観光客を呼び込むためには住民の意欲が必須

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 地方創生が叫ばれて久しいが、地方における活況はその明暗が徐々に分かれつつある。奈良県は国内有数の歴史と伝統を誇り、その深さは京都と並ぶ程の潤沢さを誇る。しかし、これが観光となると話しは別だ。

 実は年間における観光宿泊客数は、全国ワースト3位に入り、隣りの京都と比べると、その数まさに五分の一以下。京都と奈良では、なぜこれだけの差が出てしまうのだろうか。

 実は街おこしを進める上で、一番大事な要素は「住民の意欲」、つまりモチベーションにあると言われる。「そんなこと当たり前じゃないか」と思う方も多いと思うが、実はこれが当たり前に見えて実に難しい。なぜなら、そのモチベーションには変化を伴う決意が試されるからだ。

 奈良ではよくこの宿泊客の少なさを尋ねると、京都や大阪に比べると「食が弱いからではないか」という話を聞く。確かにそういった点もあるかもしれないが、実はそれだけでは奈良に観光客が宿泊しないという理由にはあたらない。

 なぜなら旅の基本は「食」よりもまずその土地の魅力に負うからである。史跡や宿などのスポットをはじめ、特定のイベントなどがまさにそれにあたる。

 その点、奈良には豊富な観光資源がある。夜の東大寺などは非常に幻想的で古の都を堪能するには十分だし、自然と文化の調和は京都とはまた違った趣があるのも事実だ。しかし、それが宿泊に結びつかないのは実はもっと単純な話があるからである。そう、宿泊しようにもその宿がないのだ。それは地元の住人も認めるところでもある。

 最近はこうした事情を反映してか、ゲストハウスのような簡易宿泊施設を始める人も少なくない。しかし、それはどちらかと言えばバックパッカーのようなアクティブな旅行者向けだ。安息やリフレッシュを求めるような一般観光客向けとは言いにくい。

宿泊施設の数が少ないのは奈良県の県民性!?

 それではなぜ奈良にはこうした宿泊施設が少ないのだろうか。ここは多少なりとも奈良の県民性が反映しているとも言われる。例えば、奈良県には大神神社という日本最古の神社の一つにも数えられる伝統的な神社がある。しかし、周辺地域には宿泊施設は二カ所しかなく、ニーズに対する供給は十分とは言えないだろう。しかし、その理由を地元の方に尋ねるととにかく状況を改善しようという意欲に欠けるという。

 事実、周辺地域には空き家も多く、二軒ある宿泊施設のうちの一つはそうした空き家をイノベーションしたもので実に活況を帯びている。普通であれば、そうした成功例に続きたいところだが、地元の人は「空き家はあっても、貸さない、売らない、何もしない」というのだ。もちろん、これを批判するつもりはまったくないが、何だかもったいないような気もする。

 地元の研究家に話を聞くと、奈良はもともと地域を治めるお殿様のいない土地だったという。基本、寺社仏閣によって維持され、何年も何も変わらない時代が続いた結果、奈良では変革よりも不変を望み、自らを変える意志をなくしてしまったという。

 もちろん、これは一つの憶測に過ぎないが、確かに、時代の変化に歩調を合わせるというよりは、今のままでいいという声が多いようだ。もちろん、こうした文化遺産が現状維持できるのならいいが、県の南部では1960年から2005年の45年間で約40%の人口が減少しているというからそう簡単な話でもない。

 これは奈良県に限った話ではなく、東北地方や四国地方、山陰地方といった各地にも言える話である。しかし、あくまで問題の本質はその土地にあるのではなく、そこの住人がどう考えているのかにあるということを忘れてはならない。

 日本は世界でも有数の文化と歴史に溢れている。しかし、その魅力を私たちは果たしてどこまで理解できているだろうか。実は、その理解が一番できないのが意外にもその土地に住む当の本人であったりもする。現実的に厳しい面も多いのかもしれないが、海外からの注目は岐阜県の飛騨高山をはじめ、より地方へと向けられつつある。

 このチャンスを次の世代にどう引き継ぐのか。今、その覚悟を私たちは問われているのかもしれない。

著者プロフィール

一般社団法人国際教養振興協会代表理事/神社ライター

東條英利

日本人の教養力の向上と国際教養人の創出をビジョンに掲げ、を設立。「教養」に関するメディアの構築や教育事業、国際交流事業を行う。著書に『日本人の証明』『神社ツーリズム』がある。

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