【乙武洋匡の転機】浴びてきた批判「お前は恵まれてる」

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1998年、一冊の本が出版されると大ベストセラーになる。著者の乙武洋匡は生まれながらにして両腕、両足がないという障害を持つ大学生。一気に知名度を上げた乙武だったが、同時に思わぬ方向から批判を浴びることにもなっていた。

昔、乙武はサッカーの取材現場によく現れていた。笑顔で選手たちと語り合う姿はピリピリしがちな場の緊張感を和らげ、さらにその場にいるみんなと話に花を咲かせていたりしたのだ。だが彼はいつしかいろいろな場に現れなくなってしまった。

今回の取材では自分の転機に何が起きたのか詳しく語ってもらった。現在では、再びスポーツの世界を取り上げるようになっているそうだ。サッカー選手たちとの交流も続いているという。もしかすると2020年パラリンピックが彼にもう一度力を与えてくれるのかもしれない。

【取材:日本蹴球合同会社・森雅史/写真:Backdrop・神山陽平】

誰かを傷つけてしまう本になるとは思わなかった

私にとって一番の転機になったのは「五体不満足」という本を講談社から出版したことですね。あの本を出したのは大学3年生の秋、22歳のときでした。私は今年で43歳ですから、21年前になりますね。

あの本で私のことを人様に知っていただくようになりました。それまでは普通の大学生活を送っていた人間が突然、街中で写真やサインを求められたり、家の前3カ所ぐらいにずっと週刊誌の記者が立っていたりということになって、本当に戸惑いの連続ではありましたね。

本が出版された当時は、講演会の依頼だけで1日に300件あったんですよ。話のほとんどは講談社のほうに行くんですけど、私の自宅を知ってる方なんかは直接連絡してくるので、家に帰ると床一面がファックスの感熱紙で埋まっているという状況でした。大学生ながら1日のほとんどはインタビュー取材で埋まったりとか、まぁ今考えても異常な生活ではありましたね。

でも自分は有名になりたいと思ったことはないですし、もっと言えば本のオファーも、ずっとお断りしていたんですね。ただ「五体不満足」の担当編集者の方が、非常に粘り強く説得をしてくださるうちに、本を書くということにはやっぱり抵抗があったものの、それ以上に私の中で社会に対して伝えたい想いというものがあって、本を出すことでそのメッセージを伝えられればいいのかなと、という思いになったんです。

その伝えたい思いというのは、「障害者=かわいそうな人、不幸な人」というイメージが根強くあって、もちろんそういった側面もあるかもしれないけれども、私のように楽しく、ハッピーに生きている障害者もいるよ、ということなんです。そういう存在を世間の方に知っていただければなぁという思いだったんですよ。

世間で「A」だと思われていたイメージを、自分が一例となって「B」という存在だってちょっとでもいるんだよということを伝えたかったんですね。ところが誤算だったのは、その本があまりに多くの方に届いた、「五体不満足」が取り上げられたことで、今度は逆に障害者のイメージが「B」に固定されてしまったんです。

それで、本来もっと改善していかなければいけない部分、いわゆる障害者が実際に多くの苦労をしているという側面に逆に光が当たらなくなってしまったんです。それは正直、私の誤算ではありましたね。

その後、これはマズいなと思って、「障害者も苦労している部分もある、社会的に改善していなければならない部分もある」ということをメッセージとして発信していこうとすると、今度は「障害者ぶるな」と非難されたりして(笑)。

私が本を出した後、浮き足立たずに済んだ要因の一つは、やっぱり思いも寄らなかったバッシングだったんです。そもそも600万部という、凄まじいベストセラーになることすら当然想定していませんでしたけれども、それに加えて、本を出すことで見知らぬ人から非難を受ける立場になる、というイメージが当然なかったんですね。

ところが当時は、インターネットの巨大掲示板でも話題になったり、直接的にお手紙なんかが大量に講談社に届くようになって、その中には結構批判的なものも少なくなくて。しかもその批判の主の大多数というのが、障害当事者や、そのご家族だったんですね。

