ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。映画「インデペンデンス・デイ: リサージェンス」について語り合います。

『スターウォーズ フォースの覚醒』より面白い!



藤田 ローランド・エメリッヒ監督『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』が公開されました。1996年の監督作『インデペンデンス・デイ』の続編で、内容的にもつながりがある話です。一言で言うと、宇宙人が巨大な宇宙船で地球を襲って、人類が対抗して戦う話です。ぼくは個人的に、めっちゃ楽しかったです。

飯田 あらすじは「また宇宙人に襲われてドンパチやって倒す。以上!
ある意味、映画『スターシップ・トゥルーパーズ』に匹敵する悪意を感じた。からっぽ。人間とコミュニケーションがとれない、デカい蟻みたいなのと戦うところも似てる。映像は想定の範囲内だったかな。ハリウッドの大作の脚本には基本的に期待しないんだけど、それにしてもこの作品の空虚さはすごい。

藤田 エメリッヒ監督は1998年にハリウッド版『ゴジラ』を撮ったことで、一部からは非常に悪名が高い監督ですが、ディザスターものではコンスタントにヒット作を出しています。今回もディザスターものかつ怪獣映画の側面がありました。

飯田 今回はエメリッヒ版『ゴジラ』より怪獣映画だった。あれは恐竜映画だったので……。

藤田 『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』、正直に言うと、ぼくは相当楽しんで観ました。『スターウォーズ フォースの覚醒』よりも面白い宇宙活劇だと思いました。まぁ、ぼくの最近のハリウッド映画への評価は、金のかかった3DCGで破壊と戦争と宇宙が観れればそれだけでいい、っていう風に非常に即物化してるからかもしれませんが……
 物語は希薄でしたね。盛り上げるために出されている親子関係などのドラマや、人物が多いのに記号的で、そこに感情は全くノリませんでした。ただ、宇宙船の巨大さとか、都市が空中に吸い上げられるとか、宇宙船の造型とか、ディザスターのスペクタクルを楽しむ映画としては十分面白い。『フォースの覚醒』よりも、レジスタンスをする人類側の「これは今回は勝てないんじゃないの?」っていう絶望感が濃厚だったのは、評価してもいいと思います。「どうせ勝つんでしょ」って前提でハリウッドの大作は観られているので、一瞬なりとも絶望感を感じさせるのはそれだけでも結構すごいことですよ。今回は「影」を使うことで、迫ってくる宇宙人の脅威とか、質量の感じが出ていて、うまい具合に絶望感や恐怖感、威圧感を出せていた。

飯田 このカネ、日本のアニメに投下されたらなあ、と思った。戦闘機のシーンなんて「これなら『マクロスΔ』のヴァルキリーの戦闘のほうがすごくない? このお金、日本にくれたらもっとすごいものつくるよ! 」と。詮ない話ですが。

藤田 まぁ、金と人材と技術力の圧倒的な戦力差で攻めてこられているところはありますよね……。日本のコンテンツは、また別の勝負をするしかない。
 ……とはいえ、『パシフィック・リム』もそうですが、日本の特撮のいいところを、圧倒的な技術と金でもっていかれて実現されているような印象も受けました。一作目の『ゴジラ』にあったような、圧倒的な破壊の恐怖と魅惑。小松左京の『日本沈没』のようなディザスター状況のシミュレーション。日本では今なかなか作られないそのような作品の遺伝子を感じます。

アメリカの現在の政治状況を反映している? していない?



