侍ジャパンの一員として世界一に貢献した西武・山川穂高【写真:Getty Images】

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31日にプロ野球開幕…3年後の侍ジャパンに残したい“代打”での経験

「第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」で、野球日本代表「侍ジャパン」は3大会ぶり3度目の優勝を成し遂げた。宮崎合宿から“マイアミの歓喜”まで取材をしたFull-Count編集部は監督、選手の思いや言葉を紐解き、次世代につなげていきたいエピソードを紹介する連載「侍たちのlegacy(レガシー)」として、紹介していく。

 激闘を終え、帰国した山川穂高内野手(西武)は翌日すぐに本拠地・ベルーナドームに向かっていた。そして2日後にはDeNAとのオープン戦に出場。WBCでは主に代打での起用だったが、チームに戻れば、不動の地位がある。「4番・DH」で先発。そして6回には左翼席中段へ豪快なアーチを描いた。「いい本塁打でしたね。『あれがいっぱいできればいいな』という(当たりの)本塁打です」と振り返った。

 思えば、米国での決勝ラウンドでも山川の打撃の状態は上向きだった。メキシコとの準決勝前日練習でも大きな放物線を描いていた。米国移動後の全体練習でも内野グラブで二塁の位置を守り、右へ左へ、ノッカーに振られながらも、キレのある動きで白球を追っていた。

 どんな時も「準備」を大切にし、山川は野球と向き合っていた。

 侍ジャパン世界一を振り返る上で、その準決勝・メキシコ戦も歴史に残る、忘れられない一戦となった。吉田正尚外野手(レッドソックス)の同点3ラン。村上宗隆内野手(ヤクルト)の9回逆転のサヨナラ打……。印象的な場面を挙げればキリがない。

 終盤に2点差に広げられ、敗戦ムードが漂った8回だった。1死二、三塁から代打で登場した山川は1点差に迫る左犠飛を放った。この1点がなければ、最終回の逆転の機運も高まらなかった。まだ行ける――。そう思わせてくれる十分な一打だった。

 吠えた大谷翔平(エンゼルス)の二塁打から、吉田が繋ぎ、村上の決勝打で劇的な幕切れとなった。試合後のミックスゾーンでも話を聞きたい選手はたくさんいたが、私はこの試合後、山川がやってくるのを待った。明るい表情でメディアの取材に応じてくれた。

「バッティングの状態は上がってきているので、あとはタイミングを合わせるだけでした。結果は打球に聞いてくれ、という感じ。タイミングさえ合えば絶対に打てると思っていました」

 実際のところ、本塁打を狙っていたという。出場の準備は3回からくらいから始めていた。昨季のパ・リーグ2冠王が担う代打という役割。4打席が用意されているスタメン選手とは訳が違う。『準備』の部分では難しい立ち位置だ。勝負所の代打は勝っている展開ではなく、劣勢の場面で出番が回ってくるため、決勝戦は「僕が出ない展開の方がいいんですよ」というコメントまで残した。その中でも心を整え、打席で好結果を出したことに山川へ称賛の声は多かった。

 山川は「歴史に残る試合の一員になれたことがうれしいし、どんな形でも勝利に貢献することがジャパンの在り方だと思う」と劇的勝利した夜、誇らしげに、笑顔で語った。

笑顔の裏で……「きついっすよ」と漏れた本音

 帰国後、WBCの感想を聞かれた山川は「野球というスポーツの力を感じ、こんなに応援してもらえると感じることができてよかった」と喜んだ。その上で「もう少し(試合に)出たかったという悔しさと、周りがみんな打っていた中で、あの立ち位置は仕方がなかったという思いが半々」とも。一塁手には準々決勝のイタリア戦から好調の岡本和真(巨人)、指名打者は大谷翔平(エンゼルス)だったため、複雑な思いもあった。

 それでも、山川はチームのために戦った。それぞれの球団では主力の選手が控えにまわることは、これからの侍ジャパンでも多く見られるだろう。西武の主砲は、下を向くことなく、終始明るかった。『個』があるべき姿をベンチ内で見せてくれていた。

 ただ、経験のない代打は「きついですよ」という本音もメキシコ戦後に漏らしていた。そのまま、気持ちが沈んだままだったら、好結果は出ていたのだろうか。メキシコ戦の8回の打席、山川の表情には弱気な面は見られず、気持ちを作って、グラウンドに立っていた。その状況の中で山川を奮い立たせたものは何だったのかを聞いた。

「源田が目の前で3バントで送って、二、三塁。一発出れば逆転。外野フライを打てば間違いなく1点は入る。僕は最低限と言う言葉は好きではないんですけど、最高の結果を目指す中で、ああいう結果になった。打席の内容としては良かったです。もうちょっと上がれば本塁打だったんでね、まぁまぁまぁまぁ、いいかな、と」

 最初に言葉として出てきたのは、同僚・源田壮亮内野手(西武)の名前。決死の覚悟で決めたスリーバントのシーンを挙げた。

 8回無死一、二塁。バントに定評のある源田が、2度ファウルで失敗をした。送りバントがやりにくい投手であったことは容易に想像ができる。源田ならば、2ストライクからヒッティングでゴロを打たせる選択肢もあった。それでも、栗山監督は3バントを指示。源田はそこで決めた。山川は2人の執念を感じ取り、個人的な感情を振り払った。

2023年シーズンはオリックスとの開幕戦、源田は出場見送りに

 源田の送りバント。実は後の9回に村上が放ったサヨナラ打にも関係している。栗山監督は今回のWBC期間中よく「確率」という言葉を口にした。

 それまで3打席連続三振と不振だった村上に回ってきた無死一、二塁の打席。指揮官はそれよりも前に代わりの選手にバントをさせる「準備」を怠ってはいなかった。“確率論”の中で、送りバントをした方が勝利の確率が高いと判断した時に、瞬時に対応できるようにするため、ベンチでバントをする代打へ準備の指示を出していたという。

 だが、栗山監督は最終的に代打は送らずに、村上に任せた。理由はバントの上手い源田が2度もファウルすることは、この局面での送りバントは難しいことを意味していたから。緊張感の中で決めるバントの“成功率”と、沈黙している村上が殻を破る“確率”を比べた時に、どちらが高い確率なのか――。監督は主砲のバットを信じることにした。準備をした上で、最善を尽くした。そして、結果的に判断は間違っていなかった。

 準備という部分では山川も同じだった。宮崎合宿から練習にいち早く姿を現すのが印象的だった。マイアミのローンデポ・パークでの練習でも一番はじめにグラウンドに姿を見せ、芝や土の状態を確認していた。「最高の準備をした状態で試合に入れば、いい結果が必ず出ると信じている。あたふたした状態で試合に入ると、後悔することが多くて。準備して結果が出なくても、後悔することもない」。貫いたスタイルは、どんな苦境でも通用することを証明した。

 WBC優勝の熱がまだ覚めない中、2023年のプロ野球はいよいよ開幕する。西武は31日にオリックスと本拠地で開幕戦を戦う。西武のスタメンには共に戦った源田の名前はない。WBC韓国戦で右手小指を骨折し、出場を見送ることになったためだ。源田を欠いてスタートという苦しい状況だが、世界を相手に心も強くした山川が勝つための“準備”を整え、WBCからのリスタートを切る。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)