マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(Photo by Paul Rider)

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今年3月のストリーミング解禁に続いて、5月21日には過去4作が新装盤CD/LPでリイシューされるマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン。Rolling Stone Japanでは日本盤ライナーノーツのために収録されたケヴィン・シールズの最新インタビューを2週連続でお届けする。まずは永遠の名作『Loveless』について。聞き手は音楽評論家の小野島大。

ー今年で『Loveless』リリースから30年が経ちます。30年も前に作った作品がいまだに参照され続け、今日もこうして改めてインタビューされるほど……。

ケヴィン:(クスっと笑う)

ー深く広い影響を与え続けていることについて、どう思いますか。

ケヴィン:ふむ……あー、そうだな……いい気分だね。うん、いい(苦笑)。忘れ去られるよりはいいし、いまなおあの作品を大事にしてくれる人がいるという事実を嬉しく思うよ。しかも新たな世代のリスナーも発見しているし……それに、発表からこれだけ経てば、昔聴いて気に入った人も忘れていたっておかしくないわけで。ただ、そんな人たちもこの作品に再会できてるってことだろうね。だから、そうだなぁ……たまたまそういう成り行きになった、と。うん、不思議なものだ。ちょっと奇妙だね。フフフ。でも、いい気分でもある。


『loveless』ジャケット写真

ー『Loveless』はなぜこれほど長い生命を保ち続け、多くの人びとに聞き継がれる名作となったのでしょう。作品として優れているのは当然として、それ以外の要素があるとすれば、それはなんだと思いますか。

ケヴィン:それは思うに……あれが非常に、非常に霊感に満ちた状態の中で作られた作品だったということ。それにもうひとつ、あの作品の何もかもに関して”ずばりこうあるべき”という、とても、本当に強いアイディアが僕の中にあったからじゃないかと思う。それはレコーディングする前から何もかもわかっていた、という意味ではなくて、あのレコーディング中は、何をやっていても”これは正しい/間違っている”の違いが歴然としていたってことなんだ。混乱が一切なかった、みたいな? だから、あれはこう、自分にまるで……パートナーがついていた感じ。ただし、そのパートナーは自分とは別の次元にいる、みたいな。

ーほう。

ケヴィン:あるいは……幽霊ってのとも違うんだけど、そうだな、”ここ”ではなく”そこ/そっち”に存在する誰か、というのに近い。で、そのパートナーというのは、要はーー他にいい形容が浮かばないからこう呼ぶけれどもーーインスピレーションだった、と。あるいは一種の案内役、と言ってもいい。というわけで、僕はとても……本当に、非常に集中した状態だったし、明晰に冴えていた。と言っても、知的に頭で理解していたわけではないよ。思考プロセスではなく、感覚がクリアで、絶え間なく”わかって”いた、という。あるいは、正しい方向感覚が常にあった、と言ってもいい。で、それくらい直観的な作品だったからこそ、きっとこう……直観のパワーのおかげで、時間を越えたものになれているんじゃないかな? 直観というのは、いくら論理的に考えても行き当たらないものなわけで。

ーなるほど。

ケヴィン:だから基本的に、あれはロジカルな思考から外れたところにあったインスピレーションから導き出された作品だね。それにもうひとつ、このアルバムは聴く人間の精神状態次第で変化するんだ。あのレコードをよく知っている人間であっても、これまでとは違うものが聞こえた、という経験をしたりする。それは聴く人間の側も常に変化しているからだし、だからあの作品も常に違って聞こえる、というね。

フィードバックの実験

ー『Loveless』は1989年2月にロンドンのスタジオでレコーディングが開始されたということですが……。

ケヴィン:(さえぎって)あ、いや……2月の時点では『Loveless』に取り組んでいたわけではなくて。1月からレコーディングを始めたんだけど、その時作ろうとしていたのはアルバムではなくEPなんだ。で、要はそこでしくじった。4曲録ってミックスまでやったものの、自分たちとしても"失敗したな"と感じたセッションだった。続いて5月にも何かやろうとしたものの、それも失敗に終わった。結局、『Loveless』を録り始めたのは89年の9月なんだよ。その頃までにはレコーディングの環境面に於いて僕たちが抱えていた問題の数々は、解消して視界がクリアになっていた。それまでの僕らには明瞭さが欠けていたんだ。1月と5月に自分が作っていた曲も決して悪い内容ではなかったものの、とにかくあれは、『Loveless』のように焦点が絞れたものではなかった。あるいは、ソウル(魂)か何かが宿っていなかった、と言ってもいいかな。そんな状況が好転するのに1989年の夏までかかったんだよ。

