派遣切りに遭い、仕事を探して東海地方から大阪を経由して都内に来たイサムさん。一時は所持金も尽き、袋麺1日1食の生活が続いた(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

交通費がないので3時間歩いて面接に行った

「このままだったら、死んじゃいますよ」


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派遣労働者のイサムさん(仮名、40歳)が助けを求めた支援団体の関係者からかけられた言葉だ。新型コロナウイルスの感染拡大につれ、仕事はなくなり、所持金はゼロに。しばらくは派遣会社が食料を差し入れてくれたが、それも「1日に袋麺が1袋、食べられるか、食べられないか」。後は水道水を飲んで空腹を紛らわせた。

6月以降、別の派遣会社にも電話で10社以上問い合わせをしたという。しかし、この頃は派遣切りに遭った人に加え、解雇・雇い止めにされたアルバイトや契約社員といった非正規労働者たちも派遣会社の募集に殺到していた。「『登録をしてもらっても、仕事を紹介できるかどうかわかりません』という返事ばかりでした」。

「命に関わる危険な暑さ」が続いた8月、交通費がないので10キロ以上離れた面接会場まで3時間近く歩いて行ったこともある。「全部で5、6社くらいでしょうか」。しかし、時々日雇いの仕事をあてがわれる以外、派遣の仕事は見つからなかった。

寮の退出期限が迫った9月、「もう野宿をするか、クビをくくるしかないな」と思いつめた。一方でわらにもすがる思いでネットで見つけた民間の支援団体にSOSのメールを出してみたのだという。このとき、身長160センチ余りのイサムさんの体重は35キロまで落ちていた。

「歩いていてもジーパンがずり落ちてくる状態で……。寮にある体重計で計ったら35キロでした。駆けつけてくれた支援団体の人からもびっくりされました」

出身は東北地方。家族とは10年以上連絡を取っていないと言い、生い立ちについて多くは語らなかった。経済的な理由で専門学校を中退後、主に東海地方の自動車関連の工場で派遣労働者として働いてきた。

イサムさんのように緊急連絡先や身元保証人になってくれる親族がいないと、アパートを借りることが難しいうえ、登録できる派遣会社は限られる。「働くとしたら、(住まいがセットになった)寮付き派遣しかない。時給などの条件面でもよいところは選べませんでした」と言う。

さまざまな派遣会社で働いてきたイサムさんは、派遣労働の“裏事情”についても教えてくれた。

「派遣会社さんもピンキリなんです。犯罪歴のある人やギャンブル依存症なんかの人は、自分よりもさらに条件の悪い会社に行きます。なかには(経営に暴力団が関与している)危ない会社もあって、違法な『人夫出し』とか、賃金のピンハネとかもあります。

工場には外国人も大勢いますよ。ベトナムとか中国とか、フィリピンとか。彼らは技能実習生なのですが、同じ仕事でも日本人より時給が低いんです。ある工場で一緒だったベトナム人の女の子は『もう二度と日本には来たくない』と言ってました。コロナで自分たちよりも先に切られたのも日系ブラジル人でした」

寮付き派遣の「実態」

イサムさん自身の月収は「残業があるか、ないかで変わりますが、だいたい16万円ほど」。日中は工場、夜間は倉庫と、派遣を掛け持ちしたこともある。朝方に数時間の仮眠を取るだけの“超”長時間労働をして、月収はようやく35万円ほどになった。

また、寮付き派遣では相場に比べて異様に高い寮費を天引きされることがあったという。

イサムさんが働いていたある派遣会社では、毎月の寮費は家具付きで約5万円だった。寮といっても「築数十年以上のワンルームの民間のアパート」。ずいぶん高いなと思ったイサムさんがネットで調べたところ、派遣会社を通さなければ、約2万5000円で借りられる物件であることがわかった。

寮付き派遣の会社の広告の中には「工場に近くて便利」「お友達同士もOK!」「寮費無料」などとうたっているところもあるが、私が取材する限り、寮費がタダだったという人に出会ったことはない。イサムさんも「相場の倍くらいに盛ってくるんですよね。出るときに清掃費として5万円を請求されたこともあります」と話す。

仕事は入寮者に優先的に紹介されるので、収入を得るためにも寮に入るしかない。光熱費や社会保険料、携帯代などを払うと、イサムさんの手元に残るのは5万円ほど。「貯金をする余裕はありませんでした」。

さらに寮付き派遣の最大のリスクは仕事を失うと、同時に住まいも失うことだ。そのまま生活保護を利用する人も少なくない。ただ、イサムさんは生活保護だけは利用したくなかったという。

