佐々木監督は、初戦の相手であるオーストラリアが「イメージよりも質の高いサッカーをしてきた」と語った。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

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 2008年2月から丸8年続いたなでしこジャパンの佐々木体制がついに終焉を迎えた。
「予選で結果が出ないとなれば、責任をとらなければいけないという想いはあった」というなかでの決断。毅然とした口調で最後の監督会見に臨んだ。
 
 第1戦のオーストラリア戦で完敗を喫し、波に乗り切れないまま五輪出場への挑戦はあっけなく幕を閉じた。
 
 佐々木則夫監督は、初戦の相手となったオーストラリアに「準備段階で持っていたイメージよりも質の高いサッカーをしてきた」と感じたという。
「非常に流動的なサッカーをしていて、決してパワープレーではなく、しっかりボールを動かし、組織的な守備もできていた。ここの誤算が一番大きかった」
 
 初戦で狂った歯車は第2戦の韓国戦でも噛み合わず、味方同士の接触から勝点3がこぼれ落ちた。
「第1戦、第2戦でしっかり勝点を取れなかったことで、選手のミスにつながったり…、僕の指揮の部分も含めて上手くいかなかった。そうした面でも誤算があったのかなと」
 
 リオで迎えるはずだった集大成は、まさかの予選最終戦の北朝鮮戦となってしまった。難しいメンタル状況で試合に臨んだ選手たちを指揮官はこう讃えた。
「消化試合のような形になってしまったが、選手たちは(最初の)3試合の反省を踏まえて、この2戦は下を向かずに前向きにやってくれた。初戦から本来の力を出してあげられなかったのは私の大きな責任。退任どうこうで許されることではないと思っているが、今日(北朝鮮戦)は、選手たちが前を向いて次につながる試合をやってくれたと思う」
 
 そして、報道陣に「この8年間を振り返って最も印象に残っていることは?」と問われた佐々木監督は、ふたつの試合を挙げた。それが就任して初めてのゲームとなった2008年2月の東アジアカップ・北朝鮮戦(○3-2)と、佐々木体制でのラストゲームとなったリオ五輪最終予選・北朝鮮戦の2試合だ。
 
 
「監督になって初めて当たったのがDPRコリア(北朝鮮)だったわけですが、あの頃はまだ相手の方がレベルは上だったと思う。そのなかで、攻守にアクションを起こして、全員攻撃・全員守備を貫き、アグレッシブに外から中へ追い込んで戦ってボールを奪うんだというゲームをやった。
 
 お互い本当に“戦った”というゲームだった。そして最後は、澤選手のループシュートが入って逆転。あの試合は今でも脳裏にあって、そこから東アジアカップで3連勝して、『よし、いける』という手応えを掴めた。選手たちも『いけるじゃん!』という手応えを掴んでスタートした思い出がある」
 
 08年東アジアカップで北朝鮮との壮絶な試合をモノにしたなでしこジャパンは、この大会で優勝。同年の北京五輪でも躍進を見せ、4位に食い込んだ。まさに、その後のワールドカップ優勝、五輪銀メダルの快進撃に続くターニングポイントとなった試合と言えるだろう。
 
 佐々木監督はこうも続ける。
「そして、僕にとって監督として最後になった今日の試合も、DPRコリアさんは非常にアグレッシブなチームで、なでしこの選手たちはその圧力に耐えながらも、自分たちのらしさを出して戦ってくれた。監督としてのスタートと最後で、そういうゲームをやってくれたのは、僕のサッカー人生のなかでも非常に印象に残るものになった。
 
 もちろん、優勝とかいろいろあるけれど、本当にこの2試合は僕にとっての大きな宝物。今後に活かしてまたサッカー界に貢献できればと強く思っています」
 
 ワールドカップ優勝1回、準優勝1回、そして五輪での銀メダル。日本の女子サッカー界に燦然と輝く栄光をもたらした指揮官が北朝鮮との戦いを最後に、ひとまず表舞台から姿を消すことになる。