藤田 ところで、前作との比較ですが、『インデペンデンス・デイ』でツッコミを入れられたところが、きちんと改善されていましたのは驚きました。前作は、「アメリカ万歳、特攻万歳・自己犠牲万歳の映画だろ」とか、「なんで宇宙船は中心を攻撃されただけで全部止まるのよ」とか言われていましたが、そこが大きく変わっていた。むしろ極端なまでの国際主義を強調し、全世界の国境も宗教も越えた平和を志向していたし、特攻でも解決するわけではなかった。「中心を撃てば止まるのは何故か」にも、ちゃんと理屈をつけてきた。

飯田 しかし、人類側からあっさり先制攻撃するでしょう。「考える前にやっちまえ!」という反知性主義()ですね。
 わかりやすい絶対悪としての異星人という設定がそもそも空虚。冷戦に勝ったアメリカ人が調子乗ってた感じ丸出しなのが前作で、それから20年経ってその間に911があり云々というのがまったく「反映されていない」。時代状況を無視できるのがつよすぎる。ハヤカワSFコンテストにこれをノベライズして送っても100%通らないレベル。トランプ現象と同じ。「難しいこと考えたくない」という欲望があらわれている。「正義」を疑わないとこんなに寒々しくなるということがエメリッヒを見るとよくわかる。

藤田 ……いや、むしろそこを評価したい。911以降、ハリウッド映画は暗かった。『ダークナイト』が象徴するような、陰鬱な、正義の相対化と苦悩の物語が多かった。本作は、そういう苦悩とか相対化とか対テロ戦争的なところをぶっとばして、アホのように楽観的で大雑把な「人類の戦い」と「平和」を描いたところがすごいと思うんです。
 政治的な同時代性に関しては、前作の『ホワイトハウス・ダウン』は、中東から撤退するという決断をする大統領が命を狙われるという作品だったので、対テロ戦争が念頭にないわけはない。むしろ、すごく意識している。政治的なメッセージ性が異様に強い。
 たとえば、エメリッヒ監督作では大統領が頻繁に出てきますが、今回は女性。ヒラリーが大統領になる「前に」それを描いているんですよ。『ホワイトハウス・ダウン』『2012』の時点では黒人で、オバマ政権が始まるのは2009年だから、『2012』が公開されたのと同じ歳で、政策の時点で現実の大統領を先取りしているんですよ。しかも、進歩的(女性、黒人)な方を選んでいる。これには意図、あるいは、期待している効果があると考えるべきではないかと。

飯田  黒人大統領とか女性大統領だってよくある設定だよ。『24』とかさ。
 むしろ、地球レベルでボロボロになっているのに人類がひとつにまとまらないほうが本当はリアリティがあるけど、そんな筋にしたら話が2時間で収まらないし。

藤田 めずらしくないですか? 今時、こんな、インターナショナリズムや平和のメッセージを直球で訴えかける大作のハリウッド映画は。

飯田 どうだろう。『ホワイトハウス』はともかく、今回の作品に対してそれは好意的すぎるのでは……。
 『ホワイトハウス』はホワイトハウスでテロが起こるけど外敵じゃなくて内部犯。それは現代の政治状況、社会状況を感じさせるものだったと思うけども、今回は違うんじゃないかなあ。

藤田 『ホワイトハウス』で内部の敵をリアリズム寄りでやったから、今回は反対に、外側の敵をリアリズムを無視してやり切ったのかなって感じもしますね。
 『ホワイトハウス』はイラク戦争の開戦そのものが間違っていると大統領が宣言してしまう作品でした、今作にもそれに繋がるメッセージがあって。ちゃんと確認しないで先制攻撃をしたらひどい目に遭うのでやめよう、というメッセージは入っていますね。

とにかくディザスターを起こしたい! 災害てんこもり!



飯田 なんでこのひとはこんなに何度もパニックものを撮りたがるんだろう。しかもベタベタな。日本にこういう作家いないんじゃないか……と思ったけど、世界的に見ても意外といないのかもしれない。

