<東京暮らし(14)>動物好き必見!「マイセン動物園展」
<文 中島早苗(東京新聞情報紙「暮らすめいと」編集長)>
洋食器ファンならその名を知らぬ人はいない、ドイツのマイセン窯。ヨーロッパ初の硬質磁器製造に成功し、1710年に王室磁器製作所設立を布告したマイセン磁器の、動物にテーマを絞った展覧会が東新橋のパナソニック汐留美術館で開催されている。(19年9月23日まで。水曜休館)
同美術館とともに主催の東京新聞のウェブサイトでも、同展について写真入りで紹介している。
8月の平日昼間に会場を訪れてみると、館内には約120点の作品が並び、その8割が彫像作品、しかも9割が初公開だった。
今にも動き出しそうな動物たち
入口近くでは、1747年頃から制作され、今もなお人気のシリーズだという「猿の楽団」の小さな彫像たちが出迎えてくれる。
「猿の楽団」 ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー、ペーター・ライニッケ 1820-1920年頃 個人蔵
そこを通り過ぎてまず目を見張るのは、天井から吊るされた大きなシャンデリアだ。「花鳥飾プット像シャンデリア」と題されたその作品は、高さ1メートル以上、横幅も88センチ。豪華さで見る者を圧倒する。
「花鳥飾プット像シャンデリア」 ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー/19世紀後半エルンスト・アウグスト・ロイテリッツ 19世紀後半 個人蔵
実に細かく細工され、花や鳥が付けられたシャンデリアは、制作の高い技術と途方もない手間によって成し得られたもの。他の作品同様個人蔵だが、制作された19世紀後半から今に至るまで、どんな人のどんな場所に飾られ、保存され、ここまで運ばれて来たんだろう。いろいろな想像をかき立てられる。
動物の彫像群の展示に行く前に、もう一つ印象的だったのは、いわゆる「スノーボール」というシリーズの作品たちだ。
「スノーボール貼花装飾蓋付昆虫鳥付透かし壺」 ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー 1820-1920年頃 個人蔵
歩を進めると、いよいよアール・ヌーヴォー期の動物作品の展示に辿り着く。マイセンでは、模様から表情まで動物のしなやかさを表現することに成功、リアルさと愛らしさが両立されたというのだが、まさにその解説通り。まるで動き出しそうな動物たちが並んでいる様は、さながら動物園だ。
私が一番興味をひかれたのは、オットー・ピルツによって原型が制作された動物たち。たとえば「シマウマを襲うヒョウ」など、2頭あるいはそれ以上の動物が絡み合う彫像は実にリアルで美しい。
「二匹の猫」 オットー・ピルツ 1934-1940年頃 個人蔵
しかし残念ながら、メインイベントであるこの動物の作品群は撮影禁止で写真をここにお見せすることができない。ただ、他のコーナーのほとんどの作品は撮影可能なので、一般的な美術展と違い、写真を撮りたい人には嬉しい展覧会でもある。
最後はアール・デコ期の名手、マックス・エッサーによる作品群で飾られている。1793年刊行のゲーテの叙事詩『ライネケ狐』をテーマにした作品「ライネケの狐」は、それ以前のアール・ヌーヴォーの過剰なまでの装飾とは違った造形が楽しめる。
一連の作品を見終わって、ヨーロッパ初の硬質磁器製造を命じ、マイセン窯を創設、国を繁栄させたアウグスト強王という人に、俄然興味が湧いた。
当時、日本や中国など東洋から来た磁器はヨーロッパではまだ製法が解明されておらず、王侯貴族や実業家たちに大変な人気だった。アウグスト強王も熱烈なコレクターで、蒐集するだけでは飽き足らず、錬金術師ベドガーをマイセンにあるアルブレヒト城に軟禁し、磁器の製法を研究させたらしい。そしてついにベドガーは磁器の製造に成功、マイセンにヨーロッパ初の磁器窯が出来たというわけである。
ところで、強王というあだ名は怪力の持ち主だったからついたそうで、蹄鉄をへし折ったという逸話も残る。さらには、王妃がいながら生涯にわたり数多の愛人を持ち、300人以上の子どもがいたという説もある。
ヨーロッパ最高峰といわれるマイセン磁器は、一人の王の圧倒的な熱意、権力、資本と、ある意味の横暴さがあってこそ生まれたのかもしれない。ならば、このようなリーダー、方法がまかり通る時代背景や条件が揃わないと、ここまで稀有な創造、贅沢なコレクションは醸成されないといえなくもない。
とにかく、さまざまな想像をかき立てられる展覧会も、あと1か月足らずの開催である。特に動物好きの方、お早めにどうぞ。