何歳になっても、仕事を続けている女性たちがいます。もちろん、体力的にも精神的にも、若い頃のようにはいかないかもしれません。それでも、自分にできることを続けてゆく。生きている限り、時間と能力が許す限り働きたい。そんな人たちの生き方や働き方についてお話を伺います。今回紹介するのは、『ぼっち死の館』(小学館刊)で注目される、団地でひとり暮らしをする77歳の漫画家・齋藤なずなさんです。インタビューと、『ぼっち死の館』第一話の後半をご紹介します。

77歳、波乱万丈だった漫画家人生。私生活も介護の日々

美大や専門学校を出たわけでもなく、たまたま就職した先で絵を描くようになり、40歳で漫画家デビューした齋藤さん。その私生活も山あり谷ありでした。
「夫はほんとにダメ男で(笑)。私より10歳年上だったんですけど、まあ、文句を言うばかりで働かなくてねえ」
自虐的に笑う齋藤さんですが、夫を献身的に介護して見送る経験もしています。40歳、遅咲きの大型新人として漫画家デビュー。団地の一室が本格的な漫画部屋になりました。そんなある日、夫が病に倒れ、仕事と介護を両立することになったのです。

【写真】自宅で漫画塾をする齋藤さん

「前に住んでいた棟はエレベータの前に階段があったから車いすじゃムリ。そこで、スロープのついている今の棟に引っ越したんです。それが21年前」

日当たりのいいリビングルームを介護部屋にしました。

「私の部屋は仕事部屋兼寝室。ロフトベッドの下に仕事机を置いて、はしごをよじ登ればそこはベッド。究極の職住接近です。廊下越しに夫の気配はわかるから、なにかあればすぐに飛んでいく。そんな毎日でした」

●介護ヘルパーを活用しながら毎週の京都通い!

日本でも珍しい、漫画学部のある京都精華大学での講師の仕事も始まっていました。さすがに日帰りとはいかず、二泊三日の京都出張が毎週です。
「夫にはショートステイに行ってもらいたかったんですけど、どうしても家がいい! ってきかなくて。仕方がないから夕方ヘルパーさんに来てもらって、夜にも別の方に見回りしてもらって、翌朝もいちばんに来てもらって…。フル稼働でお願いしてなんとかしのぎました」

それでも齋藤さんが忙しい日は、ショートステイに行ってもらうこともありました。

「帰って来て開口一番、『汚ねぇババアばっかりだった!』なんて。そういうアンタだって汚ねぇジジイじゃないのよ! って言い返したもんです(笑)」

今も齋藤さんと暮らす2匹の猫たちは、そんな夫との共通の話題でした。
「あんな人でも猫だけはかわいがってました。そのおかげで最期まで一緒にいられたような気がします」

●人生が作品に反映されるので「もう恋愛ものは無理だわ」

大学講師の仕事は60歳から74歳まで、15年間続きました。その間には夫を見送ったり、漫画で大きな賞を受賞したり。
「今は自宅で漫画塾を開いています。まったくの初心者もいれば、すでにデビューしている人もいる。下は10歳の小学生から上は65歳のおじさんまで。みんな絵はそこそこ描けるんですよ。でも、ストーリーをつくりなさい、っていうと、とたんに手がとまる。そこが難しいところなんですよね」

人生で経験したこと。そのときに感じた心模様。人の心理や反応。そうしたすべてが、作品には反映されます。

「私が高齢者をテーマに描くのは自然なことなんですよ。逆に今から恋愛ものを描くなんて絶対無理(笑)。若い人にもいつも言うんです。『今のその気持ち、覚えておきなよ。いつかきっと役に立つ日がくるから』って」

●ひとりは不安だけど、頼りになるのが団地のよさ

若い人たちと触れ合うことで、いまの「時代」を知ることもできる。近所の図書館では「友の会」にも参加しています。

「先日も、長年新聞社で記者をしていたっていう人から、国際情勢についての講義を受けたんです。顔見知りでも相手がどんな仕事をしているか、案外知らなかったりしますよね。でもじつはすごいキャリアの持ち主だったりするし、なんかしらのプロだったりもする。やっぱり人っておもしろいなあと思うんですよね」

齋藤さんの作品には、人と人のあつれきや葛藤、孤独死も出てきます。齋藤さん自身、数年前には軽い脳梗塞を経験しました。その時の様子は、漫画にも描きました。

「ひとりは気ままだけど、不安だし、寂しくもある。でも嘆いてばかりじゃしょうがないでしょ。みーんな似たり寄ったりですよ。だからこそ、人と触れ合うことでお互いが思いやれる。普段は相手の事情に踏み込まなくても、いざというときは気づかえる。頼りにできる。それが団地のよさかも知れません。前向きに生きていれば、大抵のことはどうにかなるもんです。大丈夫、心配いらないよ。それを伝えたくて漫画を描いてるのかもしれません」

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