「お前はたまたま恵まれていただけだ」とか「お前が登場したことによって、『乙武さんだってあんなに頑張ってるんだから、それより障害の軽いアナタはもっと頑張れるはずだ』と言われるようになった」といった理由から、「なんであんな本を書いてくれたんだ」とか。

そんな批判を浴びることになったときに、うーん、すごくやっぱりこう……考えさせられたと言いますか、自分としては……別に誰かの役に立てたらとまでは思い上がった気持ちでは書いてないですけども、ただ、結果としてどなたかを傷つける本になるとは……夢にも思ってなかったので。

確かに私は、肉体的には欠損した状態で生まれてきましたけれども、親の愛情であったり周囲の環境というものには恵まれてきた人間だと思います。ですが自分自身、こういう体に生まれてきて、「お前は恵まれてる」と言われることになるとは夢にも思ってなかったですね。

でも確かに障害、肉体的なもの以外に、いろいろなしんどさを抱えている方がいるということは勉強になりましたし、私自身は当時、無邪気にこういうメッセージを発信したいと思いましたけど、発信することの影響力ですとか、発信することで逆に傷つく人もいるとか、そういったことと向き合わざるを得なかったんですよね……。

いろんな取り上げられ方をしても、そんなに浮かれてばかりいられなかったという……逆にそれはすごく感謝してますね。

そんな中で非常にありがたかった、助けられたのは、両親や友人という身近にいた人たちが、それまでと変わらぬように接してくれたことでした。自分自身、浮き足立つことなく、わりと落ち着いて物事を考えたり、自分の将来を冷静に見つめたりする基盤になったという意味ですごく感謝しています。

「乙ちゃん」のイメージは「清く正しく美しく」だった

障害者のイメージが固定化していく上では、たぶん24時間テレビの影響がすごく大きかったのかな、という気がしてるんですね。何か困難に向けて健気に頑張る障害者を応援する。それが毎年日本の夏の風物詩として定着していく中で、みなさんの障害者像というものが、そこに縛り付けられてしまった。

と言うのも、「五体不満足」をもう一度冷静に読み返していただくと、車椅子を得意げに乗り回して先生に怒られていた小学校時代、学年一番の不良少年とつるんで授業を抜け出していた中学校時代、アメリカンフットボール部にのめり込んで赤点ばかり取っていた高校時代と、どこを切ってもあんまり優等生然としたエピソードって出てこないんですよ。

なのに、その読後感といいますか、読み終わった後の「乙ちゃん」に対するイメージって、「清く正しく美しく」に変換されてるんですよね。一つひとつのエピソードは全然そんなこと書いてないのに。

もともと「五体不満足」が出る前から、「障害者とはこういう人たち」というイメージがある程度固定化されていて、本がベストセラーになっても、そこには抗えなかったのかなという部分はありますね。

では「五体不満足」が世に出て21年で何かが変わったのか。物理的にはずいぶんと変わったと思いますよ。21年以上前は東京でもエレベーターが設置されている駅などほとんどありませんでしたし、車椅子対応のバスもほとんどありませんでした。そういう意味では、ずいぶん進歩したのかなと。

意識としては、どうですかね。身体障害のような見た目でわかりやすい障害については変わってきたと言えるのかもしれません。NHK・Eテレの「バリバラ」なんて面白いですよね。24時間テレビのような「お涙頂戴」ではなく、障害者のリアルをきちんと伝えているし、いい意味でフラットに接している。あの感じ、すごく好きで番組発足当初から応援しているんです。

「バリバラ」が画期的だと思うのは、たとえば障害のある青年が番組にやって来て、「僕モテないんですけど」と相談をするわけです。もし別の番組だったら、「障害なんて恋愛には関係ない。人間はやっぱり中身だから、いくら障害があろうと前向きに頑張っていれば、あなたのことを好きになってくれる女の子がいるはず」みたいなキレイごとをたぶん言うんですよ。

ところが「バリバラ」は何をするかというと、「いや、だってお前ダサいもん」とか言うわけです。痛快ですよね。「お前、まずファッションセンスを何とかしろ!」みたいなことを言うんです。そういうのが健全だと思うんです。実際、気休めにもならないようなキレイごとより、よっぽど有益なアドバイスだと思いますし。

