「競争をしない」などと主張する自己啓発本に注目が集まる

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「競争しない」「モノを持たない」「頑張らずにほどほど」といった「意識低い系」と称される自己啓発が静かなブームとなっています。若い世代に大きな影響を与えている、ネット掲示板「2ちゃんねる」開設者で実業家のひろゆきこと西村博之氏は、その代表格といえます。

 YouTubeやツイッターでも事あるごとに「成功者や庶民を問わず、コツさえつかめば誰でも幸福度は上げられる」と語り、これまで10冊以上の自己啓発書を出版していることで知られていますが、彼の主張を一言で表現すると「頑張らない」です。そして、「考え方次第で人は幸せになれる」という思考の転換を求めています。

「片付け」「ミニマリズム」が発端

 ひろゆき氏の自己啓発書は軒並みヒットしており、中でも「1%の努力」(ダイヤモンド社)は45万部を突破。2021年年間ベストセラーランキング4位(ビジネス部門、トーハン、日販調べ)になりました。ひろゆき氏が自己啓発書で繰り返し唱えているメッセージは、「努力信仰に振り回されないこと」や「生活コストを上げないこと」「消費では幸せになれないこと」などです。

 とりわけ2000年代以降、経済が停滞し展望が抱けない中で、効率良く自分の人生を豊かにすることを目指す、右肩下がりの時代に適応した「意識低い系の自己啓発」といえます。

 この場合の「意識低い」は、上昇志向や背伸びから距離を置き、悩みの種になっている無理な働き方や無駄な消費などを省くことで、幸福の最大化を図ろうとする姿勢を表しています。そのため、「低い」にネガティブな意味はないのですが、誤解を避けるため、筆者は「引き算型の自己啓発」と呼んでいます。

 これと対照的なのは、実業家のホリエモンこと堀江貴文氏の自己啓発書でしょう。「稼ぐが勝ち ゼロから100億、ボクのやり方」(2004年、光文社)はその典型といえます。「成り上がる」ための起業に焦点を当てており、やりたいことを実現するために、何十億というお金をいかに稼ぐかがテーマになっています。徹頭徹尾、社会的な成功へのステップアップが前提となっていることが分かります。

 これは、高度経済成長以降、特に強く信じられていた、経済を上向きにすることで欲しいモノや地位を手に入れ、より高い目標や事業の拡大へと突き進む、右肩上がりの時代を象徴する「意識高い系の自己啓発」といえます。

 上昇志向や背伸びは不可欠で、「気合と根性でモノを売る。それが成功体験につながる」(前掲書)というハングリー精神、自己実現の欲求が原動力となっています。こちらも「高い」という言葉を中立的に扱う観点から、筆者は「足し算型の自己啓発」と呼んでいます。

 よりよい人生を送るための自己変革を唱える自己啓発は、もともと成功哲学や成功法則など社会的な地位の上昇を達成するためのノウハウとして始まり、20世紀の産業社会に深く浸透してきました。

 しかし、21世紀に入って低成長時代を迎えると、先進国では、「分厚い中間層」が失われ、多くの人々が下層に転落することへの不安から、リスクを恐れて現実路線を取るようになりました。また、物質的な豊かさや、消費によるストレス解消を追求してもむなしいという人生観の変化なども影響し、それまでとは違ったロールモデル(自分にとって手本となる人物)のニーズが高まりました。

 やがて、そうした社会的な状況が、自分にとって負債をもたらす消費財や負担になる物事を「差し引く」ことで、より自由に快活に生きることができると主張する「片付けコンサルタント」や「ミニマリズム」の台頭を促し、ビジネスシーンでも、本当に大切なこと以外はやらなくていいとするエッセンシャル思考のような自己変革が流行するようになったのです。つまり、競争社会で消耗することを避け、心の重荷になっているモノや地位への執着を断ち、今の自分のポテンシャルを見極めて効率的に生かしていく戦略です。

