親から虐待、離婚、父の再婚……。ついに学校をやめた16歳が思い描く未来は?(筆者撮影)

取材応募フォームから連絡をくれたのは、16歳の女の子でした。両親から受けてきた虐待のこと。大手企業に勤める高給取りの父親が浮気を繰り返していたこと。母親の精神疾患、知的障害のある姉のこと。親の離婚、再婚を経て、そんななかでも自分の夢をかなえるために手を染めた援助交際がつらかったこと。

抱えてきた思いを吐き出すような、少し混乱した、でも力のある文面でした。


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連絡がついたのは、返信を送ってから約2カ月後です。冬のある日の夕方、彼女が暮らす関西の街を訪れました。待ち合わせた駅の改札に、目印の傘をちらつかせながら立っていると、女の子がそっと近づいてきました。10代らしい幼さと、大人びた話し方。そのアンバランスさは、厳しい環境で育った子どもにときどき見かけるものです。

「今日ちょうど、高校をやめてきたんです」と話す彼女に、なんと返事をしたものか。「おめでとう、でいいのかな?」と尋ねると、微妙な笑顔でうなずきます。少し歩いて、樹木に囲まれた飲食店に入り、小さい頃からのことを聞かせてもらいました。

孤立した母の期待が自分に集中していた

園部ゆきさん(仮名)は幼い頃、両親と姉と、4人で暮らしていました。経済的には余裕がある家庭でしたが、小学校に入る前から母親に手をあげられており、小4の頃から暴力が一段とエスカレートしました。同じ時期、父親もゆきさんへの虐待に加わります。

母親はしょっちゅうお酒を飲んでおり、ゆきさんはいつも「母の慰め役」。うつの症状もあった母親は、ゆきさんが小5の頃に適応障害の診断を受けました。

ゆきさんの状況を見かねた学校が、児童相談所に虐待の通告をしたのが小6のときです。このとき彼女は「頭にたんこぶを7つも作って、手もグーできないくらいに腫れ、傷まみれ」だったそう。手が腫れたのは、殴られるときに頭を守ろうとしたためです。

母親の暴力について、ゆきさんはこんなふうに話します。

「母は(知的障害があった)姉のことを『人一倍、ちゃんとみていかなきゃいけない』みたいに思って、自分を戒めるタイプやったんかな。“ふつうの子”を育ててる人との差を感じたりもしたのか。それで地域からも孤立していて。父親は浮気を繰り返し、母にとっての支えではなかったし。

そういうなかで、私に期待が集中したのもあります。自分が死んだときに、ちゃんと(姉とゆきさんが)2人で生きていけるようになってほしい、という感じで育ててたんで。でも私、すごく忘れっぽかったんですよ。1日3つは忘れ物をするのがデフォルト、みたいな。それを母は『なんで直らへんのやろ』って思い悩んで、たぶん誰にも相談できなくて、手が出ていたと思うんです」

なるほど、母親の孤立した状況が目に浮かんできます。ゆきさんが忘れっぽかったのは、家のストレスが要因だった可能性も考えられますが、母親もつらかったのでしょう。しかし、だからといって、子どもに暴力を振るっていいわけがありません。

それにしても、ゆきさんは16歳の年齢で、どうしてこれほど多面的に物事を捉えることができるのか。驚いていると、「客観的に考えないと切り抜けられない場面が昔から多かったので」というのでした。

父親に殴られながら家事と受験勉強をこなす日々

知的障害がある姉は、ゆきさんと同じ学校の特別支援学級に通っていました。ゆきさんは小2のとき、登校班で姉をいじめる5年生の男の子を「後ろからバーンと引っ張って」、校長室に呼び出されたことがあるそう。度胸のある子どもです。

「腹が立ったんですよ。卑怯なことをする人が嫌いで。あとで母が学校に連絡を入れて、姉がいじめられていることを言ったら、いちおう事実確認のために子どもたちが集められたんですけど、みんな『知らない』『そんなことしてないし』みたいな感じで終わってしまって。すごい不服だったのは覚えています」

小6の夏、学校からの通告でゆきさんが児相に数日間保護されたことは、母親にはショックが大きかったようです。母親は「なんで(児相に)殴られたって言ったん? 『隠せ』って言ったやん」と言って寝込むようになり、父親もまるでゆきさんのせいで母親の具合が悪くなったかのように、彼女を責めました。

「ああ、全部私のせいなんだ、って思うようになって。自己嫌悪の、負のスパイラルの始まりでした」

夏休み明けには母親が入院。その頃、家事をしていたのはゆきさんでした。

「朝は5時に起きて姉の弁当を作って、ご飯を作りながら自分の洗濯もまわして、父には殴られて。中学受験もしようとしてたんで、塾から出される莫大な量の課題もこなして。だから『ふつうの奥さんが、DVを受けながら、受験勉強をする』みたいな(笑)。

無理に決まってるじゃないですか。バランスが取れなくなっていって、リストカットもするようになって」

結局、父親が受験間近になって「お金がないから私立はやめて国公立に」と言い出したため、結果はままならず地元の公立中学に通うことになりました。しかし両親からの精神的・身体的虐待は続きます。