なんだろうな……今は障害者を本当に理解しようと思っているわけではなくて、理解をしようとしていることでエクスキューズを得たいんだと思うんですよ。それが学校教育に一番よく現れていると思っているんです。

最近の学校では、「バリアフリー」の授業で、体育館で車椅子に乗ったり、アイマスクをして視覚障害の体験をしたりするんですけど、正味30〜40分なんですよ。でも、それで何がわかるんだろうと。小学生が体験だと言って、安全な体育館で小一時間だけ車椅子に乗る。そんなのスケボーみたいなもんですよ。楽しさしかないわけです。

本当に理解しようと思ったら、朝起きて身支度して、ぎゅうぎゅう詰めのバスなり電車に乗って通勤や通学して、学校や会社で過ごして、また満員電車に揺られて家に帰ってきて、最後に寝るというところまで、一歩も車椅子から立ち上がらず、24時間過ごしてみてほしいと。

30〜40分乗って「体験は辛かったですね、大変さをわかりましょう」なんて、わかったふりをしたいだけじゃないのかなと。本当の障害者は24時間どころか365日どころか、平均年齢八十余年、ずっと車椅子生活なワケですからね。

あとは、そうですね……やっぱり、私一人がメディアに出ているような状況は早く変えていかなければいけないなと。この21年、けっこう孤独な戦いではあったんですよね。だから、3年前に騒動を起こして私が活動を自粛してる間に、期待していた部分もあったんですよ。もっと多くの障害者が、今こそメディアに登場する絶好の機会になるんじゃないかって。

私が表舞台から姿を消している間に、障害にまつわる様々なトピックスがあったんですよ。相模原障害者施設殺傷事件、リオ・パラリンピック、“感動ポルノ”批判。私が活動を自粛しているのだから、私以外の障害者に話を聞けばいいものを、メディアはそれでも私にコメントを依頼してくださる。まあ、ありがたいことだとは思うものの、健全ではないなと。

結局、それらの件では、なかなか障害当事者の声が取り上げられることはなかった。私がコケていたんですから、その間に私を蹴落とすような人材が現れてくれることを期待していたんですけどね。

だからR-1グランプリで視覚障害者の濱田祐太郎さんが優勝なさったときは本当にうれしかったですね。こういう方がもっともっと増えてくるようになれば、私もとっとと引退して、自分の人生を楽しむためだけに時間を費やせるのにと夢想しますけどね。ただ、今はまだそういう状況にないので、こうして恥を忍んでまたのこのこと出てきたわけですけど。

一つだけ扱うことを避けていたジャンルがあった

私がスポーツライターになったのも、「五体不満足」がきっかけでした。本が出版されたのは大学3年生の秋で、当時は大学3年生の冬が就職活動を始める時期だったんです。なので、本が出てすぐ私の同期たちが就職活動を始めたのですが、私は「五体不満足」ブームでそれどころではなくなってしまったんです。とはいえ、刻一刻と卒業は近づいてくるので進路を考えなければいけなくなった。

「五体不満足」を読んだ方が講談社にいっぱい感想のお手紙を下さる中で、私の進路について、「障害者福祉の道で頑張ってください」とか「バリアフリーの旗頭として期待しています」というような声がかなり多かったんですね。でも私はそう言った声が高まれば高まるにつれ、「うーん、危険だなぁ」と思うようになってしまって。

顔と名前が一致する障害者になった、その人間が結局進んだのは障害者福祉の道でした、となると、「やっぱりああいう体の人は、そういう道でしか生きていけないんだね」という固定概念が、より固定化されてしまうんじゃないかと思ったんです。

だからむしろ、「え? 障害があるのに、あの人、そんな分野に進んだの?」という意外性のある分野に進み、そこで一人前の活躍をしてみせる、それが本当の意味でのバリアフリーじゃないのかなと思ったんですね。

本が出たのは21年前でしたから、当時はまだパラリンピックの存在をほとんどの日本人が知らなかった、つまり、障害とスポーツという接点がまだ見えてこなかった時代だったんですね。障害とかけ離れていると思われている分野で、なおかつ私が非常に興味があって情熱を注げる分野って何だろうと思ったときに、それはスポーツでした。そうしたことから、スポーツライターという道を選んだんです。

