自民党幹部「岸田政権は鵺(ぬえ)のような政権だ」…発足当初から不安を募らせていた故・安倍晋三が菅義偉にしていたお願いごと

2021年10月4日から発足した岸田政権。首相になる前から岸田文雄を取材し続けてきた記者を含む朝日新聞政治部が、その特性やクセ、官邸では誰が実質的な力を持っているのかなどに迫った。『鵺の政権 ドキュメント岸田官邸620日』(朝日新書) より、一部抜粋、再構成してお届けする。なお肩書などは取材当時のものである。

鵺のような政権

2021年12月12日、日曜日の首相公邸。上座についた首相の岸田文雄を秘書官たちが囲んだ。岸田はこの年の10月4日に首相に就任。初めて臨む衆院予算委員会を翌日に控えていた。焦点は、「10万円給付」だった。

子育て世帯を支援するため、児童手当の所得制限を超えた世帯をのぞき、18歳以下の子ども1人あたり10万円を給付する。過去最大の35兆円超に積み上がった補正予算などを使って、岸田政権が最初にぶち上げた現金給付策だ。

だが、新政権の「実績」を急ぐあまり、政策の意義も、制度設計もあいまいで、混乱の種になっていた。

年内に現金5万円を支給し、残り5万円分は翌年にクーポンとして渡す当初の案だと、事務作業にかかる費用が約1200億円に上ることが判明。地方自治体から「ニーズに合っていない」との批判も相次いだ。

12月8日、岸田は衆院代表質問への答弁で「全額現金給付」を容認した。それでも批判は収まらず、今度は分割給付に矛先が向いた。一問一答形式の予算委で岸田が集中砲火を浴びるのは目に見えていた。

混乱の最中の10日ごろ、財務省から岸田のもとに報告が入った。

自治体が年内に10万円を一括給付しても、後から国が5万円を補塡できる。岸田は言った。

「できるんだったらやればいいじゃん。自治体に迷惑かけるのはよくないしな」

そして12日。公邸では、自治体が現金一括給付をする際の条件が話し合われた。用意された資料には細かな条件が書き連ねられていた。

秘書官の一人がこぼした。

「これ、わかりにくいですね」

岸田は言った。

「そうだな。10万、年内、現金、一括、条件なし、でいこう」

政権の目玉政策は、あっさりとその姿を変えた。

受験生への対応「朝令暮改と言われようが……」

首相就任3カ月を迎えた22年1月4日、岸田は新年の伊勢参り後の記者会見で、自らの政権運営を誇った。

「一度物事を決めたとしても、状況が変化したならば、あるいは様々な議論が行われた結果を受けて、柔軟な対応をする。こういったことも躊躇してはならないと思っている」

しかし、「柔軟な対応」に伴う混乱は、「10万円給付」をめぐる方針転換ばかりではなかった。

混乱はその8日前にも起きていた。

年の瀬も押し迫った2021年12月27日、岸田は記者団を前に、切り出した。

「受験生の皆さんの間に不安が広がっている。こうした不安を重く受け止めて、私から別室受験を含め、できる限り受験機会を確保する方策について、昨日、文部科学相に検討を指示した」

新型コロナウイルスのオミクロン株感染者の濃厚接触者となった受験生への対応が問題になっていた。宿泊施設への滞在が求められている期間中は受験できず、追試験で対応するとの通知を文科省が12月24日に出し、批判が高まった。

岸田は文科省が決定したばかりの対応を覆すように指示したと述べ、「一両日中に具体的な方策を示せると考えている」と、むしろ胸を張った。

岸田が11月に出したオミクロン株の水際対策強化の指示をきっかけに、国土交通省が日本に到着する国際線の新規予約を12月末まで止めるよう航空会社に要請し、混乱した問題と構造は同じだ。

海外滞在の日本人が帰国できなくなる可能性が指摘されて批判が噴出すると、岸田は3日後に要請を撤回させた。官邸幹部は「みんな走りながらやっているからこうなる」と拙速さを認めた。

