ハイパフォーマンスを維持できれば代表復帰も? 森重のさらなる成長が楽しみだ。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

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 選手寿命が短いとも言われるプロフットボーラー。確かに、ユース世代でスーパースターだった有望株がプロになった途端、挫折を味わい、そのまま表舞台から消えていく例も決して少なくない。極めて厳しい世界だが、それでもコンスタントに活躍し、日本代表に上り詰める選手もいる。

 そのひとりがFC東京在籍のDF森重真人だ。広島ジュニアユース、広島皆実高を経て、06年に大分トリニータでプロになってから、ほとんどのシーズンを主力としてプレーしている。FC東京に加入した10年シーズン以降、リーグ戦での出場数が30試合を下回ったのは怪我に苦しんだ17年のみ。この10年、リーグ戦を戦うFC東京のスターティングメンバ―には決まって「森重真人」の名前があったと言っても大袈裟ではない。

 FWよりも長生きしやすいDFだからという見方もできなくはないが、DFでも短命な選手は数多くいる。ポジション云々ではなく、FC東京で長期に渡ってレギュラーの座を守り続けていること自体がただただ素晴らしい。そんな森重の長寿の秘密を、ともにFC東京でプレーしていた羽生直剛(現FC東京のクラブナビゲーター)はこう解釈している。

「今野(泰幸)の影響が大きい。手本にできる選手が横にいた。実際、彼の影響を受けてか、身体のケアや自主トレの量、準備の仕方などいろんな取り組みへの意識が高まったように見えましたね。今も早い時間帯に練習場に行ってウォーミングアップを兼ねた身体のメンテナンスを黙々と、入念にやっている感じ。FC東京に来た頃に比べて、格段にプロ意識は高まっています」
 
 FC東京加入1年目はラフプレーに走り、警告などを受ける場面が目についた。しかし小学時代のサッカークラブでお世話になった恩師・植村和広のアドバイスもあり、やんちゃだった自分を見つめ直すと、プレーの質が向上。2013年の東アジアカップから日本代表にもコンスタントに名を連ねるようになった。チームメイトとして森重を見ていた当時の石川直宏(現FC東京のクラブコミュニケーター)もこう語る。

「常に自分のところに矢印が向いている。どんなことがあっても。それは大変なことだと思います。監督やメンバーが変わるなかで、普通ならその変化に気を取られることもありますが、森重は良い意味でブレなかったですよね」

 黙々と己の技術を磨く。そういうスタイルが、森重には合っていたのかもしれない。確かに森重は声でチームメイトを引っ張るようなタイプではないし、試合後の囲み取材でも感情を露わにせず淡々と話す。どちらかと言えば「静かな男」というイメージだ。

 しかし、石川に言わせればそんな森重にも「ブレた時期があった」という。
 
「唯一ブレたのがキャプテンをやった時(13〜17年)。チーム全体を見なくちゃいけないとか、チームの中で自分の立ち位置ってどうなのかっていうことを考える時間があったと思うんですよ」

 チームの成績が安定しないと落ち込むこともあったという。他にも目を向けない責任感がひとつの足かせとなり、自分のことになかなか集中できなかった。しかし、「たぶん行き着いた先は結局、自分だったと思います」(石川)。

「自分のパフォーマンスが高ければみんなもついてくるわけで、そこを理解してからは迷いみたいなものはあまり感じられなくなりました」(石川)

 キャプテンの任務を他の選手に譲った18年シーズン以降のパフォーマンスは目を見張るレベルにある。「良い意味で余裕が生まれている」というのは、石川の見解だ。昔はその余裕が隙になったりしていたが、今はその隙すらも見当たらない。充実ぶりを示すひとつの要素が、昨季Jリーグでベストイレブンに選ばれたことだろう。17年シーズンの大怪我、18年ワールドカップのメンバー落選といったアクシデント・挫折を乗り越えて掴んだ勲章には、「森重健在」というメッセージがあるように捉えている。