藤田 エメリッヒ監督の大ヒット作、『2012』の時点でそうでしたが、とにかく、ディザスター状況を詰め込みまくるのが好きな人で、それで単純に面白がらせるのが好きなんですよ。災害が来るから備えようっていうメッセージもあるけど、災害そのものが魅惑的でたまんない、っていう欲望も確実に存在する。観客は、感情移入しつつ、本当は安全な映画館にいるという分離の中で、恐怖やスリルと、安心感・優越感を同時に感じる。それは多分映画の本質的な快楽のひとつで、そこを刺激することに作家性が集中している。
 『2012』では、マヤの予言が成就するというアホのような筋書きなんだけど、地震、噴火、津波、都市の破壊などなど、「ディザスターてんこもり」なんですよ。ラーメン屋で言えば、こってりの「全部乗せ」みたいなもの。今作も、宇宙船が来る、大量の敵が飛んでくる、都市が空中に吸われて落とされる、怪獣と核兵器で戦うなど、「全部乗せ」ですよね。
 こういう「ディザスター全部乗せ」のスペクタクルの快楽と、アホのような国際主義、平和主義の訴えの組み合わせが奇妙なんですよ。

陰謀論だと思っていたものが、現実になっちゃうよパターン


藤田 ところで、エメリッヒ監督の作品を構成している大きな要素として「ディザスター」「大統領」と続いて、「陰謀論」があります。マヤ暦の予言とか、マリリン・モンローと密会に使ったホワイトハウスにあるトンネルとか、ロズウェル事件とか、みんなが「陰謀論だろ」と笑っているようなものが、「実際に起きる」というパターンが頻繁に繰り返されます。今回も、宇宙人とテレパシーで繋がっているという、電波感がハンパない人たちが警告を初めて、それから襲撃が起こるでしょう。これってなんなんですかね。「兆候を読めってメッセージなんですかね……。

飯田 単にガチでスピってるのでは……? 『ムー』愛読者なんですよ、きっと。

能天気なSFに見せかけて、の悪意が仕込まれている?



藤田 ちなみに、バーホーベン監督の『スターシップ・トゥルーパーズ』は、明るい戦意高揚映画に見せかけて、それらに対する明確な悪意がある映画でしたが、飯田さんは本作にもそれを感じました?

飯田 悪意という「意図」があるのかはわからないけど、空転している感じは似ているなあと。あっさり先制攻撃して反撃されたり、あれだけの惨事になっても意外と主要キャラの大半が生き残っていたり、いろいろひどい。しかも、つるっと、しれっとやっている。

藤田 バーホーベンは、オランダのハーグで第二次世界大戦をガチで経験して、死体とか観まくって、それを「SF」に託して語ったわけです(戦争について直截的に語ったのが『ブラックブック』)。『スターシップ・トゥルーパーズ』の場合は、敵を「エイリアン」に見立てて描写し、戦意を高揚させて若者を戦場に行かせて「戦意高揚映画」そのものに作品全体が見立てられていて、明確に皮肉と悪意がある作品でしたね。
 1955年生まれのドイツ人であるエメリッヒも、何か仕込んでてもおかしくはないですね。彼の仕込んだものを考える場合、エメリッヒ監督が、ドイツ人で、かつ、自身がゲイであることを公言し、性的マイノリティを支援する解放運動を行っているということも、考慮に入れるべきかもしれません。

親父が自己犠牲してカッコつける「親父慰撫映画」?


藤田 「親子」のテーマも頻繁にありますが、そこはどうでした? だいたい、ダメなオヤジが、危機になって活躍して、離婚した奥さんのところにいる子供たちの尊敬を得るパターンですがw 今回は「継承」を意識したと監督がインタビューで言っていますが、実際に、作中にたくさんの親子が出てきます。

飯田 ただの親父慰撫映画でしょう。

藤田 そうかもしれませんねw 『インデペンデンス・デイ』『アルマゲドン』などで物笑いの種になった「親父が自己犠牲になって敵をやっつける」パターンを反復しつつ外してきた部分には、ちょっとおかしみを感じましたが。

飯田 90年代に帰りたい願望がある世代向けなんじゃないでしょうか。90'sリバイバル。このまえ『ミュージックマガジン』も90年代特集していたけど。40代向けの「青春よ、もう一度」。

藤田 どうかなぁ。『インデペンデンス・デイ リサージェンス』は、親父慰撫映画だ! 家で子供にバカにされているオヤジたちよ、映画館に駆けつけよ! って結論でいいんでしょうかw

飯田 はいw

藤田 どうも納得がいかないな……w