ワクチンの3回目接種でも、前倒し接種を求める声の高まりを受け、時期や対象など詳細を詰めきらぬまま前倒しを表明して地方自治体の混乱を招いた。

別の幹部は「軌道修正は当然だ。朝令暮改と言われようが妥当な判断だ」と話した。

自民党幹部「鵺みたいな政権だ」

このころ岸田が意識していたのは、自民党が政権に返り咲いた2012年以降、長期政権を築いた元首相の安倍晋三と前首相の菅義偉だ。両政権の行き過ぎた点や足らざる点を「反面教師」に自らの立ち位置を定めた。

安倍・菅政権下での「官邸主導」は、民主党政権の「決められない政治」を反面教師に、時に強引な対応で世論の反発を呼んだ。そして、コロナ対策の多くの局面で後手に回ったとの批判を浴び、急速に求心力を失って瓦解した。

それゆえ岸田は先手を打つことにこだわり、批判を受ければ、ためらうことなく方針を転じた。変わり身の早さを、自民党幹部はこう評した。

「鵺みたいな政権だ」

融通無碍を可能にしているのは、岸田自身のこだわりのなさだ。安倍や菅のように、自らが立てた旗を振って政策を推し進めようとはしない。党政調会長時代の岸田とともに仕事をした閣僚経験者は「受け身で、調整型。こだわりのなさから『無色』に映った」と振り返る。

だから時に野党の言い分も丸のみする。

内閣官房参与に任命した元自民党幹事長で盟友の石原伸晃が代表を務める政党支部が雇用調整助成金を受け取っていたことを問題視されると、わずか1週間でクビを切った。

高額な保管費用が批判された「アベノマスク」は、年度内に廃棄することを、自ら記者会見で発表した。結果的に争点を潰してしまうしたたかさに、野党からは「やりづらい」との声が漏れる。

「聞く力」を盾にした「安全運転」に、報道各社の世論調査は上向き傾向を示した。

12月の朝日新聞の調査では内閣支持率が49%で、10月の内閣発足直後の45%を上回った。首相官邸には、高揚感すら漂った。政権幹部は「もしかしたら長生きするかもしれない」と自信をのぞかせた。

ただ、柔軟さはもろ刃の剣でもある。羅針盤なき政策で不安定なかじ取りを重ねれば、政権は迷走するほかなく、そのツケは国民に及びかねない。そもそも求心力の源泉となる「旗」を持たない岸田には、遠心力が働きやすい。

安倍・菅両政権の中枢を務めたある議員は、岸田政権が内包する危うさに警鐘を鳴らした。

「一度決めたことが変わってしまうと、『首相の決定事項』という重さがなくなる。今後、国民に負担を求めるような厳しい政策に取り組むとき、ぐらつき、何も決められなくなるだろう」

見据えた「黄金の3年」

衆院選の勝利から1カ月後の2021年11月30日、自民党本部4階にある総裁執務室で、首相で総裁の岸田と副総裁の麻生太郎、幹事長の茂木敏充は参院選の投開票日を協議していた。

「参院側は、できるだけ早い方がいいと言っている」。

通常国会の召集日と参院選の日程を組み合わせた複数のシナリオを示した資料を手元に、岸田は述べた。

7月10日や17日、24日が投開票日候補だったが、事実上、10日を推した。17日だと若者の投票率が下がることが想定される3連休ということもあり、麻生は「今の自民党は若者の支持が強いですからねえ。投票率は森政権なら低いほうがいいが、いまは高いほうがいい」。

茂木は「公示日が沖縄慰霊の日(6月23日)と重なるので1日早めては」と述べ、政権が最重視する参院選の日程が固まっていった。

「官邸にいると情報が入ってこない」

歴代の自民党総裁は首相に就いてからは官邸にいることが多い。総裁執務室を活用する機会は少ないが、岸田は好んで足を運び、政権の重要課題を協議する。

2021年11月から12月に党本部に入ったのは13回。2020年の同じ時期に前首相の菅義偉が7回、19年に元首相の安倍晋三が1回だったのに比べて抜きんでている。

安倍・菅両政権では官邸の力が圧倒的で党の力が弱い「政高党低」と言われたが、ひずみも大きかった。

岸田自身も政調会長時代、党の意向が政府方針に反映されない場面があり、党内に不満がたまっていることを熟知している。総裁選では「政高党高」を打ち出していた。岸田は茂木とは直接会うだけでなく、週2回は電話で意思疎通を図った。

