理屈を知れば「ああ、なるほど」と納得できます(写真:えり/PIXTA)

今から2年前の2016年8月8日、天皇陛下はビデオメッセージを通じて、私たちに向けて「おことば」を表明されました。

これを受けて政府は2016年10月に「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を接地し、陛下の退位に関するさまざまな問題について議論しました。

拙著『池上彰の「天皇とは何ですか?」』でも詳しく解説していますが、この中でも大きな議論の焦点になったのは、退位を一代限りにするか、恒久的な制度にするかという問題です。つまり、今の天皇陛下だけに退位を認めるのか、それとも今後の天皇も退位したいという気持ちを持っていれば退位できるようにするべきなのか、が議論になっていったわけです。

なぜ、これが大事な議論なのでしょうか。それは、どちらの考えをとるかによって、法律の考え方が違ってくるからです。

退位を一代限りで認める場合は、「特例法」の制定で対応することになります。特例法とは、現在の法律で対応できないような新しい状況や緊急事態が生じたときに、特別につくる法律のことです。特例法は一時的な対応ですから、従来の法律そのものを換える必要はありません。

一方、天皇の生前退位を恒久的な制度にするのであれば、皇室典範を改正しなければなりません。どちらの考えにも長所と短所があります。

有識者会議での議論を経て、最終的に結論を出したのは国会です。「最終報告」を参考にして国会が議論をし、その結果、2017年6月に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立しました。つまり国会は今の天皇陛下だけに限って生前退位を認める特例法とすることに合意したということになります。

元号の制定基準とは

その後、具体的な退位の日程は2019年4月30日に決まりました。ということは、来年2019年5月1日から今の「平成」に替わる新しい元号になります。

そもそも元号とは、紀元前115年頃、漢の武帝の時代に中国で始まった年の数え方です。それが朝鮮半島を経て、日本まで伝えられました。中国大陸ではすでに元号はなくなってしまったのですが、日本はその伝統を守り続けてきました。

日本で使っている元号も、使っている言葉は中国の古典に由来するのです。

たとえば、「明治」は「明に嚮(むか)ひて治む」(政治が明るい方向に治まる)という『易経(えききょう)』(古代中国の書。占いの理論と方法が書かれている)の一節にちなんでいます。「大正」も同じく『易経』で、「大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり」(民の意見を聞き入れ、政治が正しく行われる)。

「昭和」は『書経』で「百姓昭明(ひゃくせいしょうめい)にして、萬邦(ばんぽう)を協和(きょうわ)す」。世界の人々がみな平和に暮らせますように、という意味です。

そして「平成」は『史記』の「内平かに外成る」と、『書経』の「地平かに天成る」の2つが由来となっています。国内も世界も平和になるように、ということですね。

明治以前は、1人の天皇の代で、何度も元号を変えることがありました。けれども明治になって、天皇1代の間に元号は1つのみ使用するという「一世一元の制」が定められました。戦後、1度は一世一元の制はなくなりましたが、1979年に元号法が制定され、一世一元の制が再び制度化されることになったわけです。

1979年に元号法が制定されたとき、その制定基準が以下のように示されました。

ア 国民の理想としてふさわしいよい意味を持つものであること。
イ 漢字二字であること。
ウ 書きやすいこと。
エ 読みやすいこと。
オ これまでの元号や諡(おくりな)として用いられたものでないこと。
カ 俗用されているものではないこと。

オには、これまでの元号と同じ言葉ではいけないとありますが、これは中国で使われた元号も含まれます。また、「諡」というのは、天皇や皇后などが崩御したあとに贈られる称号のことです。

「M・T・S・H」以外の頭文字

この6つの基準に加えて、ルールにはなっていませんが、もう1つ大事な基準があると言われています。それは、アルファベットにしたときに、明治以降の元号とは頭文字が同じにならないようにすることです。

お役所の書類などでは、元号が「M・T・S・H」とアルファベットの頭文字で簡略化されていることがあります。この4つと同じになると紛らわしいので、次の元号をアルファベットにしたときの頭文字は、「M・T・S・H」以外になるのではないか、と推測できるわけです。


では、元号は誰が考え、どういうプロセスで決まるのでしょうか。この点も、元号の制定基準とともに発表されています。

まず内閣総理大臣が、中国の古典に詳しい有識者や研究者数人に、候補名を考えてもらうように依頼をします。それらを先ほどの基準と照らし合わせて絞り込み、最終的には閣議で議論をして決定することになっています。

「平成」が決まった過程も、この流れに従っています。昭和の時代にすでに、「平成」「正化(せいか)「修文(しゅうぶん)」という3案まで絞り込まれていました。天皇が崩御された当日に、有識者の懇談会が開かれ、そこで「平成」が支持され、その後、内閣の全閣僚会議で正式に「平成」に決定しました。

ちなみに、前の3案をアルファベットにすると、「正化」「修文」はどちらも頭文字がSですね。これでは昭和のSと重なってしまう。それで「平成」に決まったと考えられています。

ただ、うがった見方をすると、内閣は、明らかに最初から「平成」にするつもりでいた。だから有識者の懇談会でもすぐに結論が出るように、Sで始まる「正化」と「修文」を候補に入れたのではないか、とも考えられています。