ーそうだったんですね。レコーディングを始めた時点であなたの頭にアルバムの全体像やイメージ/青写真があったというよりも、むしろ直観的に作業を重ね試行錯誤を重ねながら”何か”を見つけ出していった、というのに近かったということですか。

ケヴィン:うん、そう。だから、その意味では僕たちも多くのバンドと同じようにやっていたんだよ。レコーディングを始めたのは9月から11月にかけてだったな。そこで20か22本くらいバッキング・トラックを録って。いや、20本だったかな?……たぶん21本だったはずだ。(独り言のようにつぶやく)たしか「Song 21」もあそこに入っていたし……いや、ということは23? それとも25?? 正確な数字は思い出せない。ともかく、そこからかなりスピーディに、そうだな、12月までには、アルバムがどんなものになるか、そしてそれ以外の何もかももはっきりしたんだ。というわけで、僕はそこで『Glider』EP(1990年4月発表)の仕上げに取りかかったんだよ。

要するに制作プロセスとしては、9月にアルバムのレコーディングを開始し、歌のとっかかりになるアイディアを20本かそれ以上クリエイトしたところで、EPの制作に本格的に集中し始めた、ということ。というのも、"なるほど、これらの楽曲はアルバム向けになりそうだ。そしてこれらはEP向けに作る曲だ"とわかったから。その1曲、「Soon」はアルバムにも収録されることになったけど、「Dont Ask Why」は(1月および5月の)オリジナル・セッションからの曲だ。で、(アルバムの概要が掴めて)曲の振り分けの見当がついたし、"アルバムには入れないけれども、これらの曲でEPを作ろう"と思ったんだ。

ーなるほどね。

ケヴィン:『Glider』EPは、確か1990年の3月頃に完成させたはずだ。その作業を終えたところで1カ月間くらいツアーに出た。だから、その間はアルバムには一切取り組んでいなかった。ところがアルバム制作を再開した1990年の夏は僕たちが少々クレイジーになっていた時期で、3カ月ほどずっとフィードバックの実験に明け暮れてていたんだ。その成果が「To Here Knows When」に活かされたんだけどね。そこから『Loveless』に改めて数カ月取り組んだところで、今度は『Tremolo』EP(1991年2月発表)に集中することになった。レコーディング、ヴォーカル録り、ミックス等何もかも済ませてあのEPを発表し、そこからさらに6カ月後くらいに『Loveless』を完成させた、と。

難航したレコーディング、楽器や機材を巡る幸運

ー結局、『Loveless』が完成したのは91年の9月でした。これほどレコーディングが難航したのは、主に何が原因だったんでしょうか。

ケヴィン:でも、アルバム制作のためにスタジオで過ごした時間という意味では1年と10カ月なんだよね。だからそんなに長いとは感じなかったよ。そのほかにEPの制作やツアー、フィードバックやシーケンサー他での実験に延々費やした妙な時期が3カ月ほどあったけどね。2枚のEPを僕たちは真剣に捉えていたし、単なるシングルでも、手っ取り早く作ったテキトーな曲をB面に入れたEPでもなかった。あれらのEP収録曲は、どのアルバム曲にも匹敵するくらいのシリアスさで扱ったんだ。だから、4曲入りEPとは言え、曲の扱いや接し方、制作の手間やその価値という意味では、アルバムをやるのと変わりなかったんだ。

