そもそも空を飛べない人間には、飛行機を飛ばすうえでまだ克服できていない「バーティゴ(空間識失調)」という問題があります。曲技飛行のパイロットも恐怖を感じるといい、空自F-35戦闘機が墜落したのもこれが原因と見られます。

原因は「バーティゴ」…そもそもどういうもの?

 2019年6月10日(月)、防衛省は4月9日夜に墜落した航空自衛隊三沢基地のF-35A戦闘機について、パイロットの平衡感覚喪失にともなう人的要因の疑いが強いと発表しました。


パイロットがバーティゴに陥り墜落したと見られる、航空自衛隊三沢基地所属のF-35A「ライトニングII」。写真は同型機(画像:航空自衛隊)。

 F-35は2019年6月現在、日米をはじめ13か国が導入を決め、これまでに約400機が配備され、全体としては2機目の墜落事故でした。これは戦闘機の墜落事故としては記録的に少ない実績ですが、航空自衛隊における事故は、3月に初めてのF-35実戦飛行隊を編成したばかりで、その矢先でのものでした。

 防衛省が発表したところによると、墜落機のフライトデータレコーダーのメモリーは回収されていません。ではなぜフライトデータレコーダーがなくとも平衡感覚の喪失だと分かるのでしょうか。

「平衡感覚の喪失」とは、専門用語で「バーティゴ(空間識失調)」と呼ばれます。バーティゴは、パイロットの視角など五感による体感と機体の実際の姿勢が不一致になる現象であり、どんな飛行機でも、そして経験豊富なベテランであっても発生します。

 特にかすんで遠くが見えない状態、雲の中や夜間など、条件が悪いとあっという間に陥ってしまうことがあり、曲技飛行チーム「ウイスキーパパ」のパイロットである内海昌浩さんはバーティゴの恐ろしさについて以下のように話します。

「バーティゴに入ると計器が水平を示していても全く信じられなくなります。本能の部分では真っ逆さまに落ちていくような気がするのです。しかし本能に従ったならば本当に真っ逆さまに落ちることになるので、恐怖を抑え計器を信じなくてはなりません」

 バーティゴは戦闘機に限らず、多くのパイロットが経験するありふれた現象であるため、自分の感覚よりも機械を信用しなくてはならないことは必ず教えられます。もちろんF-35のパイロットも、バーティゴへの対応は知っていたはずです。

 それでもなぜバーティゴが原因とみなされているのでしょう。F-35が故障したことは考えられないのでしょうか。

なぜ「バーティゴ」が原因と見られるのか、その根拠

 F-35が故障した可能性は、おそらく真っ先に排除されたはずです。F-35に限らず自衛隊機のほとんど全てには「自己診断装置」が組み込まれており、コンピューターが自機の状態を常にチェック、異常があればパイロットにそれを知らせます。


墜落機の航跡概要図(イメージ)。航空自衛隊が2019年6月10日付で発表した「F-35A戦闘機墜落事故の要因と再発防止策について」添付資料による(画像:航空自衛隊)。

 事故機のパイロットからは墜落1分前に、「ノックイットオフ」という交信があったとされます。これは訓練のひとつの区切りを終えるという意味で、通常に使われる用語です。異常を感知し訓練を中止した可能性は排除できないものの、故障であれば故障である旨を報告することになりますから、機械的なトラブルがあった可能性は低いとみなすことができます。

 そしてパイロットによるノックイットオフの報告後、そのまま消息を絶ったということは、ほとんどそのまま海面に衝突したであろうことを意味します。事実、極めて高い速度から急降下するように墜落していることが明らかとなっています。

 戦闘機におけるこうした事故においては、ふたつの主要因が考えられます。

 ひとつは「G-LOC」です。G-LOCは高いGをかけた旋回時に発生するパイロットの「失神」を意味します。ただしこれは激しい空中戦闘機動時に限られますから、「ノックイットオフ」後であるため除外できます。

 そしてもうひとつは、今回の原因とみなされているバーティゴです。F-35にはバーティゴに陥った場合などに、自動操縦で水平飛行へ戻す機能があります。しかし極めて高速で飛ぶ戦闘機においては、バーティゴに陥った認識がほんの一瞬遅れただけで、これを使うことも手動で回復することもできない状況にまで悪化してしまうことは十分にあり得ます。実際、高度約9600mからわずか30秒あまりで墜落に至ったとされています。

人は空を飛ぶようにできていないがゆえの問題

 もちろんこれは、あくまでも「状況から合理的に考えうる最も可能性が高い原因」であり、2019年6月10日現在、事故の原因の断定にまでは至っていません。F-35はステルス機ですが、訓練時などはレーダー反射板が取り付けられており、また多機能データリンク(MADL)、リンク16と呼ばれる情報共有ネットワークを持っているため、機体がどのような状況であったかは、フライトデータレコーダーがなくともある程度は知ることができます。もしバーティゴであれば、こうした情報からいずれ原因が特定されることになるでしょう。


2018年にはアメリカ海兵隊のF-35Bが墜落したが、これはB型特有の問題で、また修正されているため、自衛隊F-35A型墜落との因果関係は考えられない(画像:アメリカ海軍)。

 F-35を飛ばすという仕事は、パイロットだけのものではありません。1機の戦闘機を飛ばすには何十人もの人が「この機体は安全に飛ばすことができる」と署名をしたうえで、初めて実施されます。特に、日常の整備を行う航空機整備員は、飛行のたびに必ず署名しています。「F-35が墜落した原因として機械的な故障が考えられない以上、サインした多くの人たちの仕事には問題がなかった」と結論付けられることは、極めて重要となります。

 もちろん人的要因であったからといって、パイロットの名誉が傷つくことはありません。バーティゴとは地上での生存に適した進化を遂げた人間が、空中に進出したために初めて問題となった、人類共通の課題であるからです。2018年には嘉手納基地のアメリカ空軍F-15Cがバーティゴで海上へ墜落(パイロットは脱出)、また航空自衛隊のF-15Jでもバーティゴでの墜落事故が発生しています。

 残念ながら人類が現在までに得た知見やテクノロジーでは、このバーティゴを克服できるには至っていません。

【写真】どっちが上? 雲間を飛ぶ飛行機のコックピットからの光景


この写真の機体の姿勢について、人によっては水平状態であったり背面状態であったり様々に感じるだろう。人間の感覚は容易に狂う(画像:ウイスキーパパ競技曲技飛行チーム)。