まさに青天の霹靂(へきれき)だった。「クリーブランド・インディアンス3A村田透北海道日本ハムファイターズ入り決定」のニュースが流れたのは、今月の17日だった。この数日前から同様の報道がなされていたが、その時点では、彼がウインターリーグに参戦しているベネズエラの新聞報道を引用した憶測記事にしか過ぎなかった。

 この憶測記事が流れてすぐ本人にことの真偽をメールで確認したのだが、同様のメール、電話が殺到していたのだろう。返事が来たのは数日後だった。

「まだ、自分は何も決めていない。すべてはエージェントに任せています」

 このような内容だったのだが、これを受け取って数時間後に冒頭の発表があった。日本ハム球団からのプレスリリースが出ていたので、今度は疑いようがなかった。

「決めていない」と言っていたが、すでに日本ハムからのオファーは検討していたのだろう。しかし、正式な合意があるまでは決して口外しない。筋道を重んじる実直な村田らしい対応だった。

 昨年3A最多勝の15勝を挙げても、球団の評価は決して高くはなかった。昨年オフ、「来季は最低でも招待選手でメジャーキャンプ」と言い、もしそれがかなわねば、日本復帰やメジャー他球団への移籍もほのめかしていたが、結局、「自分のことを一番分かってくれている」というインディアンス残留を決めた。

 しかし、キャンプは例年通りのマイナースタート。3Aでのシーズンも当初はブルペン待機を命じられ、悶々としたシーズンだったことは想像に難くない。夏場以降は先発に復帰したが、インディアンスが村田をメジャー戦力というよりは3Aの縁の下の力持ちとみなしていることは明らかだった。

 つまり彼は、若い有望株やメジャー契約のリザーブ選手のため、クオリティの高い試合を提供すべく3Aの舞台に立たされていたのだ。30歳を超えた「メジャー未満3A以上」のベテランに突きつけられる現実だった。

 3Aのシーズンを9月初めに終え、しばらくアメリカに滞在。月末に帰国するも、日本滞在1週間弱で村田はウインターリーグに臨むべくベネズエラへと旅立った。10月に入り、ベネズエラでのシーズンを迎えたとき、インディアンスはワールドシリーズを戦っていた。

「たくさんの選手が一緒にやっていたので嬉しいところでもありますが、そこに入って貢献できていないのは残念でもあります」

 彼のこの言葉からは、悔しさがにじみ出ている。それと同時に、もう一度、先発投手としてやり直したいという気持ちもある。村田は常々こう口にしていた。

「どこで投げるのかにはこだわりはないのですが、特にアメリカでは、リリーフは三振の取れるパワーピッチャーが重宝されますからね。自分の適性は先発にあると思います」

 2011年の渡米以来、球速は増したが、決して「速球派」と言えるものではなかった。球のキレと変化球のコンビネーションで勝負する村田にとって、試合を作る先発という役割は「天職」であることをベネズエラで再確認したのではないだろうか。

 今季、ベネズエラでは5度登板して防御率6.43と芳しいものはなかったが、彼にとって自身が先発投手だと確認できたことでこの冬のシーズンは十分だったのだろう。その確認ができた以上、アメリカでプレーする必要はなくなったのではないだろうか。

 6シーズンにわたってプレーし、自分の適性を十分に理解しているはずのインディアンスが、トップチームはおろか、3Aでも先発要員とみなしていない。その現状と31歳という年齢を考えると、先発の一角として戦力とみなしてくれる日本球団との契約は現実的な路線であるといえた。

 日本ハムの栗山英樹監督は、村田を先発陣のひとりとして考えているという。おそらくこのチーム方針が、村田の心を決めさせたのだろう。移籍発表から数日後、私の手元に来たメールにはこうあった。

「ファイターズに決めたのは、選手がプレーしやすい環境だと思ったからです。それに北海道のファンの熱い応援も魅力ですね。抱負としてはとにかくチームの勝利に貢献したいです」

 一部で、来年3月に開催されるWBCの侍ジャパンの"隠し玉"として村田の代表入りもささやかれているが、自分の出る幕ではないとばかりに、「どこの国も今度はメジャーリーガーが出てくるらしいので、どんなプレーを見せてくれるのか楽しみです」と他人事を決め込んでいる。しかし、先の強化試合で"WBC使用球"に戸惑う侍ジャパンの投手陣を見れば、村田は強力な戦力になるだろう。

 当の村田本人の目は、これまで成し遂げていない"一軍初勝利"に向けられている。じつは、村田は自身4シーズン目となるベネズエラで「初勝利」を挙げている。メジャーリーガーが居並ぶウインターリーグでの勝利は、自信になったに違いない。来季、7年ぶりとなる日本のマウンドでどんなピッチングを見せてくれるのか、今から楽しみでならない。

阿佐智●文 text by Asa Satoshi