先に“猴年马月”と“驴年马月”について書いた時に、“猴年”は“何年”のもじり、“驴年”は実際には存在しない年で、どちらも「いつとは言えないあてにならない年月」をふざけ半分にいうのに使われると述べたところ、読んでいただいた方から、「“马月”はありますよ」という指摘を受けました。(イメージ写真提供:123RF)

写真拡大

日本語と中国語(494)

(165)午月(旧暦五月)はウマの月?

 先に“猴年马月”と“驴年马月”について書いた時に、“猴年”は“何年”のもじり、“驴年”は実際には存在しない年で、どちらも「いつとは言えないあてにならない年月」をふざけ半分にいうのに使われると述べたところ、読んでいただいた方から、「“马月”はありますよ」という指摘を受けました。

 旧暦の五月を“午月”と称し、“午”は十二支のウマであるところから、“马月”ともいうのだそうです。うーん、そうかなあ、わたくしは五月の“五”と午月の“午”がともにwu3で発音が同じところからで、ウマとは無関係かと思っていましたが……。

(166)1年は子月(11月)に始まって亥月(10月)に終わった

 年を示すのに十二支の子、丑、寅、卯……を用い、これに鼠、牛、虎、兎……の動物を当てることは昔から行われていますが、月についてはあまり行われていないようです。

 午月のほか、子月、亥月、卯月などは時折り目にしますが、それも書物の上であって、耳にすることはありません。子月は旧暦の11月、亥月は10月のようです。古くは11月を年の始まりとすることもあったようですから、この月に十二支の最初の「子」が当てられたのでしょう。

 11月から数えると1年のおしまいは10月ということになりますから、この月に十二支の最後の「亥」が当てられるというわけです。同様に卯月は2月ということになり、この点は4月の別称として卯月(うづき)を用いる日本とは異なります。

(167)午月は11月から数えて7番目の月

 午月が5月の別称として使われることについて、上に記したようにわたくしは“午”と“五”の発音が通じるところかと思い込んでいましたが、11月を子月とするところから考えると、5月は7番目の月、すなわち十二支の7番目の午の月ということになります。或いはこちらの方が当たっているかもしれませんね。

 古代、11月を年の初めとしたのはどうしてでしょうか。いろいろな説があるようですが、大修館書店の『大漢和辞典』には「北斗七星の柄が初昏に子の方向をさす月」とあり、同じ出版社の『中日大辞典』第三版もこれを踏襲して、「旧暦11月(の別称):北斗七星の柄が、初昏に子(ね)の方向(正北)を指す月」としています。「初昏」という難しい漢語は、日没直後の時刻をいうようです。

(168)1年の始まりは冬至から

 旧暦11月を子月とすることについては、そのほかいろいろな説が古い書物に載っていますが、1年の始まりを冬至からとしたことによるとするのがいちばん納得しやすいように思います。冬至は新暦では12月の22日頃ですが、旧暦では11月に属します。

 初昏に北斗七星の柄が子の方向を云々が、冬至と関係があるのかどうかは、天文の知識に疎いわたくしにはわかりませんが、「一陽来復」ということばに示されているように冬至の日は陰がきわまって陽がかえってくる、転じて冬が去り春が来る日とされています。

 “冬至大如年”(dong1zhi4 da4 ru2 nian2)ということわざが示しているように、かつては冬至は正月と同じくらいにぎやかに祝われ、その習慣は今も江南の一部の地域に残っているようです。(執筆者:上野惠司 編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)

注:本頁で採用したピンインの書き方は正規のものではありませんが、声調符号がついたローマ字は機器環境により問題を生じさせる場合があるので、いずれの環境でも正常に表示される方法にいたしました(編集部)