した。

大谷が希望した契約解除の条項に彼の人間観を感じ取った。「世紀の契約」には、「正しいやりかた」を信条とする、信頼できる両氏と一蓮托生(いちれんたくしょう)で世界一を目指すという文脈がある。

■社会への貢献という共通項

1954年に出版された『ドジャースの戦法』の序文には、時のウォルター・オマリー球団オーナーが記したこんな一節がある。

「ここ数年、ドジャースはアマチュア野球の助成のために、年間5万ドルを投じてきた。この金額の大部分は、少年たちの草野球の道具を買いととのえることに使われる」

分厚い時を経て、大谷はウォルター・オマリー氏の文をなぞってみせた――。

去る11月9日、大谷は更新した自身のインスタグラムで、日本全国のすべての小学校2万校にジュニア用グラブ3個ずつ、計約6万個を寄贈することを発表。「このグローブが、私たちの次の世代に夢を与え、勇気づけるためのシンボルとなることを望んでいます」と思いを綴っている。

大谷翔平は新天地にドジャースを選び、ドジャースは名門にふさわしい大谷翔平を選んだ。

----------
木崎 英夫(きざき・ひでお)
スポーツジャーナリスト
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続けるフリーランス・スポーツジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、現在は野球専門サイトFull-Countの現地記者として活動するほか、多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。日本ではラジオ・テレビ番組のナビゲーターとして11年間活動。2004年には、年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たした。レンジャーズで抑えを務めた大塚晶則の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。シアトル在住。
----------

(スポーツジャーナリスト 木崎 英夫)