東京に行って、誰もがうらやむ幸せを手に入れる。

双子の姉・倉本桜は、そんな小さな野望を抱いて大学進学とともに東京に出てきたが、うまくいかない東京生活に疲れ切ってしまい…。

対して双子の妹・倉本葵は、生まれてからずっと静岡県浜松市暮らし。でもなんだか最近、地方の生活がとても窮屈に感じてしまうのだ。

そんなふたりは、お互いに人生をリセットするために「交換生活」を始めることに。

暮らしを変えるとどんな景色が見えるのだろう?

29歳の桜と葵が、選ぶ人生の道とは――。

◆これまでのあらすじ

浜松にいる桜は、元カレの優馬とお家ご飯を楽しんでいた。ワインを飲みすぎて、そのまま一晩を過ごすことになったが…。

▶前回:金曜22時、2軒目で連れていかれたホテルのスイートルーム。そこで男が放った“予想外の一言”とは




Episode09:倉本桜@静岡。東京での自分を思い出す、予約困難店デート。


「いやぁ、桜ちゃんがいてくれて助かったよ」

浜松を代表する日本料理店『勢麟』のカウンター席で、男が言う。

その人は、再会して距離が縮まった元カレの優馬…ではなく、東京の飲み友達中嶋だ。

「むしろありがとうございます〜!はぁ。ご飯が美味しいって、最高の幸せ」

私が大げさにポーズをとってみせると、中嶋はゴルフ焼けした顔にシワを寄せて笑った。

ここは、東京の人の間でも知られている予約困難店。

中嶋はずいぶん前に2名で予約していたが、急に相手が来られなくなってしまったらしい。

その相手は女だったのかもしれない。でも、そんなのはどうでもいい。

浜松で極上の和食が食べられることに感謝して、ありがたく味わうだけだ。

「桜ちゃんはここの料理の価値をわかってるし、お酒も飲めるからむしろよかったよ」
「え〜嬉しい!じゃあ、どんどん飲もうっと!」

美味しい料理と稀少なお酒。誰もが体験できるわけではない贅沢…。私は、それだけでテンションが上がる単純な女だ。

でも、それは人生において外せないことでもある。

私は昨晩の優馬とのことを思い出さないように、日本酒をハイペースで飲み進めた。


「ねぇ桜、今日の夜も会えないかな?」

優馬と密な時間を過ごし、カーテンから漏れる光で遅く目覚めた今朝のこと。

身支度をしながら、優馬が私に尋ねた。

優馬を直視できないのは、ワインを飲みすぎて私の顔がパンパンだからではない。




「あ…えっと、ごめん。今日は片付けなきゃいけない仕事があって…」

私は、嘘をついた。

これ以上、優馬と仲良くなるのが怖かったからだ。私たちがまた恋人同士になったとして、そこに未来はない。

3ヶ月間の葵との交換生活。それが終われば、東京に帰ることが決まっている。

それに、優馬からも付き合おうとは言われなかった。

「そっか。でもすぐ会おう。また連絡するわ」
「うん。気をつけて帰ってね」

優馬は、どこか寂しい顔をして帰っていった。

東京にいるはずの中嶋から連絡が来たのは、その日の午後だった。

彼はグルメのためなら全国、いや海外まで飛び回る人だが、昨日から静岡にいるらしい。




こっちで天ぷらで有名な『てんぷら成生』に行ってきた自慢話を電話で散々されたあと、私を、ここ『勢麟』に誘ってくれた。

浜松にいる私は、代打にはもってこいだったのだろう。

店名を聞いただけで、「行く」と即答したのだが、それも中嶋は嬉しかったのだと思う。

きっと“その価値をわかっている女”を連れて行きたいと思うはずだから。



「ところで、中嶋さんどこに泊まってるの?アクトシティ?」

食後に出されたデザートを食べながら、私は尋ねた。

アクトシティは中にホテルやレストラン、ホールもある浜松のシンボル的タワーだ。

「ううん、界 遠州だよ。かんざんじロープウェイとか、浜名湖パルパルの近く」
「そうなんだ、さすがですね!」

褒めたものの、中嶋がパルパルなどと言うので、優馬とのデートを思い出してしまった。

「部屋から浜名湖が見えるんだけど、来る?って、そんな誘いじゃダメか」

中嶋はまたシワを目尻に集めながら、言った。

