現役教諭「子供に『勉強しろ!』 と言うのは危ない」

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■「頭のいい子」の親は「勉強しろ」と言わない、は本当か?

はじめに。

夏休み、遊びほうけの我が子。親としてはつい「勉強しろ」と言いたくなります。勉強しろ、という親。いわない親。その差と子どもの反応はどうなっているのでしょう。

 

本稿における「頭のいい子」とは「学業成績が良い」だけでなく「生きる力がある子」のことを指します。

次期学習指導要領への改訂に伴い、文部科学省では様々な論議がなされています。先日の発表では、グローバル化に向けて小学校の英語の教科化や、道徳の教科化、全教科でアクティブ・ラーニングを導入するといった方針が示されました。このアクティブ・ラーニングの重要キーワードは次の3つです。

(1)主体的な学び
(2)対話的な学び
(3)深い学び

こういった学び方を通して、生きる力がある子どもを育てようというねらいがあります。

テストの問に正しく答えられることも頭の良さのひとつ。

一方で「クラスの演劇発表会をどうやって成功させるか?」を仲間との対話を通して考えて、実行できるのも頭の良さのひとつです。

また「そもそも、何のために演劇発表会をやるのか? これを通してどんな自分になりたいのか?」と深く掘り下げて考えていけるのも頭の良さのひとつです。つまりは、学力面に限らず生活上の諸問題にも対応していけるのが生きる力です。これらのことができる子どもを本稿では「頭のいい子」と定義します。

ただ恐らく、当面気になるのは、我が子のダラダラ加減に伴う「夏休み中の勉強は大丈夫なのか」という一点。ここを中心に「頭のいい子」と「勉強しろ」の関係を読み解いていきます。

前提として、我が子が「放っておいても自分からは勉強をやらない」状態とします。

ここもふたつに分かれて「言われるとやる」グループと「言われてもやらない」グループになりますが、あくまで目指すのは「言われなくてもやる」という「頭のいい子」です。

(なお、塾通いも勉強する手段の一つですが、今回は「夏休み中に自分から勉強を全くしない」がお悩みポイントなので、必然的に勉強することになるこの場合は除外して考えます)

■なぜ「勉強しろ!」と命じるのはアブないのか?

【1.「頭のいい子」の親は、「勉強しろ」とは言わない】

さて、「頭のいい子」の親は、「勉強しろ」と言うのかどうか。以前「東大合格者の親は、勉強しろと言わない」というのが話題になりました。東大生ではありませんが、実際に私が小学校の現場を見てきた結論から言うと、「頭のいい子」の親の多くは、我が子に「勉強しろ」と言っていないようです。

どの年のどの子供に聞いても、またその親に聞いてもそうなので、大方は間違いないと思います。正確には、「勉強しろ」と言わないで勉強する状態に持っていっています(そのカラクリは後述します)。

【2.「勉強しろ」は危ない言葉】

「勉強しろ(しなさい)」というのは、大変使い方が難しい言葉です。

この言葉は短期的で、行動が目的化しており、有無を言わさぬ命令です。

「とりあえず勉強すればいいんでしょ」という思考となり、机に向かうものの、やがてゲームしたり漫画を読んだりしてダラダラするのがオチです。様々な漫画によく出てくる、勉強嫌いの子どものキャラクターを思い浮かべるとわかりやすいです。反応としては健全です。

逆に、もしこの言葉で本当に勉強するようならば「言うことをきかないと怖い」「親にいい子だと思われたい」というのが動機になっている可能性があります。「命じられる」→「勉強する」というサイクルができます。

コマンドによって動く「ロボット人間」製造工程の典型的パターンとなり、能力を越える事態に直面した時か、成長過程で自我が強くなった時に挫折します。この「聞き分けのいい子」の場合は、表面的かつ短期的にうまくいっているように見えるので、親は安心してしまいます。

次項に挙げる場合のように、本当に勉強が大切と思って自主的にやっているのか、よく見極める必要があります。

【3.「勉強しろ」が良薬になる場合もある】

「勉強しろ」の言葉で十分に効果が出る場合があります。

それは、子どもが心から尊敬している人や、自分が進んで習っている人が言う場合です。

 

例えば、子どもが憧れているサッカー選手に「サッカーには学校の勉強も大切。一生懸命勉強しなさい」と言われたら、やる気が一気に出ることは十分にあり得ます。

子どもの通う塾の講師や地域クラブのコーチなどは、ここが強みです。「志望校合格」や「勝利」という揺るがない共通の目標があるため、「勉強しろ」「練習をがんばれ」の言葉に必然性と説得力があります。

学校の先生を尊敬している場合は話が早く、普段から勉強する子どもになります。学校の先生で「勉強をしなくていい」ということは、通常ほとんどないからです。

賢い親は、子どもの前で先生やコーチを褒めたりするのがとても上手いのです。(これを「陰口」の反対で「陰褒め」といいます)特に幼い子どもは親の認めたものを無条件に信じるため、効果抜群です。そして怖いことに、マイナスの効果も抜群です。無条件に大人を蔑むようにもできます。

「勉強しなさい」と我が子にいわない賢い親は、もしかしたらこの陰褒めというカラクリを知っているのかもしれません。子供自らが勉強をしようかな、と自然に思うように上手に導いているのです。

■賢い親は「子供が勉強する方法」を勉強する

とはいえ夏休みは、どうしても生活習慣が乱れてしまいがちで、つい「勉強しろ」が口に出てしまいます。

そもそも夏休みに勉強する意味は何でしょう? 夏休みは、本来「休み」です。学校を離れ、普段できない体験をする機会です。それでも親として「勉強しろ」と言いたくなるのは、一体なぜなのでしょう。

 

最近は昔に比べ、夏休みの宿題は少ない傾向にあります。学校の側としては、習い事や社会体育等の活性化、夏休みの塾通いなど子どもの「多忙化」に配慮してのことです。しかし「我が子の夏休みの宿題が少ない」ということに不安や不満を感じる親は結構います。

あれほど自分が苦しんだにも関わらず、です。いや、逆に、自分が苦しんだからこそ、我が子もこの苦しみを味わって成長するのだという考えもあるかもしれません。一理あります。

そこで「勉強しろ」が出る訳ですが、要は不安だからです。不安は、余裕から生まれます。余裕しゃくしゃくでクーラーの効いた部屋でアイスを食べながらゲームをする姿に、「これで大丈夫だろうか」という気持ちが湧くのは無理もありません。

しかし、普段の学業成績が普通程度であれば、本来は特別な勉強の必要はないのです。普段できないことをやる「チャンス」として、自由研究なり何かやればいいのです。学校が始まれば、否応なしにまた毎日勉強することになります。

学業に大幅な遅れが見られる場合、挽回の「チャンス」として特別に勉強することはあり得ますが、次回原稿で詳しく説明する通り、この場合「親も一緒に」が前提で、かなりのハイコスト(手間隙)を覚悟する必要があります。

要は「勉強しろ」と言いたくなったら、親である自分自身への言葉だということです。

賢い親なら、「勉強しろ」と言わないで子どもが勉強するようになる方法を「勉強する」ことでしょう。

どうしても「勉強しろ」と声を上げたくなる場面はあります。次回原稿では、「勉強しろ」というのが口癖になっている親側の心理や生活習慣を分析してまいります。その上で、子供が勉強に取り組みやすくなる具体的な方法をお伝えしたいと思います。

子どもの姿は、自分自身の鏡。

子どもからも学ぶ姿勢を持って、夏休みは我が子と一緒に楽しく学びたいものです。

(千葉大学教育学部附属小学校教諭 松尾英明=文)