中1の5月には「薬を1度にたくさん飲んで血を吐いちゃって」、翌月から3カ月入院。ゆきさんは中学時代、何度も入退院を繰り返しています。中1の終わり頃には、主治医の提案で、全寮制の学校への転入を決めて家を出ました。

浮気の証拠を押さえるため、父の車に仕掛けたもの

父親の浮気には、小さいときから気づいていました。幼稚園の頃からガラケーを与えられていたゆきさんは、父親の携帯や、帰宅時の父の様子を見て、母親以外の女性の存在を察していたといいます。

母親も父の浮気に気づいていたようですが、「母は中卒だったので、子ども2人の養育費用や、わたしの進学費用を考えたら、(離婚したら)自分1人では到底そんなに稼げへんしと思って、たぶん我慢してたのかな」とゆきさんはいいます。

両親は毎日けんかをし、母親がよく父親に手をあげていました。父親と風呂に入ると、母親が引っかいた痕が紫になっているのを、ゆきさんはよく見ていたそう。

けんかの原因は、大体お金のことでした。母親は「十分な生活費を渡してくれなかった」と言っていましたが、ゆきさんが聞いたところ、それなりの額です。母親は金遣いが荒い傾向があったため、父親は余分に渡せなかったのかもしれません。

中2のときは、父親の浮気の証拠集めをする羽目に。当時両親は別居を始めており、離婚が成立したらゆきさんは母親に付いて行くつもりでした。母親は疲弊し切って、父親の浮気については見て見ぬふりでしたが、「完全に黒なのに、金をもらわずに泣き寝入りするのもどうなん」と思ったゆきさんは、探偵を使って証拠を集めようと考えます。

ただし、父の車に携帯電話を仕掛けることを提案したのは、母親でした。当時ゆきさんは精神科に入院していたのですが、彼女と面会した後、父親はいつも「誰か」と会っていました。そこで面会の前に携帯の1台をフル充電しておき、ゆきさんが父の車に乗った際、録音機能をオンにして残していくことに。

そして数日後、父親に「ごめん、車に携帯を忘れてんねんけど、見てくれへん?」と連絡を入れて、携帯を回収したそう。

つらかったのはそこからです。依頼した探偵事務所は録音データを受け取らない方針で、依頼者に書き起こしを求めていました。ところが、録音を望んだ当の母親は「メンタルがやられるから」と拒絶。そのため、ゆきさんが書き起こすことになってしまったのです。

祈るような気持ちで「録音されていたのは、お父さんと浮気相手の会話?」と筆者が尋ねると、「会話というか、車でもう、事がなされていたので」といいます。誰がどう考えても、中学2年生がする仕事ではありません。

書き起こしをしながら、父親が「母や私よりも、女を取る」という事実に、ゆきさんは絶望していたといいます。

高校に入り死に物狂いで勉強とバイトを頑張った理由

両親の離婚は、中3の頃でした。ずっと「母の慰め役」だったゆきさんは母に付いて行くつもりでしたが、母は急に「私のほうに来ても、学費も出してあげられへんし、あんたにとって幸せな人生は送られへん」と言い出します。「皮肉ったらしく言われた」ため、拒絶されたようで傷つきましたが、進学のことを考えればそのほうがいいことは確かです。結局、父親のほうへ付いて行くことに。

しかし、ゆきさんが高校に入るとき、父親は再婚します。事前に何の相談もなく、突然事後報告されたことに、ゆきさんは「軽く思われている」と感じて傷つきました。

再婚相手は、ゆきさんが浮気の証拠を押さえた、あの女性でした。相手の子どもたちを含め、家族の人数は一気に倍増。新しい家族のために家を建て直し、離婚した母には慰謝料を払い、父親にも金銭的な余裕はなくなっていきます。

子連れ再婚家庭では「異なる家族の文化」が衝突して、双方に大きなストレスを生むのが定番です。それでも中学のときに寮暮らしを経験したゆきさんは、継母一家との共同生活を比較的、柔軟に受け入れたようです。ただし、年が近い義理の姉だけはどうにも感じが悪く、いまも「どうしても受け入れがたい」といいます。

この頃、ゆきさんはある夢をもっていました。将来、自分の大切な人々――姉や、祖母の家にいるいとこ(母親を亡くしている)を自分が養って暮らしたい。そのためには、しっかり稼げるよう薬学部に進んで、薬剤師になりたい。

しかし父親に話すと、大学は「国公立しかダメ」と言われます。さらに奨学金を借りることも不可。父親自身が奨学金の返済に苦労したためです。父親は年収が高いため、給付型の奨学金を受けることもできません。ゆきさんは、納得できませんでした。

「父は『厳しさは愛情』だと言う。だったら、私立にも行けるお金を用意したうえで、『まず国公立を第一に目指しなさい』というならわかるんですけど、『国公立しか許さない、私立のお金も出さない』って。それは違くない?と思って。