理由は2つ。1つは、かつてリーマンショックの際、同じように派遣切りに遭ったため、生活保護を申請しようとしたところ、自治体から実家宛てに扶養照会の連絡がいったことだ。イサムさんによると、息子が生活保護を利用しようとしていることを知った両親は驚き、ただでさえよいとはいえなかった家族との関係は一層悪化したという。


ある自治体の生活保護申請の窓口の隣に置かれていた求人ファイル。安定しているとは言いがたい寮付き派遣などが数多く紹介されていた(筆者撮影)

もう1つは、その後、生活保護を利用しないで生活を立て直したいと改めて自治体に相談したところ、民間の簡易宿泊所に入居させられたことだ。その施設では、風呂には週1回しか入れず、部屋には鍵もなく、私物を盗まれた。「生活保護でも住まいがないとこういう施設に送られると聞いていて、それだけは絶対に嫌だったんです」。

イサムさんが体重35キロになるまで、独りで耐え続けた背景にはこうした事情があった。

住まいを失った状態で生活保護を申請すると、自治体によってこうした施設に半ば強制的に入居させられるのは事実だ。なかでも無料低額宿泊所(無低)と言われる施設の一部は、入居者から保護費の大半を巻き上げたうえ、食事がとんでもなく粗末だったり、外出や入浴の時間を制限したりと、貧困ビジネスの温床にもなっている。

「施設に入るくらいなら、生活保護は受けたくない」

イサムさんに会った支援団体の関係者によると、今回のコロナ禍で助けを求めてきた人たちのうち3分の1が、過去にこうした施設から逃げ出した経験があった。所持金がほとんどゼロでも「施設に入れられるくらいなら、生活保護は受けたくない」と路上生活を選ぶ人も少なくないという。

寮付き派遣は、2004年の改正労働者派遣法によって解禁された製造業派遣などの現場に多くみられる。それにしても、仕事を失うと住まいからも追い出されるような働かせ方が適切と言えるのか。

自動車関連の寮付き派遣では、残業があれば月30万円以上稼ぐ人もいるにはいる。ただそれも自動車メーカーの都合次第だ。イサムさんのように「生かさず殺さず」の賃金水準で働かされる人も多く、賃金のピンハネといった“闇”も放置されたまま。

派遣先である自動車メーカーの関連会社は「われわれは雇用者ではない」と知らんぷりを決め込むかもしれないが、これでは「派遣先」「派遣元」「派遣労働者」のうち、派遣労働者だけが一方的に搾取されることになりかねない。

自治体にしても、悪質無低への入居を強いることが貧困ビジネスの片棒を担ぐことになっているという自覚はあるのだろうか。そもそも生活保護の原則は、アパートなどの居宅保護のはずだ。

コロナ禍の現場を取材すると、自治体では、派遣切りに遭った相談者に当然のように再び寮付き派遣の仕事を紹介している。「寮付き派遣を雇い止め→仕事と住まいを失い生活保護→無低送り→寮付き派遣の紹介」――。いつまでこの悪循環を繰り返すつもりなのか、暗澹たる気持ちになる。

話をイサムさんに戻そう。取材で話を聞いたとき、イサムさんの体重はすでにベストの50キロ台に戻りつつあった。支援者から、生活保護申請をしても長年連絡を取っていない親族には扶養照会はされないケースもあると説明されたほか、アパート探しも支援すると説得され、今回は生活保護を利用することにしたのだという。

自ら派遣を選んでいる?

イサムさん自身は、寮付き派遣で働くことをどう思っているのだろうか。私が尋ねると、イサムさんはこう答えた。

「選択肢としてはアリかなと思います。自分のように“コミュ障”気味の人間にとっては、仕事も住まいも用意してくれるのは正直ありがたいです。派遣会社さんによっては(その日のうちに給料がもらえる)即日払いのところもありますし」

以前インタビューしたある経済学者が「本当は多くの派遣労働者が自ら派遣で働くことを望んでいる」と言っていたことを思い出した。イサムさんも自ら派遣を選んでいるということになるのだろうか。しかし、実際には直接雇用だった仕事が規制緩和によって事実上派遣労働に切り替わったのだ。選びようがないのに「自ら望む」も何もあるだろうか――。私がそんなことを思っていると、イサムさんがこう続けた。

「手っ取り早く稼げますし、楽なんだと思います。登録すれば、希望する仕事を紹介してくれて。そこが合わなければ、派遣会社さんが別の仕事を紹介してくれる。その代わり家賃をぼったくられたり、休業補償がなかったり、すぐ切られたりするわけですけど。うーん……。自分でも居心地がよくなっている。抜けられないんだと思います」

居心地がいいから抜け出せないという働き手と、悪循環に陥るリスクの高い選択肢しか用意しない社会と――。

イサムさんは「これからですか? 派遣で働くと思います。だってそれしかありませんから」と言った。