北条泰時と初に長男誕生!「承久の乱」でも活躍した北条時氏を紹介【鎌倉殿の13人】

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義時の最愛の息子。のちの第三代執権にして日本史上屈指の名宰相。

※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

「俺たちの泰時」こと北条泰時(演:坂口健太郎)。未来の名宰相も、現時点(第37回放送時点)ではまだ父・北条義時(演:小栗旬)の背中を追い駆けたり対立したり、奮闘の日々が描かれています。

そんな発展途上感たっぷりの泰時ですが、実は初(演:福地桃子。矢部禅尼)と結婚してからこの時点で既に息子を授かっているのです。

北条時氏。栗原信充筆

今回は泰時と初の長男・北条時氏(ほうじょう ときうじ)を紹介。果たしてNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では登場するのでしょうか。

少年期に両親が離婚

北条時氏は建仁3年(1203年)に誕生しました。

大河ドラマでは阿野全成(演:新納慎也)が処刑されたり、比企能員(演:佐藤二朗)が暗殺されたり、源頼家(演:金子大地)が出家されたりなど盛りだくさんの一年です。

同母兄弟はおらず、北条時実(ときざね)・北条公義(こうぎ。幼くして出家)らは泰時の後室である安保実員(あぼ さねかず)の娘が産んでいます。

泰時と初(イメージ)

時期は不明ながら、弟の時実が生まれる建暦2年(1212年)ごろに両親が離婚したとみられ、寂しい思春期を過ごしたことでしょう。

承久の乱で初陣を飾る

やがて元服して武蔵太郎(父が武蔵守だったため)と呼ばれるようになり、承久3年(1221年)に勃発した承久の乱で初陣。

5月21日、19歳の時氏青年は父に従って鎌倉を出発しました。この時点で泰時が率いていたのは17騎、合計18騎で京都を目指します。

出陣する北条泰時。月岡芳年筆

北条泰時
北条時氏
北条有時(ありとき。義時の四男)
北条実義(さねよし。泰時の六男)
尾藤景綱(びとう かげつな。左近将監)
関実忠(せき さねただ。判官代)
平盛綱(たいらの もりつな。三郎兵衛尉)
南條時員(なんじょう ときかず。七郎)
安東藤内(あんどう とうない。左衛門尉)
伊具太郎(いぐ たろう)
武村次郎(たけむら じろう。兵衛尉)
佐久満家盛(さくま いえもり。太郎)
葛山小次郎(かずらやま こじろう)
勅使河原則直(てしがらわ のりなお。小三郎)
横溝資重(よこみぞ すけしげ。五郎)
安藤左近将監(あんどう さこんしょうげん)
横川中務丞(よこかわ なかつかさのじょう)
内嶋三郎(うちじま さぶろう)

たった18騎で朝廷の大軍に立ち向かっていったのか、すげぇ……とその豪胆に驚かされます。

しかし尾藤左近将監のところに平出弥三郎(ひらいで やさぶろう)、綿貫次郎三郎(わたぬき じろうさぶろう)を従えている旨が注釈されており、名前が出ているのは武将クラスに限られていた(実際には一人ひとりが軍勢を率いていた)可能性も考えられるでしょう。

ともあれ果敢に攻め進んだ時氏は6月14日の宇治川合戦で敵前上陸を強行するなど活躍したのでした。

泰時の後継者として期待されるも……

激闘を繰り広げた時氏たち(イメージ)『承久記絵巻』より

果たして後鳥羽上皇(演:尾上松也)や三浦胤義(演:岸田タツヤ)ら朝廷の軍勢に勝利した時氏らは鎌倉へ凱旋。

父・泰時はしばらく京都に残っていましたが、元仁元年(1224年)に祖父・義時が亡くなると家督を継いだ泰時と入れ替えで京都に赴任、六波羅探題北方を務めます。

京都の監視と鎌倉との連携を担い、泰時の後継者として将来を期待されていた時氏。しかし寛喜2年(1230年)3月28日に病で倒れ、鎌倉へ戻りました。

泰時らによる懸命な治療や祈祷の甲斐なく、6月18日に病死してしまいます。

泰時に先立って世を去った時氏には北条経時(つねとき)、北条時頼(ときより)という息子がいました。やがて彼らは泰時の跡を継いでそれぞれ第4代・第5代執権を務めるのです。

終わりに

以上、泰時の長男・北条時氏の生涯をごく駆け足で紹介してきました。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は祖父・義時の死で終わるであろうため、時氏の出番は承久の乱まで。

果たして時氏に出番は来るのか、そしてもし登場したら誰がキャスティングされるのか、今から楽しみにしています。

※参考文献:

上横手雅敬 『人物叢書 北条泰時』吉川弘文館、1988年10月高橋慎一朗 『人物叢書 北条時頼』吉川弘文館、2013年7月安田元久編 『鎌倉・室町人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年9月