ところが、当時、自分の中で一つだけ扱うことを避けていたジャンルがあって、それが障害者スポーツだったんですよ。せっかく障害とは切り離れた分野ということでスポーツを選んだのだから、そこで私が障害者スポーツを扱ったらその意味が薄れてしまうと思って。いろいろ勧められたのですが、そこは少し避けていた部分もあったんです。

逆に今は、パラアスリートの方々との対談連載を始めています。この21年間で日本人もパラリンピックという存在を多くの人が知るようになり、また、2020年東京オリンピック・パラリンピックが決まって注目もされていますから、私がパラアスリートの取材をさせていただいても、純粋に競技の面白さ、人物の魅力、そういったところを伝えられるんじゃないかという思いがあるんです。

それで、パラアスリートの対談をさせていただくと、これが非常におもしろいんですよ。何がおもしろいって、自分とは違う障害の話は、健常者のみなさんにとって新鮮であるのと全く同じように、私にとっても新鮮なんです。

たとえば、2012年ロンドンパラリンピックで金メダルを獲得した女子ゴールボールのキャプテン、小宮正江さんにお話を聞いたんです。そのとき、目が見えない中でプレーをすることの大変さだけではなくて、「目が見えないことでキャプテンとしてチームを統率することの難しさってどんなことがあるんですか?」って聞いたんですよ。

そうしたら「チームメイトが涙を流しても気づけないんです」って。これはちょっと我々には気づけない視点なんですよ。もちろん声をあげておいおい泣いていれば気づけるんでしょうけど、普通涙ってスーッと流れてきますから。

あと表情もわからないから、「コーチの叱咤激励に、どの選手は悔しそうな顔をして、どの選手は真摯に受け止めてっていうのもわからない。そういう大変さはありますね」って。この話にはちょっと気づかないですね。そういうご苦労があるんだなと思って。

サッカーの取材で言うと、私が取材の現場に行っていたのはフィリップ・トルシエ監督の時代でした。日本代表が非常に数字が取れるコンテンツだった時代で、選手たちは本当にスターとしてもてはやされていたんです。

そこで一番印象的だったのは、代表クラスになればなるほど、チャラチャラしていないし、生活面も含めて厳しく自分を律していて、優先順位というものが非常にハッキリしているということでした。逆に、いいものを持ちながらもなかなか上に行けない、花開かない選手のほうが、かえって夜の街に繰り出しては遊んでいましたね。それまでのイメージは、スター選手ほどチャラチャラ遊んでいるのかなというものだったんですけど、そうではないんだなと。

インタビューがおもしろかったのは、ディフェンスの選手でした。オフェンスの選手は本当に気のいい選手だったんですけど、感性で動いているんで、インタビューしても質問に対する答えは結構一貫性がないというか、話が前後のつながりを欠いたりするんですよ。

ところが森岡隆三さんとか、宮本恒靖さん、中田浩二さん、楢崎正剛さん、相馬直樹さん、この方々などは、やっぱりいろいろ考えながらプレーしてるなというのが伝わってくるんです。それはやっていておもしろかったですね。

最近の日本代表選手で言うと、冨安健洋選手が気になりますね。最近、冨安選手が所属するベルギー1部リーグのサッカークラブ、シントトロイデンの会長になられた村中悠介さんとお会いさせていただいたんですけど、そのとき「あんなに、サッカー以外の要素を排除して、ストイックに真面目に取り組む人間を僕は見たことがないです」って、冨安選手を絶賛してらっしゃいました。

30代後半の村中さんにそう言わせる20歳の冨安選手って、これはちょっとすごいなと。だから今現在の実力値で言ったら、吉田麻也選手と組み合わせるセンターバックは、昌子源選手や槙野智章選手あたりが候補に挙がってくるかもしれないですけど、3年後というのを考えたら冨安選手とのコンビもいいんじゃないかと思ってるんですよ。(了)


乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)1976年4月6日、東京都生まれ。日常生活は車椅子を使用しながらも精力的に活動を続けている文筆家でテレビ出演も多い。現在は義足を使って歩行するというトレーニングも行っている。