ーレコーディングの難航は機材面での制約やスタジオでのトラブルも大きかったと聞きますが。

ケヴィン:っていうか、始めた時点では自分たちの機材すら持っていなかった(苦笑)。それが、僕たちの抱えた最初の問題だったんだ。トラブルに見舞われようにも、機材をそもそも所有していなかったわけ。機材購入の資金は出るはずだったんだけど、そのほとんどは実現しなくてね。だからどうなったかというと、僕たちはとにかく様々な機材を借り、スタジオにあったアンプ等を手当たり次第使ってアルバムを作り始めた。

ーそうだったんですか。

ケヴィン:でも、おかげでいくつか素晴らしい発見もあった。不運と幸運は常に隣り合わせってわけさ。僕はいつだってそうやって始めたし、僕のギター・プレイに対する姿勢もすべてそこから始まったんだよ。友人が(フェンダー・)ジャズマスターを貸してくれたことがあってね。それまで僕には大した機材がなくて、質の悪いギターをいくつかと小さなアンプしか持っていなかったから。で、彼は「お前、EPを作るんだろ? だったら俺の機材を使えよ」と言ってくれて、それが『You Made Me Realize』EPになったんだ。他人の機材を借りたおかげでトレモロ・アームのついたギターをプレイするチャンスが突然降って湧いたということ。本当に楽しめた。あれを使えば自分には何かを表現できる、できる何かを表現できるな、と思ったんだ。

『Loveless』を作った時も、制作開始時点での僕たちはわずかな機材しか持っていなかった。ところがスタジオにたまたまあったアンプのいくつかが60年代初期製の古いVOXアンプでね。あれは実にグレイトな、素晴らしいアンプだし、世界最高のアンプのひとつだよ。それで僕たちはあのアンプを使い始め、実際、あれが僕のサウンドで実に大きな役割を果たすようになった。『Loveless』のギター・サウンド面において非常に重要な部分を占めることになったんだ。さっきも話したように、自分の頭の中にアイディアがあって使い始めたわけではなくて、たまたま機会に恵まれたんだよね。これだと思うものを発見したし、それ以降は良い機材を見つけて借りるのに時間をかけるようになった。自分でやっと一台買ったのは、正直、2008年の再結成の時だった。

ーええ〜そうなんですか。

ケヴィン:ああ。『Loveless』でVOXアンプは巨大な位置を占めているとはいえ、すべてレンタル機材だった。というか、あのアルバムで使ったどのアンプも、ほぼ全部が借り物だったんだよ。でも僕には機材やアンプについて知識があった。それまでに、借り物とはいえアンプは山ほど試してきたからね。だから、僕たちがあのVOXアンプを発見した時もむしろ、「ワオ! これは特別だ!」とわかった。これは本当にスペシャルなサウンドだと。クリエイション・レコードのやり方のひとつがそれで、彼らには僕たちのための機材購入用資金も、あるいは僕たちに支払うお金もなかったとはいえ、その代わりにやってくれたのがレンタル会社との間に信用貸しの関係を築く、みたいなことだった。だから、僕たちはいろんな機材をレンタルして、スタジオに持ち込むことができたんだ。

ーなるほど。ところでもし仮に今のようなDAWソフトウエアを中心としたコンピューター・レコーディングのシステムが完備されていれば、制作期間は短縮されたと考えますか。

ケヴィン:うーむ……それはないな。制作期間が長引いたのはレコーディング自体に問題があったからじゃなかったし、あまり時間はかからなかったから。レコーディング過程そのものはかなり楽だった。ただ、求めている通りのサウンドをモノにするとか、現場での良い雰囲気、あるいはヴァイブと言ってもいいだろうけど、そういったものを整えるのが難しい時がたまにあったということだ。そうしたテクノロジーが実際当時あったとしたら、きっと興味深いことになっていただろうとは思うけどね。

轟音に溶け合うヴォーカルの背景

ーところでマイブラの音楽性は、あなたの弾くギター・サウンドと共に、ビリンダ・ブッチャーとあなたの囁くような独特なヴォーカルも重要な要素です。

ケヴィン:ああ、でも、その点は面白いな。というのも、僕たち自身はあれを囁くようなヴォーカルだとは感じていないから。あの歌い方は、非常に……集中しているし、静かでもあって、かといって必ずしも囁き声ではない、というのか……言葉では説明しにくいんだけれどもね、うん……。

