廃墟ファンにとってブルガリアは外せないらしい。「らしい」と書いたのは、初めてこのことを知ったのが、文化遺産関係の仕事をしている知人からだったからだ。その知人は仕事に飽き足らず、趣味でも廃墟巡りをしている。彼によれば、ブルガリアをはしるバルカン山脈の中央に、かつて同国を治めたブルガリア共産党が威信をかけて建てたブズルジャ(Buzludzha)という建物があるという。

近未来的な円板型のデザインに、打ちっ放しのコンクリートを用いた建物。それは山頂で威容を誇っていたが、共産主義体制が崩壊した後は、使われることもなく荒れ果てた。その風化具合が、廃墟ファン的に何とも素晴らしいそうだ。当初は「そんなものもあるのか」と思う程度だったが、あまりに彼が力説するため行ってみることにした。



首都から東へ3時間ひたすら車を走らせる


東欧に位置するブルガリアの首都ソフィアは、西側諸国にはなくなってしまった懐かしさがまだ残る街だ。ノスタルジックな街中を旧型の路面電車が走っている。ブズルジャまでの交通手段は車しかない。私はソフィア市内でレンタカーを借り、ブルガリアを東西に貫くバルカン山脈の麓を、ひたすら東へ向かった。

高速道路から一般道へ乗り継ぎ3時間ほど走ると、前方はるか左手に円板型の建物が見えてきた。すぐ横には共産主義の赤い星をあしらった、すらりと天へ伸びる角ばった塔を従えている。ブズルジャだ。

なぜブルガリア共産党は、こんな辺鄙な場所にシンボルとなる建物を造ったのか。じつはこの辺り、かつてブルガリア地域を統治下においていたオスマン・トルコとブルガリア反乱軍の、衝突の地だった。結果ブルガリアは、オスマン・トルコから解放されることになった。つまりここは、ブルガリア人にとってアイデンティティの1つになった。その特別な地に1981年、ブルガリア共産党は広いホールを備えた巨大なモニュメントを建てた。



山道を登るにつれブズルジャの威容が迫ってくる。「廃墟」というと誰も来ない寂しい場所にある建物を想像するが、ブズルジャはそれなりに知られているようで、到着するまでの間、見学を終えた何台かの車とすれ違った。到着後も入れ替わり見物客がやってきた。

山頂まで登りきったところで車を止め、正面からブズルジャを眺める。穏やかな稜線が連なるバルカン山脈の景色に、コンクリートで塗り固められた硬く巨大で近未来的な建物は、とても浮いていた。



入口は鉄の扉と格子で閉じられていた。しかし、人がぎりぎり抜けられる大きさに扉は壊され、その隙間から真っ暗な館内をうかがうことができた。光が差し込む入口手前はゴミやコンクリート片が散乱していた。居心地の良さそうな場所ではなさそうだ。

訪れた人々も、外を見学するだけで中まで入ろうとする人はほとんどいない。「大丈夫だろうか……」。ためらっていると、後から来たブルガリア人の若者たちが、何くわぬ顔で隙間から館内へと入っていった。はじめ若者たちの声が館内に大きく響いていたが、遠のく足音とともに次第に小さくなり、それは暗闇の中に消えた。

若者たちが消えた頃合いに、意を決して私も隙間に体をねじ込んだ。暗い館内に足を踏み入れ、懐中電灯のスイッチを入れた。

プロレタリアアートが見事な巨大ホール


内部は暗い。日が当たらないため足元はぬかるみ、湿度が高い。至るところで構造物は朽ちており危険を感じる。上階へ向かう階段は3カ所。正面と左右に1つずつあった。足元に注意しながら、左手にあった階段をゆっくりと上がった。巨大なホールに出た。



すると先ほどの若者たちが、巨大なプロレタリアアートをバックに写真を撮っていた。壁にはマルクス、エンゲルスなど共産主義の主要人物が、天井には共産党のシンボル「鎌と槌」が大きく描かれている。所々で天井から水が滴る。窓ガラスはほとんど割れており、時折強めの風が外から吹き込んできた。

広がる風景を眼前にして目を閉じた。当時の様子が頭の中で想像される。共産主義の理想を信じ集った人々とそれを束ねる指導者たち。当時人々は共産主義のシステムを信じ、将来に望みを託した。時の指導者たちもそれを巧みに操った。しかしその壮大な社会実験も失敗に終わってしまう。ブルガリア共産党による一党独裁体制は、1989年に崩壊した。1990年、ブルガリア人民共和国からブルガリア共和国と国名が変わると、ブズルジャも忘れ去られた。

暗い地下を通り塔に登る


ホールから地上階へ戻り、今度は地下へ向かった。地下はより湿度が高く、溜まった雨水によって一部が冠水していた。湿気か埃が舞っているのか、懐中電灯を照らすと光の通り道に白い幕が浮かび上がった。薄汚れたトイレなど、かつての人の営みを感じさせるものが、場の寂しさをより助長させた。音も光もない真っ暗な世界。万が一何か起きても、気づかれることはないだろう。治安面でも、ここにいることにひどく不安を感じた。



地下をひたすら歩ける方向に進んで行く。すると塔の真下に着いた。どうやらここまでは見物人も来ないようだ。塔の上部までは金属製の梯子段が繋がっている。横にはエレベーターもあった。エレベーターは壊れているため、上へ向かうには梯子段を登るしか手段がない。梯子に手をかけた。表面は湿り水滴が付いていた。注意しないと足を滑らせてしまう。滑ったら最後、誰も来ることがない、じめじめした真っ暗な地下へ落ちていくだけだ。

とにかく梯子段は長い。めげそうになるものの、ここまで来たら登るしかないと言い聞かせ、一段一段自らの体を引き上げてった。

ようやく光が見えた。塔の星をかたどった部分に到達したのだ。星にはめられた赤いガラスは壊れ、外の景色が塔内に漏れている。至るところに落書きがあった。そこから数階登ると、塔の屋上に着いた。



屋上では広がるバルカン山脈を見渡すことができた。美しく連なる丘陵。当然ながら、ここから足元のブズルジャは見えず、自分がどんなに人工的で異質な造形物の上に立っているのか、はっきり認識することはない。目に入るのは豊かな自然と、はるか階下に集う見物人だけ。理想だった共産主義は、いつの間にか汚職の手段になり崩壊した。かつて指導者たちがたどり着いた景色も、ブズルジャの塔からの、眺めのようだったのかもしれない。
(加藤亨延)