 ひろゆき氏が幅広い世代から共感を呼んでいるのは、大半の人々にとって「足し算」的な生き方が困難であることを正直に伝え、どのような生き方が可能なのかを自身の半生を軸に示しているところです。例えば、「無敵の思考 誰でもトクする人になれるコスパ最強のルール21」(2017年、大和書房)でひろゆき氏は、生活にかかるお金、ランニングコストを上げてはいけないと忠告しています。なぜなら、高いコストを維持するために働くという倒錯に陥り、「不幸な人生」から抜け出せないからです。

 また、消費では幸せになれないと断言します。お金を使って幸福を得ようとすると、ランニングコストが高くなり、もっと仕事で稼がなければならないという悪循環に陥るため、「消費者は一生幸せになれない」というのです(前掲書)。

 解決法として、「買い物などの消費活動ではなく、生産活動に喜びや癒やしを得られるように生きていくこと」(「ラクしてうまくいく生き方 自分を最優先にしながらちゃんと結果を出す100のコツ」、きずな出版)を提案しています。

 この生産活動は、必ずしもお金を稼ぐことに直結しなくてもよく、絵を描いたり、小物を作ったりといった自分がやりたいことで創造性を発揮できるものを推奨しています。極端な話、本人が好きでストレスの発散になっていれば、風呂掃除でも構わないと言っています。要するに、自分の幸福度が上がる非消費的な活動を持ち、その時間を十分に確保する重要性を説いているのです。

生き方を問う自己啓発本が続々登場

「足し算型の自己啓発」から「引き算型の自己啓発」へのシフトは、人々の関心が「社会的な成功」から「個人の幸福」へと移っていることを明確に表しています。「引き算型の自己啓発」の始まりは、2010年前後に出現した片付けやミニマリズムでした。「捨てる」「減らす」「少なくする」――これが人生にとって重要なものだと気付かせ、幸福度を上げるという思想で、前時代的な価値観からの脱却を意味していました。

 片付けやミニマリズムは、整理整頓を通じて生き方を問うものですが、やや遅れる形で直接生き方を問う自己啓発書も増えました。主な書籍のタイトルは、「人生を半分あきらめて生きる」「40歳を過ぎたら、三日坊主でいい。」「ゆるい生き方」「がんばらない成長論」「持たない幸福論」「しょぼい起業で生きていく」「がんばらない練習」「半分、減らす。」「Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法」「なんか勝手に人生がよくなる やめることリスト」などです。

 ひろゆき氏はこの「より少なく、より良く」を推奨する自己啓発の最先端に位置しています。常に自分と周囲を比較したり、持ち物で見えを張ったり、仕事のために生活を犠牲にしたりといった、ザ・昭和的なやせ我慢に疑いの目を向け、そのような世間体や常識として刷り込まれていたものを「差し引く」ことが重要だと強調します。

 ひろゆき氏の言う「考え方次第で人は幸せになれる」には、親や教師などに吹き込まれた考え方こそが、本人を不幸にしてしまっている可能性への警鐘も含まれているのです。

 経済の先行きは暗く、政治で何かが変わるとはまったく思えず、かといって自助努力で大きな成功などは望めない過酷な世界で、なんとか自暴自棄にならずにやり過ごしたすにはどうしたらいいのか――このような危機意識を抱いている人々にとって、ひろゆき氏をはじめとする「引き算型の自己啓発」は救いとなるでしょう。なぜなら、何かを「足す」のではなく「引く」ことで、自分の幸福度が上がると言うのですから。

 もちろん、「考え方を変える」のは、相当大変なことです。しかし、社会の閉塞(へいそく)感が強まり、「〇〇ガチャ」という、親子関係など個人の努力ではどうにもならない事柄を表すネットスラング(ネット上で使われる俗語)があふれる中で、これだけ「引き算」のニーズが高まっているということは、自己防衛的にならざるを得ない人々が増えている証拠といえます。

 仮に、これが「自分のささやかな幸せだけは死守する」といったサバイバル志向を加速させ、結果的に社会全体のムードが殺伐となるような悪影響が生じるとしても、むしろ人々はそれに対する強力な解毒剤としてさらなる「引き算」を求めずにはいられない、というのが真実なのかもしれません。