山寺宏一さんのTwitter(@yamachanoha)より

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■人気声優のツイートからネタ投稿合戦、勃発

6月初旬、声優・山寺宏一のツイートがきっかけとなり、自分の写真とともに「彼氏(彼女)と○○なう。に使っていいよ」と投稿することがちょっとしたトレンドになった。この遊びには多くの芸能人だけでなく、さまざまな公式キャラや映画などの公式アカウント、さらには一般人までも参加し、瞬間的になかなかの盛り上がりを見せた。

発端となった投稿とは、山寺が見晴らしのよい窓辺でリュックを背負いながら立ち、後ろを振り返っている写真に「彼氏とデートなう。 に使っていいよ。」と書き添えたものだ。たしかに、デート中の何気ない一コマ……という雰囲気に見えなくもない。

要するに山寺は「一見『彼氏とデート中』という幸せ自慢のツイートと思いきや、よく見たら実は声優の山ちゃんだった!」というネタ投稿に自分の写真を使うことを許可したわけだ。こうした投稿自体は「#名作のタイトルに一文字足すとよくわからなくなる」的な、SNSでよく見かける遊びである。まるで大喜利のごとく、前述したようなハッシュタグを添えてツイートし、誰がより面白い投稿をひねり出すことができるだろうかと盛り上がる。先のお題でいえば、「君の名器は。」や「遠山の金返さん」といったネタを投稿するのだ。

■ブームに「乗れる人」は、どんなタイプか

どうも人間は、こうしたお遊びだったり、ちょっとしたブームだったりが生じた時、その流れに「乗れる人」と「乗れない人」が明確に分かれるものらしい。そして、「乗れる人」は毎回乗る一方で、「乗れない人」は毎回スルーする、と同じ反応をとり続ける傾向があるようにも感じる。

私はなんとなく、それが「クラスの人気者だった経験があるか、ないか」と関係するのかな、とも思ってしまうのだ。他にも「バーベキューが好きか、嫌いか」「クリスマスパーティやハロウィンパーティに参加するか、しないか」などと問われたときに、どう答えるかも関係しそうである。何のデータの裏付けもないのだが、「乗れない人」にとってはなんとなく理解できる判断基準ではなかろうか。

■「パーティやバーベキューが苦手」という心性

「乗れない人」は、皆が楽しそうに盛り上がっている場面に本当は入りたい気持ちがありつつも、自分なんかが入ってつまらないことを言ってしまい、場の空気が凍るようなことだけは絶対に避けたい──。とかく、そんなことを考えているものだ。そういった人だから、バーベキューやクリスマスパーティなど、知らない人が大勢集まるような会が苦手なのである。

たとえば、学生時代の友人に誘われて、パーティに参加。総勢30人くらいの参加者の大半は、誘ってくれた友人の会社の同僚と、その恋人や配偶者だったとしよう。そんな集まりに、やや場違いな自分が入ってしまった。辛うじて3人ほど知人もいたから、最初のうちは彼らとポツポツしゃべって過ごす。しかし、その3人も他の参加者たちと交流を始め、いつしか自分は8人くらいの名前も知らぬ人々の輪のなかで半笑いを浮かべ、ただひたすらにビールを飲んで頷いているだけ。頻繁にビールを取りに行ったり、トイレに行ったりして間をつなぐも、気持ちは時間が経つにつれてどんどん惨めになっていく。

その一方、会場の各所では「ドッ!」と大笑いが発生し、ついには踊りだす人まで出てくる。いよいよ居たたまれない気持ちになり、退席しようか……と腰を上げそうになったところで現れるのが、清楚な黒髪の女性。「私、なんだか人に酔っちゃった……お名前教えてくださる?」「山田太郎と申します。僕もなかなかこうした場にはなじみづらくてね」「だったら二人でしゃべりましょうよ。私、橘綾乃と申します」──なんて展開になることは、ほぼない。

そして山田太郎君は「あぁ、最初からこうなることは分かっていたんだから、テキトーな用があることにして来なければよかった……」と駅までの道すがら考えるのである。山田は終了直後のにぎわいが続くパーティ会場を真っ先に飛び出て、誰からも姿を追われたり、声をかけたりすることもないまま駅へ猛進。同じころ、酔って楽し気な他の参加者たちは、店の外の路上で名残惜しそうにダベっていたり、2次会の相談などをしていたりするのだろう。

■スタッフ的な立場で「惨めな気持ち」を回避

先述した「ハッシュタグ祭り」などについても、これと同様の感覚がある。かく言う私も「乗れない」側の人間だし、バーベキューもクリスマスパーティも苦手だ。もし参加するのであれば、企画側を手伝う人間として、受付で会費の徴収でも担当していたい。それだったら手持ち無沙汰になることもないし、誰ともしゃべらずとも、惨めな気持ちを抱かないで済む。「オレは仕事があるんだからな、ドヤ!」という感覚で過ごせるのだ。

また“企画側っぽい人”でいると、会場の雰囲気になじめず寂寥感を感じた参加者にとってのしゃべり相手にもなれる。よく、外国人観光客が駅の警備員や、工事現場の警備員に道を尋ねているのを見かけるが、あれは「一般の人には聞きづらいけど、たまたまその場にいる公的な立場っぽい人にはなんとなく話しかけやすい」という意思が働いているからだろう。それと同様に、「幹事団」や受付担当は、パーティで疎外感を味わってしまいがちな人にとっては、ある種の駆け込み寺的存在になれるのだ。

■八方美人である必要はない

ここまで述べてきたことは、「ノリ」という、非常に感覚的な要素の話だ。その場のノリを上手につかんで楽しめる人もいれば、なかなかついていけずに置物のように過ごすしかない人もいる。そして、自分とノリが合う相手、合わない相手がいるのも、また事実だ。

フェイスブックやツイッターでも、ハッシュタグ祭りのようなムーブメントに乗れるか乗れないかは、その人の感覚次第で違ってくるもの。そして、その人物がどんな反応をしているかを観察することで、「リアルで会ったときも、たぶんこの人のノリにはついていけないだろうな」などと、その後の関係構築についてある程度判断できるかもしれない。

新たな人と出会った際に今後の関係が深化するか否か、お見合いパーティで知り合った人と果たして交際まで至れるかどうか――そうした判断は「クリスマスパーティやハロウィンパーティ、バーベキューは好きですか?」「ネットでハッシュタグ祭りに参加しますか?」という質問をぶつけてみると、それなりの確度で予測できるのではなかろうか。

人間はそんなに八方美人になれるわけでもない。また、年齢を重ねるにつれて、勢いやノリだけでは人間関係を築けないこともわかってくる。大人になったのであれば、付き合う相手は自分と志向や波長の合った人物を中心にするほうが、余計なストレスもなくなるというものだ。

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【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・ネットの「お遊び」やトレンドに乗れなくても、パーティやバーベキューの雰囲気になじめなくても、気にする必要はまったくない。合わない「ノリ」に付き合っても、疲れるだけ。
・八方美人であるより、自分と嗜好の合う人との付き合いを大切にする。それが大人のたしなみだ。

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中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライター、「TVブロス」編集者などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『バカざんまい』など多数。

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(ネットニュース編集者/PRプランナー 中川 淳一郎)