18年間も巨人の控え捕手をつとめあげた「準備」の哲学

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一度も1軍レギュラーになれぬまま18年間生き残る
 一時期、東京ドームに“日参”するほどプロ野球観戦に夢中だったことがある。チームスポーツとして楽しんでいたので、特定の選手に肩入れすることはあまりなかったのだが、当時巨人(読売ジャイアンツ)で活躍していた鈴木尚広さん(現・野球解説者)のプレーは気に入っていた。

 ご存知の方も多いだろうが、鈴木さんは現役当時「足のスペシャリスト」として知られ、引退した2016年シーズンまでの数年間は、ほとんど「代走」としての出場ばかりだった。それでも巨人ファンのみならず、ある程度野球を知っている人なら誰もが知る選手だったのは、盗塁の技術がずば抜けていたからだ。彼の代走での通算盗塁数は日本記録となっている。

 鈴木さんは「準備王」と呼ばれることもあった。試合当日は誰よりも早く球場入りし、入念にストレッチ等のメニューをこなす。何より印象に残っているのは、スタメンに入っていない時でも、試合中は常にベンチの端に陣取り、身を乗り出して戦況を見つめていたことだ。

 代走というのは、いつ出番がくるのか予想がつかない。その試合で出番があるかどうかすらわからないのだ。それでも鈴木さんは初回から真剣な表情でグランドを観察していた。

 後で知ったのだが、彼は、いつ代走に出されてもいいように、相手チームの投手や捕手、内野手などの動きを頭に叩き込んでいたのだそうだ。

 『松坂世代の無名の捕手が、なぜ巨人軍で18年間も生き残れたのか』(竹書房)は、鈴木さんと同じ年に巨人のユニフォームを脱いだ元捕手、加藤健さんによる著書だ。阿部慎之助選手という圧倒的な正捕手がいたこともあり、結局一度もレギュラーにはなれなかったが、「カトケン」の愛称で親しまれ、18年の長きにわたり巨人の控え捕手として活躍した。現在は、独立リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの社長補佐を務めている。

自分を「使いやすい商品」と考える
 加藤さんは新潟県立新発田農業高校で甲子園に出場した後、1998年のドラフトで3位指名され、読売ジャイアンツに入団。その2年後の2000年のドラフトでは阿部慎之助捕手が逆指名で入団を決めている。それ以来加藤さんは2軍暮らしが主となり、たまに控え捕手として1軍に呼ばれる、といった選手生活が続いた。

 そんなプロ生活初期の頃から加藤さんは、自分を「使いやすい商品」と考えることにしたそうだ。その商品を買う、すなわち1軍選手として起用するのは球団の首脳陣だ。いつでも必要になった時に“買って”もらうために、“使いやすい”ようにしておこうと、加藤さんは決心した。

 首脳陣は「新商品」が出れば、まず使ってみようと思うだろう。つまり、新人捕手が入団したり、トレードやフリーエージェントで他球団から捕手が入ってきたら、試しに1軍で起用してみる。もしその時、彼らがあまり使えなかったり、まだ1軍レベルの力が育っていないと判断されれば、信用できる「元々あった商品」を買うはずだ。加藤さんはそう考えて「そう思われた時のためにしっかり準備しておこう」と誓った。

 ここで「準備」という言葉が再び出てきた。そう、加藤さんは鈴木尚広さんと同じく、現役時代を通して、チャンスが来た時のための「準備」に心血を注いでいたのだ。

 加藤さんの「準備」とはどういうものか。「怪我をしない」のは大前提だ。故障していては「商品」にならない。その上で加藤さんが心がけていたのは「コミュニケーション」だった。

 捕手というポジションは、バッテリーを組む可能性のあるすべての投手の球種やクセ、性格などを把握しておかなければならない。そして控え捕手は正捕手よりもはるかに多くの投手の情報を仕入れておく必要がある。ある程度組む投手のローテーションが決まっている正捕手と違い、控え捕手は1軍・2軍問わず、どんな場面で誰の球を受けるかわからないからだ。