ビートルズが階級社会のイギリスに残した偉業とは?(写真:REX/アフロ)

解散から50年を経たビートルズの楽曲は、耳にしない日がないぐらい日常に浸透している。社会に与えた影響は、音楽の面だけでなく、文化・社会・人生など幅広いが、50年前の「ビートルズ現象」は、それまでのイギリスの階級社会を変えた面があった。「ビートルズ解散50年経ってもなお語られる魅力」(2020年7月8日配信)に続いて、『教養として学んでおきたいビートルズ』の中から、第1章の一部を抜粋して掲載する。

「階級意識」の変容

イギリスには「階級意識」が存在する。

誰もが、上流階級(貴族や大地主や聖職者など)、中流階級(医師や弁護士などの専門職に従事する人たち)、労働者階級(単純労働に従事する人たち)のいずれかに属しているという自覚があり、とりわけ上流階級の人たちは、他の階級の人たちとはペディグリー(血統)が違うと思い込んでいる。

ビートルズの4人は、いわゆる「裕福な家庭」の出ではない。リンゴ・スターは貧乏な家に生まれ、両親は離婚、くわえて小学校もろくすっぽ通えないほど病弱であった。ジョン・レノンは、両親がそれぞれ気ままな生活をしていたため、中流階級の伯母夫婦に育てられ、そのことにより精神的に満たされない少年時代を送っている。ポール・マッカートニーは満ち足りた幼少期を過ごしたが、母の死による喪失感を抱えていた。ジョージ・ハリスンの家庭もけっして裕福ではなく、彼は機械工になるべく育てられたのだった。

はっきりいえば、みな労働者階級の出身である。ポールにいわせれば、ジョンは労働者階級の出ではない(=中流階級出身)のだが、ジョンは労働者階級出身だと思い込んでいた。

イギリスにおいては、中世の封建制度のもとで確立した身分関係としての「階級」が残存するいっぽう、近代の資本主義体制のもとで醸成された職業的・経済的な「階層」も共存している。「階級」と「階層」という概念は、区別されることも混同されることもあるが、ビートルズの4人はそのどちらにおいても“上のほう”にいなかったことだけはたしかである。

階級は固有の文化と生活習慣をつくりだし、それを継承することがそれぞれの階級の務めだった。階級によって、身だしなみ、紅茶の淹(い)れ方、興じるスポーツ、聴く音楽など、生活全般に及んで、その様式と趣味は異なっていた。

しかし、1950年代になると、そうした事態に変化の兆しが見え始める。経済格差や不平等といった既成秩序に対する反発の声をあげる若者たちが出てきたのだ。「怒れる若者たち」と称される作家たちだ。しかし、彼らは単発的に作品を発表するにとどまり、労働者階級の若者たちを巻き込んだ大きなうねりにはならなかった。

いうまでもなく、ロックンロールは労働者階級の音楽だ。上流および中流の階級の人たちが聴く音楽ではない。ロックンロールなんてものは、彼らにとってみれば、“低俗”そのものであった。

彼らは貧しい身だからこそロックンローラーになった

ビートルズは貧しい身にもかかわらずロックンローラーになったのではない。貧しい身だからこそ、ロックンローラーになったのだ。ここを押さえておかないと、ビートルズという現象を読み間違えてしまうことになる。

「ビートルズ現象」とは、アメリカで産声をあげたロックンロールが、海を渡ったリヴァプールの地でビートルズを生みだし、高級な音楽も低級な音楽もない、とにかく“いいものはいい”という感覚を、階級や階層を超えて個人に認識させたことをいう。ビートルズは「かっこいい音楽」を奏でることで、旧世代の規範を崩しにかかったのだ。

ビートルズは、労働者階級と中流階級の境界をあいまいにし、「ミドルブラウ」(新興中流)という新しい大衆層がたしかに存在することをイギリス国民に実感させた。

ミドルブラウとは、幅広い教養娯楽と洗練されたライフスタイルを享受もしくは実感できる層であり、おもにそれは「下層中流階級」と「中流志向の労働者階級」に顕著であった。ミドルブラウは1920年代のイギリスで生まれた言葉であるが、戦後の経済的豊かさ、教育機会の広がり、メディアの多様性をもって形成されていったのである。そして、ミドルブラウの象徴といえるのがビートルズであった。

1963年の秋、ビートルズの名はすでにイギリスじゅうに知れわたっていた。その年の11月、王室主催の演奏会(ロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンス)で〔ツイスト・アンド・シャウト〕を歌う前に、ジョンは「次が最後の曲ですが、ひとつお願いがあります。安い席の人は手拍子をお願いします。そのほかの方たちは宝石をじゃらじゃら鳴らしてください」とぶった。

労働者階級の若者が王室の人たちを前にして歌を披露し、あろうことか、ジョークをかますなんてことは、それ以前には考えられないことであった。

翌1964年、公演先のオーストラリアでは、熱狂する群衆がビートルズが泊まっているホテルを囲んでいた。すると、誰かが「すごいなあ。女王陛下が来ても、これほどの騒ぎにはならないだろうね」とあきれて言った。

「そりゃそうさ。陛下はぼくらほどヒットをだしてないもの」

すかさずジョージが応じた。1964年には、こうしたジョークを口にすることができたのである。

皇太子も女王も彼らの音楽に親しむように

やがてチャールズ皇太子はビートルズの大ファンになり、エリザベス女王も彼らの音楽に親しむようになった。階級の壁は、いつのまにか低くなっていたのである。


そして、1997年11月、エリザベス女王は自身の金婚式の祝賀式典で、次のように述べてビートルズとともにあった歴史を振り返っている。

「この50年は、世界にとってはじつに驚くべき50年でしたが……もしもビートルズを聴くことがなかったら、わたしたちはどんなにつまらなかったことでしょう」

ミドルブラウが上流階級をからかい、上流階級がミドルブラウの音楽に親しむ時代が到来したのも、すべてはビートルズから始まったことである。ビートルズは、新しい時代に生きる、新しい人間たちの可能性を示唆することで、「階級意識」を変容させたのだった。これもビートルズが果たした偉業のひとつである。