父が再婚するときは、私もまだ信頼してたんです。再婚せんかったら得られたはずの子どもの利益を奪うようなことは、しないやろうと。再婚なんて、まあ親の自己満じゃないですか。あと数年待てば子どもたちは自立するところ、それを待たずに自分たちがすぐくっつきたいっていうのに、子どもの未来の選択肢を奪うようなことはしないやろうと思っていたんですけど」

父の言い分に納得できないながらも、ゆきさんは猛烈な勢いで勉強に取り組みました。中学時代は入退院を繰り返してほとんど勉強できなかったため、高校では1番下のコースに入ったのですが、そこからひたすら勉強を重ねて上位のコースに編入。2年生からは理数系のコースに入り、そこでもトップの成績を収めました。

「学校の自習室に最終時間までこもって、睡眠時間も削って。ペンだこがひどくなりすぎてペンが持てなくなったり、腱鞘炎になったりもして。朝は単語帳を読み込んで、休み時間も全部勉強。小テストで100点以外がつくのが嫌だったので。

そこまで頑張れたのは、それだけの夢があったから。私も(父に)認められたい気持ちがあったし。でも成績を見せても、父は『へー、よかったやん。でもここ足りてないよな』、みたいな反応。1位、1位、1位、3位の、3位に目をつけるんです」

学校では友達をつくる余裕もありませんでした。周囲からは「下のコースから来た子」という目で見られて嫌味を言われ、悔しくてたまりません。なおさら勉強に打ち込むのですが、成績が上がれば周囲の妬みは増し、「何なの、あの子」という目で見られます。

猛勉強する傍ら、私立に行くお金を貯めようと、アルバイトも頑張っていました。ゆきさんは、だんだんと、そんな毎日に疲れていきます。

入学金を貯金するためにパパ活をしたことも

気力が尽きた1つのきっかけは、高2の夏休み中に行われた三者面談でした。あれだけ「国公立しかダメ」と言ってきた父親が、担任の前では「私立も考えています」と軽く口にしたのです。ゆきさんは、やり切れない気持ちになりました。

「薬学部がある国公立大は家から遠くて下宿代もかかるし、私立に行ってもお金がかかる。入学金くらいは自分で貯めようと思って、アルバイトもしていたんですけれど、せいぜい月3、4万円とか。そのなかから貯金しても、微々たるものじゃないですか。

私にとったら人生を左右する問題なので、もう仕方がないと思って、夏の間に援交に手を出して、パパ活とかしたんです。でも、そういうの、もともと好きなわけじゃないし、ふつうに“キモい”し。虚しくなるんですよね。終わって『はぁ、あんな嫌な思いしたのに、1万円札3枚』、みたいな。お金の交渉をしたりして、自分の価値がモノみたいに値段ではかられることに、少しずつ傷ついていって」

ずっと元気よく話していたゆきさんでしたが、ふいにトーンが落ちました。目線が揺れ、痛みが伝わってきます。

私がこんな思いまでして頑張ってきたのに、あっさりと「私立も考えています」って――。父親は、ゆきさんがどれほど頑張っても、どんなに嫌な思いをしても、ちっとも気づいてくれないのです。

高校をやめて、これからは通信制か高認か

夏休みが明けて9月になり、ゆきさんは高校に行かなくなりました。家出をして、東京に住む友人のもとへ行ったり、ときには元カレと過ごしたり。

この取材の応募メッセージを送ってくれたのは、秋が終わる頃でした。

年が明けて、ゆきさんの考えは、以前とは少し変わってきたといいます。

「姉やいとこを連れて幸せな家庭を築きたいと思って頑張ってきたんですけど。いま思うと、私が過去に失ったものを取り戻したいと思っていただけで、家族が元に戻るわけじゃない。

それに、いまは小学生のいとこも、そのうち自分で自分の幸せを探しに行くだろうし。そのときにサポートにまわってあげるのはいいけれど、私がいとこを連れて家族をつくろうというのは、勝手な思い上がりとも取れるなって自分で思って」


それなら仕事は必ずしも薬剤師でなくてもいいし、いまの高校に無理に通う必要もない。通信制の高校に入り直してもいいし、高認(高等学校卒業程度認定試験)を受けて大学に進学してもいい。そんなふうにいろいろな可能性を考えた結果、冒頭の「今日、高校をやめてきたんです」に至ったのでした。

ゆきさんはどんな将来を描くときも、必ず「子どもを幸せにする」ことを前提に話します。「子どもが生まれたら、子どもの可能性を潰さないようにできる限りのことをしてあげるのが親の務め」と考えており、万一離婚となったときも、子どもには不自由をさせないよう、自分も経済力をもっておきたいと考えているのです。

親の離婚や再婚で苦労した子のなかには、そこら辺の大人の500倍くらい「子どもの人生」を考えている人がときどきいるのですが、ゆきさんもその1人でした。

これから彼女はどんな道を進むのか? 話を聞く限り継母も悪い人ではなさそうですし、父親との関係も多少は落ち着いてきた印象です。どん底の時期は過ぎたのかもしれません。でももし、また何か迷ったりしたときは、連絡してくれたらと思います。

当連載では、さまざまな環境で育った子どもの立場の方の話をお聞きしています(これまでの例)。詳細は個別に取材させていただきますので、こちらのフォームよりご連絡ください。