昨年の為替介入水準まで円安が進んだ(編集部撮影)

お盆休みに入ってドル円相場は145円台に復帰し、断続的に年初来安値を更新している。かつて日本の盆休みは「円高の夏」として警戒されたが、2022年、2023年と真逆の「円安の夏」に直面している。

これまでの盆休みが「円高の夏」だった理由は判然としない。

例えば、多くの市場参加者が一斉に休暇を取るタイミングで為替市場の流動性が薄くなる中、残された実需勢のリーブオーダー(希望価格を指定した保留注文)が機械的に約定して値が飛びやすいシーンが多発するといった解説はよく見られた。

その説が正しいかはさておき、そのような事態は現状にも当てはまるものだろう。

残された実需注文は「円売り」に

決定的に異なる点は、かつての実需勢は輸出企業を中心とする「円買い」、今の実需勢は輸入企業を中心とする「円売り」という事実である。日本が抱えている需給環境が、本邦市場参加者の居なくなるタイミングで顕在化しやすくなるのが盆休みという時期なのかもしれない。

現状、円は引き続き独歩安の状況にある。

かねて議論してきたが、今の円安を「ドル高の裏返し」と整理し、FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)の政策転換(pivot)を契機として円高に戻る、と主張する姿勢は、為替市場の見方として浅薄と言わざるをえない(例えば円安局面が始まったばかりの2022年4月『126円突破の背景は「ドル高」ではなく「円安」だ』などを参照)。

実際、そのような見方が報われてこなかったのが、過去半年の為替相場である。

円安が「ドル高の裏返し」というのはイメージ先行という部分が大きいように感じる。例えば最近の名目実効為替レート(NEER、注)の動きを見てもよくわかる。

(注)名目実効為替レート:複数通貨との2通貨間為替レートを貿易量で加重平均した値

主要通貨について年初来の名目実効レートを比較してみると、8月7日時点で円はマイナス6%と独歩安となっているが、ドルもマイナス0.7%と軟調である。事実として起きていることは「円安かつドル安」だ。


片や、英ポンドやスイスフラン、ユーロなどの欧州通貨がプラス4.0〜6.0%と堅調であり、2023年の為替市場全体ではドル高の流れはすでに断ち切れており、むしろ欧州通貨高がトレンドになっていると言える。

円安=欧州通貨高の裏返し

なお、水準で見た場合、円の名目実効レートは1ドル152円付近にあった2022年10月並みの水準まで下落している。しかし、当時(2022年10月)ほどドルの名目実効レートが高いわけではない。


具体的には、ドルの名目実効レートは、1ドル152円まで接近した2022年10月21日時点で110.29だったが、2023年8月7日時点では103.07と6.5%ほど下落している。

しかし、同じ期間で円の名目実効レートは2.6%しか上昇していない。

ドル相場が円相場の動きを規定しているかのような解説がいまだに目立つが、事実はそうではない。あえて他通貨の傾向から2023年の円安を説明するならば、円安は「欧州通貨高の裏返し」と表現するのが適切だろう。

なお、確かに2022年は年を通じて「ドル高の裏返し」と言えるような局面が続いたようにも見える。だが、そもそも円安が始まった2022年3月、ドルの名目実効レートは横ばいだった(厳密には0.01%下落している)。少なくとも今の円安の発火点はドル高では決してない。

とすれば、そもそも円安が始まった背景に日本固有の要因があり、それが経常収支や貿易収支など、需給環境の大きな変化ではないかと言うのが従前からの筆者の立場である。

利上げが止まって、何が起きるか

もちろん、円安の裏側にあるのがドル高にしろ、欧州通貨高にしろ、共通して言えることは「日本と違って海外は利上げしている」ということなので、内外金利差が円安相場を支えているという解釈も確かに重要性を帯びるものだ。


特に今後は、FRBやECB(欧州中央銀行)を始め、多くの海外中銀が利上げ停止後、「タカ派的な現状維持」を決め込む時期に差し掛かる。政策の予見可能性が高まる中、おそらくボラティリティも落ち着きを見せるだろう。

そうなれば円キャリー取引を背景として、投機的な円売りが積み上がりやすい環境と言える。同時に、来るべき海外中銀の利下げ転換が円高をもたらす展開もある程度は不可避と思われる。

しかし、これまで円相場の押し上げに使われてきた「安全資産としての需要」はもはやスイスフランの専売特許のようになってしまっている。

最近で言えば、ロシアのウクライナ侵攻時に円は買われるどころか、結局売られている。もっと言えば、アメリカで株が売られている時に円高になるという、昔よく見られたようなパターンも最近ではそれほど安定していない。

今後、アメリカ景気の失速が鮮明になり、利下げ転換が現実味を帯び、ひいては世界経済全体に暗雲が垂れ込める状況になったしても、果たして円がどれほど求められるのだろうか。

「安全資産需要」は貿易サービス黒字あってこそ

「安全資産としての需要」はアウトライト(単独取引)の自国通貨買いを相応に含む経常収支(≒貿易サービス収支)があってこそ成立するものであり、例えばスイスフランやユーロにはそれがある。

片や、あくまで「会計上の黒字」である第一次所得収支(利子・配当など)の黒字頼みの状況に陥ってしまった日本において、かつて経験した強烈な円高が再現されることがありえるのだろうか。

大幅な利上げも難しく、需給環境の改善もさほど期待できないのだとしたら、円高が起きると言っても、かなり限定的な相場現象にとどまるのではないか。

「どうせ円高に戻るはず」というのは貿易黒字時代の発想であり、従前とは視点を変え、いくつかの仮説を走らせながら見通しを作っていくことが必要になると考える。

(唐鎌 大輔 : みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト)