2016年リオ五輪と、2021年東京五輪に出場したバレーボール元日本代表の石井優希。昨年の東京五輪のあと、代表生活にはひと区切りをつけた。昨年10月に開幕したVリーグでは所属する久光スプリングスで3年ぶりの優勝を果たした。

コロナ禍で延期になる試合も複数出て、レギュラーラウンドでは東レに3試合全敗など試練もあったが、ファイナル3ではその東レアローズを破り、ゴールデンセットも勝ち抜いた。ファイナル第1戦目はJTマーヴェラスに勝利。第2戦は両チームから新型コロナ感染者が複数出て試合中止となり、1戦目の勝利をもって久光の優勝という異例の事態となった。

石井には、リーグ戦の振り返りから、選手として、ひとりの人としての今後の目標などを聞いた。


石井優希に今後の目標などを語ってもらった

――まず、久光優勝の振り返りをお願いします。山あり谷ありのレギュラーラウンドでしたね。

「開幕は黒星スタートで、2021年の試合は本当に波があって、チームの出来上がりもまだまだでした。前回のリーグが8位、その前が7位だったので、絶対的な自信というものはなく、スタートも勢いに乗れてなかったんだと思います。でも、(12月に行なわれた)皇后杯のトーナメント一発勝負という試合をきっかけに、自分たちの勝負強さが出せるようになりました。フルセットでなかなか勝てなかったんですが、皇后杯のJT戦でフルセットを取りきったことで勢いに乗りました。

 そして、皇后杯優勝が自信になって年明けに再開したリーグ戦から、少しずつ結果につながってきました。終盤神戸での3連戦で2敗した時は、大きなダメージもありましたが、まだプレーオフ進出の可能性も残っていたので、すぐに水曜日のJT戦へと切り替えていました。やるしかない状況が逆によかったのかな。(プレーオフ進出のためには)1敗もできない、1セットも落とせないという状況で勝てたのは、皇后杯優勝という自信もあったのだと思います」

――本当にギリギリで進出したファイナル3では、第1セットは東レに先取されましたが、そこから久光は勢いに乗りました。

「サーブが走っている時に勝てることが多いのですが、ファイナル3の2セット目から『もう1回サーブを見直そう、リスクを背負ってでもサーブで攻めていこう』と話し合って、その結果、サービスエースだったり、相手をいい状況で攻撃させない展開にできたのが、2、3、4セット目を取れた要因だったと思います。それに加えて、ブロックの位置取りの修正 もすごくよかったと改めて振り返って思いました」

衝撃的な終わり方をしたファイナル

――翌日に行なわれたファイナル1戦目については? 

「もちろんやる気はあって、その上でみんなワクワクしていました。勢いに乗っていましたし、恐いものは何もなかった。前日の東レ戦の勢いのまま、気持ちもプレーも入れました」

――普通に考えると、連戦はハンデですよね。たとえば男子では、ファイナル3を勝ったサントリーが、翌日にコンディションを崩して完敗だったんですが、久光は連戦でJTは前日試合なしというハンデをものともしなかった。

「逆に前日に試合をしていたのがよかったかもしれないです。その勢いのまま次の日も戦うことができました。私たちはレギュラーラウンド終盤、10日間で6試合していたので、そこを経験していたのもよかったのかもしれません。その勢いで勝ってきたから、ファイナルの1戦目も疲労よりは気持ちが前面に出ていましたね」

――なるほど。そして翌週、両チームからコロナ感染者が出てファイナル2戦目は中止、1戦目の勝利をもって久光が優勝という驚きの終わり方をしました。

「最初に久光にコロナ感染者が数名出た時は、出られるメンバーで決勝戦をやる予定だったので、その人たちの分も、という気持ちで準備をしていました。正直、うれしいというより、ちゃんと2戦目もやりたかった気持ちのほうが半分以上かもしれないですね。

 優勝という形にはなりましたが、全然優勝した実感がなくて。今まで優勝を何度も経験させてもらって、ファンの方々と歓喜したり、優勝を実感できる瞬間というのを知っている分、すごくあっけなく終わってしまった。『おめでとう』と言っていただけてもあんまり実感がないんですよね。先日、(久光本拠地の)佐賀県で優勝報告会をさせていただいたんですけど、そこでもやっぱり......。こういう状況を今まで経験したことがないので、『そういうものかな』と思っています」

――でも、3年ぶりの優勝に加えて昨年とその前の年は、いい成績ではなかったことを考えると、得られたものもあるのでは?

「今回の優勝と今まで勝っていた時の優勝で違うのは、今までは『絶対勝たないといけない』という思いがあったんです。実力のあるメンバーもそろっていたし、勝つことが当たり前だったので、もちろんうれしいんですけど、ホッとした気持ちのほうが大きかった。でも、今回は、2シーズン結果を残せなくて苦しくて、夏合宿では『共有』という言葉をテーマにして、よりチームの一体感を感じられたシーズンだったなと感じています。今までの優勝よりも、違ううれしさの優勝でした。(久光で)12年間過ごしたなかで、選手とスタッフが本当にひとつになった優勝だったと一番感じました」

――石井選手個人としては? 

「私自身は東京オリンピックが終わって、すごくしんどかったです。バレーを引退してもいいのかなと思うぐらい悩んでいた時期がありました。でも、それがあったからこそ、チームに合流した時に肩の力が抜けました。

代表がいったん終わったので、チームに合流して最初に監督と話して、自分がどんどん前に出てやりたいというよりは、世代交代というところも含めて、何かチームに貢献できればいいなというような考えにシフトチェンジしたんです。結果的に後半はずっと出場したのですが、その考え方の変化が私にとってすごくハマったのかなと思います。楽しいシーズンでした」

――2020-21シーズンは悩みながらやっていたようでしたが、2021-22シーズンはうまくはまったんですね。

「これまでは代表があったので、『自分が引っ張っていかないと』とか。常に代表のことを考えて動いていた分、変に気を張っていました。でも、(代表が)終わってからは、『私ってそういうキャラじゃないよな』って(笑)。どっちかというと、のほほんとしているタイプなので。気をラクにしてやったら、逆によかった。それは私にとってもチームにとってもプラスだったなと感じています」

改めて感じたバレーボールの楽しさ

――バレーを引退しようと思ったくらい悩んで、今は代表については?

「正直、東京オリンピックに向けて5年間やっていたので、『終わった〜』という感じで、全然パリ五輪は見えていないです。『代表引退』という記事が出てしまったんですが、そうじゃないんです。今は(代表への)気持ちはないんですけど、バレーという競技に対してひたむきにというか......。絶対出たいという気持ちと、プレーすべてが整った時に、たぶんまた挑戦したいと思えるのかな。プレーと気持ちが一致しないことには、代表ではプレーできない。そこが一致したらまた目指したいなと思うんですが、今はまだパリに向けては全然考えられてないですね」

――代表に行かない夏というのは石井さんにとってすごく久しぶりですよね。

「そうですね。佐賀のイベントやスポンサー様へのあいさつはしているんですが、6月まではチームとは別で個人的に調整をさせてもらって、7月以降は、チームとより和を深めていきたいと思います」

――東京五輪までの20代のほとんどを捧げていた5年間は、やはり長かったですか? 

「今思うとあっという間でした。でも、その時はすごく長く感じていました。中田(久美)監督のもとでやるバレーはとても厳しくて、毎日体も心も疲労感があって。その時は本当にがむしゃらで、いっぱいいっぱいでしたね。世界と戦っても、勝たないと意味がないので。リオ五輪までの眞鍋(政義)監督の時もそうでしたけど、国内リーグとは全然違う厳しさを感じながら代表生活を過ごしました」

――コロナで五輪が1年延期になったときは、心が折れた時期もありましたか?

「しんどかったです。私もすごく悩んでいた時期で、チームとしても個人としてもリーグで結果を残していなかったので、『代表に選ばれるかな』という不安もありました。選ばれたとしても、調子が上がってなかったので、やっていけるか不安もあった。途中で落とされるってすごくしんどいじゃないですか。だったらオリンピックが中止になってくれたほうがラクだなと思っていた時期もありましたね」

――それぐらい追い詰められて、ギリギリなところで戦っていた。

「2019−2020シーズンにチームで1年間キャプテンをやったのですが、その時もすごくしんどくて。リーグ3連覇がかかった年にキャプテンで、急に7位になってしまったんです。初めての経験だったので、その次の年も全然調子が上がらず、プレーも心も崩れたままという感じからのオリンピックでした。私はメンタルが強くないので、そこが難しかったですね。どうやって持っていけばいいかとか。1回崩れたらそのままでしたね」

――そう考えると、今はわりとバレーボールを楽しめてできている?

「そうですね。よくも悪くも欲がなくなったので。今までは自分が出たいとか、活躍したいとか、点数をとりたいという気持ちがあったからこそ、力みがありました。心に余裕がなかったんです。でも、昨シーズンは自分が出なくてもチームが勝てればいいというのが一番になった。だから、気持ちに余裕がありました。使われ方も、(ローテーション)うしろ3回だけ、ということもありましたし、自分が出た時に少しの時間でどう結果を出すか、チームに貢献するか。

 試合に出なくても自分がベンチにいることで、コートに入っている子たちが崩れても『まだ優希さんがいる』と思ってくれるだけで、チームの安心材料だなと。すごく楽しいシーズンだったし、これならまだ長くできるなと思えました」

――では、今の石井選手の目標は?

「もう31歳で、現役生活は長くないと思うので、残り数年で自分が小学校2年生からやってきたバレー選手として悔いなく終えたいですね。チームのリーグ2連覇、皇后杯2連覇、アジアクラブ選手権もそうですね。すべて結果につなげたいなと思っています」

バレーボール以外の時間の過ごし方

――ありがとうございます。では少しプライベートな話も聞かせてください。代表活動がなくなったことで少し余裕があるかと思いますが、オフはどんなふうに過ごしていますか? 

「グルメが好きなので、SNSで検索して、地方のおいしいものを食べに行ったりします。あとはカフェに行ったり。ショッピングも好きだったんですけど、なかなか最近は買い物には行けていないですね。

――グルメは何がお好きなんですか? 

「海鮮が好きです。最近だと山口県の唐戸市場っていうところに食べに行きました」

――癒しの時間ってどんな時ですか? 

「甘いものを食べている時も幸せってすごく思いますし、グルメとかもそうですね。あとは、赤ちゃんが好きなので、SNSとかで知らない赤ちゃんの動画を見て癒されて眠りについたりとか。暇があったらSNSを見ています。あとは別府温泉に行きました。今までできなかったオフの過ごし方をしています」

――自分で運転されるんですか?

石井:はい。山口に行った時は知り合いに運転してもらったんですが、こないだ和歌山県寄りの大阪に行った時は、自分で湾岸線沿いを運転して行きました。結構長距離でも、音楽をガンガンにして走るのが気晴らしになります。あてもなく海沿いを走ったりとか。運転するのは楽しいですね」

――今年出されたフォトブック(『泣き虫の笑顔』/ワニブックス)では、結婚観についてもお話しされていましたが、女性としての将来という部分はいかがでしょうか?

「結婚、出産はしたいです。ただ、結婚はできたとしても、出産って考えると、やっぱり引退というのも考えなきゃいけなくなりますよね」

――荒木絵里香さんのようなママさん選手もバレーボールにはいますよね。

「育児とバレーボール選手の両立は本当に大変な事だと思いますし、現役復帰となると周 囲の理解と支えも必要になるので私にできるかなという思いがあります。バレーを長くしたい気持ちもあるし、出産もしたいなという気持ちもあるので、悩みどころですね」

――今シーズン、バレーの楽しさを改めて感じて、これからバレーとの向き合い方も変わっていくなかで、結婚や出産に関しても見えてくるものがありそうですね。

「そうですね。それも含めて今はまず、バレーとしっかり向き合っていきたいと思います」