党を重視する事情は他にもある。

岸田は党内派閥「宏池会」の会長だが、勢力は党内5位(当時)。党主流派の支えがなければ、一気に政権を失う恐ろしさは、無派閥の菅が首相だった政権末期に目の当たりにしたばかりだ。

岸田は周囲に「官邸にいるとなかなか情報が入ってこない。意思疎通を図ることは大事だ」と話す。

党への配慮は欠かさない。「アジアで民主主義国のリーダーにならなきゃダメだ。そのために日本が(ボイコットを)言わなきゃ」

2021年12月23日、岸田は安倍から翌年の北京冬季五輪・パラリンピックを「外交ボイコット」するよう求められると、「近いうちに」と応じ、その翌日には政府関係者を派遣しない方針を表明した。

新型コロナウイルス対応で3回目のワクチンを医療従事者に接種してもらうことは前厚生労働相の田村憲久らが主導。「こども庁」の名称をめぐり党内や公明党から変更を求められると「こども家庭庁」に変えた。

かつての自民党政権のように党が強くなりすぎると、「権力の二重構造」や「透明性の確保」といった課題も再燃しかねないが、岸田に迷いはなかった。

見据えていたのは2022年夏の参院選。ここで勝利すれば、「黄金の3年」と呼ばれる国政選挙をしなくてもいい期間が手に入るとみられていた。

雇用保険料率の引き上げは先送りーー。当初予定していた引き上げ時期を春から秋に先送りすることが2021年12月末の予算編成の最中、急きょ決まった。これも党主導だった。

働き手や企業の負担が参院選直前に増えることを嫌った参院幹事長・世耕弘成の意向に官邸が即座に応じた。参院選に向けた不安材料を少しでも取り除くためだ。

通常国会では野党の反発を招く可能性がある法案は極力抑えた。首相周辺は「参院選まで、のらりくらりいく」と語った。

不満募らせる安倍氏、声を掛けた先は

2021年10月の衆院選では「絶対安定多数」の261議席を確保した。

党内への配慮の積み重ねもあって、永田町は表向き静かにみえるが、火種はあった。

最大派閥会長の安倍は、勢力が同数で第2位の派閥を率いる麻生や茂木ほどの処遇を受けているわけではなかった。

外交ボイコットも、早いタイミングで発すべきだと繰り返していたが、岸田はすぐに動かなかったため、不満を募らせていた。

菅周辺によると、その安倍はこの頃、菅に「早く派閥をつくったら?」と声をかけた。

安倍は岸田が同じ宏池会を源流とする麻生派や谷垣グループと一緒になる「大宏池会」構想を進めると警戒していたためだ。単純に足すと安倍派を上回る最大勢力となる。

菅に派閥をつくる考えはなかったが、政権中枢と距離ができている元幹事長の二階俊博が率いる二階派、前国会対策委員長(現選挙対策委員長)の森山裕率いる森山派などと連携する選択肢もあった。

与党が衆院選で勝っても次の参院選で負ければ、政権は暗礁に乗り上げる。過去に繰り返された歴史を意識しない与党政治家はいない。

菅に近いある議員は「参院選の結果次第で政局は大きく動くだろう」と語った。

文/朝日新聞政治部 写真/Shutterstock

『鵺の政権 ドキュメント岸田官邸620日』(朝日新書)

朝日新聞政治部 (著)

2023/9/13

\979

240ページ

ISBN:

978-4022952332

史上最も正体がつかめない政権の
ヴェールに包まれた虚像を浮き彫りにする!

岸田官邸の最大の危うさは、

政治ではなく行政のような

「状況追従主義」にある。

先手は打つが理念と熟慮に欠け求心力がなく、

稚拙な政策のツケはやがて国民に及ぶ--。

迷走する政権の深層を克明に捉えた、

「朝日新聞」大反響連載「岸田官邸の実像」、待望の書籍化!

<目次>

第1章 政権発足

第2章 オミクロン攻防

第3章 国葬の代償

第4章 辞任ドミノ

第5章 日韓外交

第6章 ウクライナ訪問の舞台裏

第7章 岸田官邸の実像

第8章 識者はどうみる

終章 G7広島サミット