竹ノ塚駅の踏切と同様、係員が操作していた名鉄神宮前駅(名古屋市)の踏切。こちらは2012年に廃止された(2010年2月、恵 知仁撮影)。

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現在、踏切が急速に数を減らしています。そのきっかけは「手動踏切」で2005年に発生した事故でした。

原則としてもう増えることがない踏切

「カンカンカン」という踏切の音。もしかしたら、それをなかなか聞けなくなる日が来るかもしれません。

 実は現在、踏切は急速に数を減らしています。JR東日本を例にとると、1987年に8358箇所あった踏切が2014年には7022箇所と、都市近郊を中心に1000以上の踏切がその役目を終えました。

 全国的に見ても、踏切数は50年前と比べ半減(7.1万→3.4万箇所)しています。交通渋滞などを引き起こすいわゆる「開かずの踏切」は「ボトルネック踏切」とも呼ばれ、行政が中心になって線路と道路の立体交差化が積極的に進められているからです。

 また今後、踏切が増えることも原則的にありません。「道路法」や「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」で、鉄道は道路と平面交差してはならないと明確に定められているからです(ただ交差する道路の交通量が少ない場合や地形上等の理由によりやむを得ない場合はこの限りでない)。

 各地にある踏切のうち、特に現在姿を消しているのは都市部とその近郊にあるものです。渋滞の原因になるボトルネック踏切は都市交通の悩みの種であり、踏切の横断を必要とする近隣住民は不満を募らせてきました。その解決を図るための立体交差化が、実はこの10年で急激に進んでいるのです。

 なぜ現在、急速にそれが進んでいるのでしょうか。その契機になったのは、2005年に発生したいたましい事故でした。

急速に進行する立体交差化、契機は悲しい事故

 2005年3月、東武伊勢崎線の竹ノ塚駅(東京都足立区)付近にあった係員が手動で操作する踏切で、その係員のミスにより4名が死傷する事故が起きてしまいます。

「係員のミス」というと単純な話に思えるかもしれませんが、この踏切は「開かずの踏切」で、日常的に通行者から踏切の係員に対し大きなプレッシャーが加えられており、裁判でもその事実が認められました。そしてこの悲しい出来事をきっかけに、「開かずの踏切」はそれまで以上に世間から高い注目を浴びることになります。

 これに対し、国は迅速でした。それまで連続立体交差事業の事業主体は都や県などの自治体でしたが、区の主導で実施できるよう改められます。そして同時に国土交通省の旗ふりのもと、全国の踏切を対象に交通実態総点検を実施。速効対策が必要な約1,100箇所と、抜本的な対策が必要な約1,400箇所を抽出して、それまでの2倍のスピードを目標に改善することを決定したのです。

 2005年に事故が発生した竹ノ塚駅付近の踏切についても立体交差化が決まり、2012年11月に起工されました。足立区によると事故発生から7年7ヶ月での事業着手は異例の早さとのことで、完成は2020年度の予定です。事業費はおよそ544億円が見込まれており、そのうち足立区(国費・都費含む)が約456億円、東武鉄道が約88億円を負担します。

踏切の代わりに生まれるもの

 現在、急速に進む踏切の淘汰と立体交差化。渋滞が解消されるなど便利になりますが、そのきっかけにこうした悲しい出来事があったことは、忘れてはならないかもしれません。

 踏切から立体交差にすることで交通渋滞の解消、線路によって分断されていた街の一体化といったいくつものメリットが生み出されます。高架下スペースを新たに活用できることも、そのひとつです。

 事故があった竹ノ塚駅周辺の連続立体交差事業において、現時点で高架下の利用に関しては「広場ができること以外はまったく未定」(足立区鉄道立体推進室)とのことですが、どのような活用が行われていくのか、踏切が消えた街がどう変わっていくのか、今後が注目されます。

 またジェイアール東日本都市開発というJR東日本の子会社は2010年、秋葉原〜御徒町間の高架下に「2k540 AKI-OKA ARTISAN」という商業施設を設置するなど、高架下の街づくりを進めています。「高架下」は新たに生まれる開発スペースであり、より付加価値の高い魅力ある空間にするための「再開発地域」でもあるのです。