ヘルタの監督に就任したユルゲン・クリンスマン。 (C) Getty Images

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 ドイツは長い冬を迎え、ブンデスリーガは中断している。現地時間1月18日には再開し、シーズン後半を迎える。

 そんななか、前半だけでも怒涛の監督交代を経たチームがある。ドイツの首都ベルリンに居を構えるヘルタ・ベルリンだ。

 ヘルタは今季、アンテ・チョビッチ監督を新しく迎え入れていた。1年から指揮をとっていた前任者のパル・ダルダイは規律と闘争心を重んじ、粘り強く戦う簡単に負けないチーム作りをしていたが、昨季はあっさりと勝ち点を逃す試合も多く、チームマネージャーのミヒャエル・プリーツは「新たな刺激をもたらすことがヘルタにとって正しいステップだという決断」は監督交代を決断した。

 チョビッチは積極的にゴールを狙う、オフェンシブサッカーを志向すると明言していたが、序盤から躓き続けてしまう。開幕戦ではリーグ7連覇中のバイエルンに2−2で引き分ける健闘を見せたが、そこから3連敗。パーダーボルン、ケルン、デュッセルドルフ相手に3連勝を挙げて上昇気流に乗ったかと思われたが、その後4連敗を含む5戦勝ちなし。特に12節アウグスブルク戦では、攻守すべてにおいて低調だった。

 チョビッチの追い求めたサッカーはうまく機能すれば、魅力的なものだったはず。だが、あまりに多くのことを一度に選手に求めてしまったのは大きなミスだったと指摘せざるを得ない。ビデオ分析の頻度も多く、本来選手の助けになるはずの戦術的な指示が、重しになってしまっていた。

 首脳陣はアウグスブルク戦後にチョビッチ解任を決断したが、同節終了時で勝ち点11の15位に沈むチームを引き受けるのは誰か。直前にバイエルン監督を解任されていたニコ・コバチの名前も噂で挙がっていた。しかし、クラブから今季終了までの新監督として発表されたのは、ユルゲン・クリンスマンだった。

 06年にはドイツ代表監督として母国開催のドイツ大会でチームを3位に導き、アメリカ代表監督も長く務めた。ブンデスリーガにはバイエルン監督を務めた09年以来の復帰だ。そもそもクリンスマンは11月にヘルタの査問会役員として首脳陣に加わったばかり。本来はチームマネージャーのプリーツや金融部門長インゴ・シラーの仕事を監査するのが役割だったが、クラブの窮地を救うべく今季終了までの暫定監督として了承した。
 ヘルタとクリンスマンの間には過去に絆があったわけではない。選手時代も、監督としても所属していたことがない。だが、クリンスマンにとって、ヘルタは特別なクラブだった。

「私の父は熱狂的なヘルタのファンだったんだ」

 父親のジークフリート・クリンスマンは05年に亡くなった。享年71歳。ベルリン近郊生まれの父は戦後西ドイツに亡命し、シュツットガルトに新しい居を構え、パン屋を営んだ。そんな父との大事な思い出がある。

 72年、初めてクリンスマンを突連れてブンデスリーガの観戦に訪れたのが、シュツットガルト対ヘルタの一戦だった。暮らす場所が変わっても、思いは常にヘルタにあったのだ。

「父はきっと、この状況を一緒に味わいたいと思ってくれただろうね。残念ながらもういないけれど」

 監督交代は成績不振から抜け出す大きな刺激となる。だが、その特効薬は上手く使わないと最大限の効果は得られない。就任初戦となったドルトムント戦では前半に0−2とリードを許す苦しい展開になったが、粘り強い戦いであと少しで同点に追いつけそうなところまで迫った。

 続くフランクフルト戦では、2−0とリードを奪うことに成功、ただしセットプレーから2失点を喫して引き分けどまりとなった。低迷しているチームはいち早く勝ち点3を手にして、ホッとしたい。クリンスマンにしてもそうだろう。それでも記者会見でクリンスマンは時折笑顔を浮かべながら、手にした勝ち点1への喜びを口にした。