「おらは百姓、働く一方の人間ですけ。政治家は、もうコリゴリだで。こんだの世には、政治家には関係しません。働く一方の家さ、嫁にいきてぇもんだ」

 そのフメが86歳で亡くなったのは、昭和53(1978)年4月18日であった。前年1月から、すでにロッキード裁判の東京地裁での審理が始まっていた。心痛、癒えぬ中での死であった。

 筆者は、5月の連休になって西山町の実家で営まれた法要を取材している。折りからの「スト権スト」で鉄道が全面的にストップの中、「闇将軍」として君臨していた田中は、田中派議員100人超を召集してみせた。おそらく、筆者同様、前日から新潟に乗り込んでいたものと思われた。家の前に立てられた政界人、経済人などの花輪の列は、じつに300メートルもあったのである。

 驚いたのは部屋での読経のさなか、家の裏庭に“七輪”がズラリと並び、大ぶりのイワシを焼いて客に振る舞っていたことだった。焼いているのは、近所の田中支持者の女性たちであった。田中は、客の一人にこう言っていた。

 「どうだ、うまいだろう。精進料理などつまらん。とれたての春のイワシがいいんだ」

 フメは田中を15歳で上京させて以来、田中が首相の座に就くまでの間、会うたびにこう言っていた。

 「人様に迷惑をかけちゃなんねぇ。これだけありゃ、世の中そうはしくじりはござんせんよ」

 「辛抱」に生きた母に、春まだ寒かった新潟の地で、田中によるイワシの弔い演出は、妙に似合っていたのを覚えているのである。
(文中敬称略)

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【著者】=早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。