ロブ・マンフレッドMLBコミッショナー【写真:Getty Images】

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ルール改正に対して他競技より保守的な野球、MLBにおけるルール改正の歴史は…

 先月、MLB機構と選手会が、マウンドを低くすることや、マウンドから本塁までの距離を長くすることを検討しているというニュースが報じられた。そのほかにもナショナル・リーグでの指名打者制導入、投球間隔を20秒以内にするなどの多数のルール改正が検討されているようである。

 競技をより興味深いものにするため、また普及するためにルール改正が行われることは実は珍しいものではない。近年では柔道で大幅なルール改正が行われた。現在100mの距離で行われている五輪の女子ハードルは、前回の東京五輪では80mだった。選手の運動能力も年々進歩するため、時代によって適正な規格が変わってくるのも当然のことだ。

 だが野球の歴史において他競技並の大変革と言えるのは、指名打者制の導入程度だろう。野球はルール改正に対して非常に保守的な競技と考えられる。にもかかわらず今回マウンドから本塁の距離にまで手加えようとするのは、いずれゲームの枠組みが破壊されるのではないかという懸念をMLB機構が抱いているためだ。何に対しての危惧かといえば、それはおそらく投球に対する打者の生理的反応速度の限界だろう。

 マウンドから本塁までの距離は1893年に15.24mから18.44mに改められた。さらに13年ほど遡ると、この距離は13.72mにまで縮まる。日本に伝えられた野球に正岡子規が熱中していた時代の話である。

 もし現代の投手がこれほどしか離れていないマウンドから投球をすれば、おそらく試合にはならないだろう。しかし1892年当時のMLBの打者は、この距離でもリーグ平均打率が.245、長打率が.328とそこそこは打ち返しており、野球の原型はとどめている。

 詳しく記録を調べてみると、これだけ近い距離で投げているにもかかわらず1試合あたりの四球数は昨年のナ・リーグよりわずかに多い3.36個。三振に至っては昨年の1試合当たり8.64個に対して1892年は2.66個。驚愕の数字である。またマウンドから本塁までの距離が短いにもかかわらず、1試合当たりの許盗塁は現代の約3.5倍、失策も5倍発生したようだ。結果、昨年のMLBと比較しても1892年のほうが1試合当たりの得点は高くなっている。攻撃を阻止する力が明らかに低かったようだ。

 このように得点が多く入っている状況にもかかわらず、リーグはより打者が有利になる方向へのルール改正に踏み切った。当時のルールを維持すればいずれゲームとして成立しなくなることが想像できたのだろう。その後の投手能力の劇的な向上を見ると、その決断は長いスパンでは正しかったようである。

限界に近づく打者の反応速度、 投手を守るためにもラディカルなルール改正が必要?

 当然のことだが、打者はあらかじめ決まったコースに対してスイングするわけではない。ボールの軌道を見定めた上で通過するコースに向かってスイングする。スイングするか見送るかもボールが来る最中に判断しなくてはならない。ボールを見てから脳に信号が届くまでにも時間はかかる。

 陸上競技のスタートは、号砲が鳴ってから0.1秒未満に反応したものをすべてフライングと見なすようだ。信号が神経を通って伝達され、それに対して反応した場合、0.1秒未満に始動できないことが判明しているからである。ちなみに世界選手権における男女100mのリアクションタイムの平均は0.15秒を超えている。

 投手はマウンドのプレートよりもさらに打者寄りでリリースを行う。そのため本塁から18.44m離れたマウンドから投球モーションを開始すると、リリースポイントから打者のミートポイントまでの距離は16m程度になるだろう。170キロの投球の場合、ボールは0.339秒で打者のミートポイントを通過してしまう。この時間までに打者はミートポイントまでバットをスイングしていなければならない。

 さきほど紹介した陸上のリアクションタイム0.15秒を参考にすれば、コースを見定めて打撃に必要なだけバットを加速するまでに残された時間は、目いっぱい長く見て0.19秒弱。実際はこれより短いだろう。今後この時間がさらに短縮された場合、打撃動作を行うのに最低限必要な時間が残るかは甚だ心もとない。打者の反応がまったく間に合わなくなってしまえば、競技として破綻してしまう。あと数年レベルでは実現しないだろうが、現在の規格を維持する限りいつの日かカタストロフィーを迎えることは理解していただけると思う。MLBがルール改正に取り組む裏にはこうした現実があるのだ。

 さらに、マウンドから本塁への距離が検討の俎上に上がるのならば、いずれ塁間の延長も検討されることになるはずだ。現代の選手の身体能力や身体サイズ向上に合わせての変更であれば話が塁間距離にも及ぶのは当然のことである。

 ルールに定まった競技規格は単に、競技を最も適切に運営されるために規定されたものである。確かに野球は長いこと塁間を90フィート(27.431m)にして行ってきたが、その距離に神聖な価値があるわけではない。万古不変のものではないし、聖域化されるべきものでもない。物理法則のように将来にわたって変わり得ないものでもない。ゲームとしてより興味深く運営できること。選手の側にとっても今までより扱いやすい規格であること。プレーがより興味深いものになること。ファンに受け入れられるものであること。こういった条件を満たすために、必要があればルール改正には躊躇なく取り組むべきである。

 最後に今回のルール改正が、昨今の投手保護が叫ばれる趨勢に反するものではないかという意見は当然あるだろう。この件については別途、対処のための方法を検討するべきだと考える。投手を守るための方策はまだまだ残されているが、実際に効果のありそうなアイデアが報道されているようには見えない。本当に投手を守りたいと考えるなら、上記ルール改正と同じ程度にはラディカルな対応が必要ではないだろうか。(DELTA・道作)

DELTA http://deltagraphs.co.jp/
 2011年設立。セイバーメトリクスを用いた分析を得意とするアナリストによる組織。書籍『プロ野球を統計学と客観分析で考える デルタ・ベースボール・リポート1・2』(水曜社刊)、電子書籍『セイバーメトリクス・マガジン1・2』(DELTA刊)、メールマガジン『Delta's Weekly Report』などを通じ野球界への提言を行っている。集計・算出した守備指標UZRや総合評価指標WARなどのスタッツ、アナリストによる分析記事を公開する『1.02 Essence of Baseball』(http://1point02.jp/)も運営する。