「あはは!私がいたらうるさいですよ〜。夜中までネトフリ見てるしね」
「うわっ。それは嫌だわ」
「でしょ。なので、おひとりでのんびりしてください」

私は東京で、おじさんたちからの誘いを華麗にかわす術も身につけている。

ごちそうしてくれる人を、冷たく突き放すことはしたくない。

だから明るく遠慮したのだが、うまくいった。

きっと、東京の“刺激好き女子”は私のように、これが自然とできる。

― だから、葵が心配なんだけどね。

私は、ロエベのバッグのとき以来連絡がない妹のことを、頭の片隅で気にしていた。




「2軒目どうしようかな。いいウイスキーとか置いてるバーとかあるかなぁ」

店を出ると、スマホをいじりながら中嶋が言う。

帰ろうと思っていたが、『勢麟』に連れて来てもらったので、ここは2軒目にも行くべきだろう。

「いやぁ、本当に美味しかったね。旬の素材で出汁をとってるのとかさ。浜松まで来てよかった」
「ほんと。中嶋さんのおかげだよ〜。ありがとう!」
「いいのいいの!また東京でも飲もうよ」

そう言いながら中嶋は、私の肩を叩いた。彼は酒を飲むと人との距離が近くなる。

歩く時も、肩がぶつかりそうになるくらい隣に寄ってくるので、私は避けながら歩いた。

「…桜ちゃんはさ、やっぱり東京が合うよ。自分でもわかってるんでしょ」
「ん?う〜ん、まあね」
「地元にしばらく帰るって言うから、もう東京には戻りたくないとか言うのかなって思ったけど、今日は目がキラキラしてたよ」

たしかに、中嶋から聞く東京の話や、仕事の話。そういうのを聞くのは本当に楽しかった。

彼が着ている派手なGUCCIだって相変わらず似合っていない。でも、そういう人が隣にいることに、なんだかホッとしたのだ。

THE・東京の経営者。そういう人種と、一期一会の料理を食べてお酒を飲む。

それは、好きな人と過ごすのとはまた違う優越感。

自分でもバカだと思うのだが、久しぶりに承認欲求が満たされた気がして、天然クルマエビや穴子の天ぷらを、Instagramのストーリーズに載せてしまったほどだ。




「ごめん、桜ちゃん。ちょっとトイレ!」

そんなことを考えながら歩いていたら、中嶋が急に目の前から消えた。

コンビニを目指して行ったのだろうか。もう姿が見えないので、思わず笑ってしまった。

私は道の端に寄り、スマホでなんとなくストーリーズの足跡を見た。

― あ…優馬も見てる。

そう思った、次の瞬間だった。

「桜!」

道の向こう側に、優馬が立っていた。

― えっ。嘘!なんでいるの?

優馬に仕事だと嘘をついて他の男性と食事して、これから2軒目に行こうとしていること。LINEすら返していないこと。ストーリーズを見られたこと…。

その全てが気まずくて、思わず顔を背けた。

「優馬、偶然だね。こんなところで…って、週末だし飲みに来てるか。どこで誰と飲んでたの?」

私は冷や汗をかきながら、とりあえずしゃべり続けた。

どうしてこんなに焦っているのか、自分でもよくわからなかった。ハタから見たらかなりダサかったと思う。

そのとき、少し離れたところから男性がこっちに向かって小走りでやってきた。

その人はもちろん、中嶋だ。




「ごめんごめん。さっきのお店でトイレに行ってなくて…ん?桜ちゃんの友達?」

― あ〜!もう〜〜。最悪だ。

私は思わず、天を仰いだ。

このタイミングで戻ってくるなんて、ツイてなさすぎる。

「誰?」

優馬が冷たく言い放つ。その目は、今まで見たことのないくらい恐い目をしていた。

中嶋は見知らぬ男に睨まれ、キョトンとしている。

私は、この状況をどうやって収拾するか必死に頭を回転させた。

そして、優馬の腕を掴み「もう、どうにでもなれ」という気持ちでその場を立ち去ったのだった。

▶前回:金曜22時、2軒目で連れていかれたホテルのスイートルーム。そこで男が放った“予想外の一言”とは

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葵のストーリー:心機一転、料理教室に通い始めた葵。女友達はできるのか?