どちらも最高級の娼婦だけど…日本の「花魁」と19世紀パリの「クルチザンヌ」の違いとは?

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日本とパリの「高級娼婦」

かつて日本の吉原では「太夫」「花魁」などの最高級の遊女が、一晩で数十万円以上ともいわれる揚げ代、豪華な花魁道中、最先端のファッションなどで「高嶺の花」として庶民の憧れの的となっていました。

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一方、19世紀のパリでは「クルチザンヌ」「ドゥミ・モンデーヌ」などと呼ばれる高級娼婦が、貴族をはじめとする大金持ちに囲われ、華麗な生活を送っていました。

有名なクルチザンヌには、デュマ・フィスの小説『椿姫』のヒロインのモデルとなったマリー・デュプレシなどがいます。

マリー・デュプレシ/画像出典:Wikipedia「マリー・デュプレシ」

どちらも同じように相手をしてもらうには莫大な金額がかかり、上流階級の女性並の気品や教養を持ち合わせた日本とパリの「高級娼婦」ですが、当然ながらそこには違っている点もありました。

花魁は「公娼」、クルチザンヌは「私娼」

花魁が客を取っていた吉原遊郭は、江戸幕府公認の遊郭でした。

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吉原は江戸市中の治安や風紀の維持(性犯罪の防止など)のために作られ、遊女たちは「年季奉公」という形で働く「公娼」だったのです。

その一方、市中には「夜鷹」「提重(さげじゅう)」「飯盛女」など、いわば「もぐり」で売春行為を行う「私娼」も存在し、度々幕府による取締まりの対象となっていました。

パリにも、同じような娼婦の監察制度が設けられていました。日本の吉原と同じく、パリの治安維持や梅毒などの性病の蔓延予防などを目的とし、娼婦は「メゾン・ド・クローズ(閉じ込められた家)」「メゾン・ド・トレランス(認可された家)」などと呼ばれる娼館に所属する場合もそうでない場合も「公娼」として登録され、身分証明書を発行されていました。

しかし「高級娼婦」として知られるクルチザンヌは「公娼」ではありません。逆に、一度でも「公娼」として登録されてしまうと「汚れた女」の烙印を押されてしまい、クルチザンヌへの道は閉ざされてしまいました。

花魁と違い、クルチザンヌになるには下のクラスからキャリアアップするのではなく、最初からクルチザンヌにならなくてはいけないという、大変厳しい世界だったのです。

政治に関与し、歴史を動かすツワモノもいたクルチザンヌ

最高級の遊女のことを「傾城(けいせい)」と呼ぶことがあります。これは「君主の寵愛を受け、国を滅ぼす(傾ける)ほどの美女」という意味の、漢書を原典とする言葉です。

クルチザンヌとして有名なラ・パイヴァもまた、パリの上流社交界から侮辱されたことへの復讐心から、フランス第二帝政を崩壊へと導いた女性です。このようにクルチザンヌは、ものの例えではなく本当に政治や歴史を動かしてしまうこともあったというのだから、驚きです。

似ているところもあれば違ったところもあった、日本の「花魁」とパリの「クルチザンヌ」。

国の違いによる生活様式の差などはあれど、どちらも絢爛豪華な生活や最先端のファッションで、庶民の憧れの的であったことは、間違いありません。

出典

 ドゥミモンデーヌ―パリ・裏社交界の女たち (著:山田勝/ハヤカワ文庫)印象派と19世紀パリの高級娼婦/スーラ・ウタガワの「画家ごっこ雑記帳」パリ、娼婦の館 メゾン・クローズ (著:鹿島茂/角川ソフィア文庫)椿姫(著:デュマ・フィス/新潮文庫)