ー1991年の初来日時に私はあなたにインタビューしてますが、「なぜ囁くように歌うのか」と訊くとあなたは「ニルヴァーナみたいに歌いたいけど、咳き込んじゃってできないから」と答えました。

ケヴィン:ああ、うん(苦笑)。

ーそれを私はジョークと受け止めましたが、実際、メンバーのヴォーカル・スタイルがマイブラの音楽のスタイル、音楽の構造を規定したところはあったんでしょうか。

ケヴィン:そうだね、うん。かなりそう。僕たちの歌い方というのは……ひとつ例をあげるとしようか。思い浮かべて欲しいんだけど、あの……やれやれ、あれは何て名前だっけ……南米発の音楽で、女の子、イカネマから来た? うーん、とっさに思い出せない……。

ー「イパネマの娘」? ボサノヴァの名曲の? 

ケヴィン:それだ! ボサノヴァというのは実はジャズの歌い方の一種で、シンガーの歌い方、そのトーン/調性が楽器のそれに近いんだ。僕たちの歌い方のスタイルは、もっとそっちと繫がっている。つぶやくような歌のスタイルという意味でもそうだし、あるサウンド……一種の静けさみたいなものも共有している。特に『Loveless』で顕著だけど、あの作品での僕たちの歌い方はーーうまい表現が浮かばないけど敢えて言えばーー周波数レスポンス的なものをもたらしていて。実はそれは、ディストーションのかかったギターにかなり似ているんだ。だからぴったり溶け合う。ディストーションとあのヴォーカルの調波が、奇妙な具合に、ひとつになるんだよ。逆にすごく大声を張り上げたハードな歌い方だと、ヴォーカルにディストーションのかからない限りそうはいかない――ああ、というか、それもありだな。それこそカート・コバーンみたいにディストーションのかかった激しい歌い方であれば、ギターともハモる。ただ、そうではなく、ヴォーカルが中間域にいて単にラウドに歌うだけだと、それは”ただのロック”っぽく聞こえてしまう。ギターから分離して聞こえるんだ。

で、僕たちとしては、ヴォーカルを一種の楽器のように捉えつつ、でももっとボサノヴァ的に考えよう、と。楽器では調性、トーンが重要だからね。だからなんだよ、たとえばビリンダの声とキーボード・サウンドでやったように、オーヴァーダブしたパートとヴォーカルとが溶け合っているのは。ある意味、何もかもは僕たちの作り出しているトーンの一部、というか。そういう楽器的な資質を備えているっていう。

ーなるほど。面白いですね。

ケヴィン:うん。まあ、聴き手のアテンションをヴォーカルに集中させるのとは異なるアプローチ、ってことだね。しかもディストーションとあのサウンドのせいで、ボサノヴァのようには聞こえない。ボサノヴァほど隙間がないからね。ただ、調性という考え方でいけば、あの歌い方は(ロックよりもむしろ)ジャズ的な歌唱ともっと繫がりがあるし……ああ、一部のフォークの歌唱とも関わっているね。歌う時、フォーク・シンガーは自分個人をパーソナリティとして歌に強く打ち出そうとしない、みたいな。

ーああ、伝承的なフォークではそうですよね。

ケヴィン:彼らシンガーはむしろ、何かを伝達するための媒介に近い存在なんだ。それは20世紀のポピュラー音楽というか、ロック/ポップ流の歌唱とは異なるものなんだよね、というのもロックやポップは大体において、歌い手のパーソナリティおよびエゴの彼ら特有の表現がポイントだから。で、さっきも言ったように僕たちの歌い方はそれとは別の歌唱法、ジャズやフォークから発したものの方に近い。というか、それに限らず、ヴォーカルが"私に注目して!"と主張することのないような、そういうフォルムを持つあらゆる音楽の方に近いんだよね。

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マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン
新装盤CD/LP
2021年5月21日世界同時リリース
国内盤:高音質UHQCD仕様/解説書付

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商品詳細:
『Isnt Anything』
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『loveless』
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『m b v』
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『eps 1988-1991 and rare tracks』
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