1998年:横浜マリノス
1999年:ベルラーノ(アルゼンチン・レンタル)
1999年:横浜マリノス
2000年〜2002年9月:横浜Fマリノス
2002年9月〜12月:大分トリニータ
2003年10月〜2005年:大分トリニータ
2006年:東京ヴェルディ
2007年8月〜12月:東京ヴェルディ
2008年〜2009年:ロアッソ熊本
2010年:町田ゼルビア
2011年〜2012年8月:松本山雅
2012年8月〜12月:東京ヴェルディ
2013年3月〜カマタマーレ讃岐


移籍、退団、再契約…

実力があることは多くの人が認めるはずであり、かつて彼を指導した元帝京高校の古沼貞雄さんも「能力は非常に高いもを持っていた」と話す。しかしその反面、ムラのある性格については口が酸っぱくなるほど苦言を呈していたのだが、恩師が気にかけていた面がネックとなってしまい、ここまでは波瀾万丈のフットボール人生を歩んでいるのが木島良輔だ。

彼が高校生のとき、韮崎で行われた試合を実際に見たことがあるのだが、その時も古沼監督は彼を後半の早い時間で交代させてしまったのだが、その時の交代理由がなんとも面白かったので今でもはっきり覚えている。

Img_0067

「おまえはさあ、いつも準備が遅いからさっさと着替えさせないとバスが出る時間が遅れちゃうんだよ。だから早めに交代させたんだよ。わかったらさっさと着替えなさい!」

良くも悪くも彼の性格を見抜いていた名将の一言であったが、古沼さんのような「指導者でありながらもお父さん」のような存在が、プロになっても近くにいれば、また違った人生を歩んだのだろうが、そうは行かなかった。

実力はあるものの、気性の荒さから兄弟揃って「警告・退場王」「カードコレクター」と揶揄されたり、素行面を指摘されチームとうまく行かなくなることも少なくはなかった。また、ケガも多かったこともあり、なかなか自分が思うようなプレーできない時期もあった。

Img_8042

そして昨年、松本山雅の反町監督との軋轢から、活躍の場を三たび東京ヴェルディに移すこととなったが、ここでも満足な活躍はできずにシーズン終了とともに契約満了となり、再び所属チームがないという状況になってしまった。

Img_0158

実は山雅を出るときに、木島は熊本時代の恩師である、カマタマーレ讃岐の監督・北野誠に「入りたいのだが…」とコンタクトを取っていた。しかし、そのときは「今、選手を取る予算がクラブにはないから」と、木島の依頼に対して答えを保留していた。(その後にヴェルディと契約)

だが、半年という時間が過ぎて、またも恩師にコンタクトを取った木島。まだまだ現役としてやりたい! という強い意志を必死に見せたのだが、当初は「予算はないから」と難色を示していた北野監督。だが、熱意に押されて結果的に彼の獲得を決めたのであった。

---------------------------------------------------

さて、今日のアウェー・横河武蔵野戦だが、前半の木島は正直、いつもの木島だったように感じられた。ボールを持てば、やはり一番怖い選手であり、2点目に結びつく右サイドの突破は圧巻だった。しかし、前半の早い時間ではノーファールの判定に対して主審に異議を唱え、27分には繰り返し違反でイエローをもらうなど「やつぱり?」と一瞬は思った。

しかし、前半を終えてベンチに戻った木島は「変わった木島」だった。

ロッカールームに戻るなり、リードした状況でありながらも自分から「いや、イエローをもらってしまい、本当に申し訳なかった」と仲間に謝罪したのであった。また、1枚イエローを受けている後半は、プレーは熱く、頭はクールにということを言い聞かせて、ベテランらしいメリハリのあるプレーでチームを牽引。

Img_0254

さらには試合後、試合に出た選手がクールダウンしている中で、木島この日の審判団を見つけて、自分から握手を求めて挨拶に行ったのであった。

---------------------------------------------------

あきらかに、讃岐に来てから変わった木島。
そんな彼に対して、獲得を決めた北野監督はこのように語ってくれている。

「彼はね、全然問題なくやってくれていますよ。

ホントね、変わったところを見せているし、これまでのイメージの木島とは違うと思いますよ。彼もね、サッカー選手としての人生は、あともう少しなんで(俺のところで)きれいに終わらせてあげたいと思っているんですよ…

まあね、彼にはお客さんがワクワクするようなプレーを見せてほしいんだよね。あと、彼が活躍すると、チームが盛り上がるんだよ」

Img_0339


北野監督は、木島に対して「今季限りだよ」という訳で、あのような言葉を発したのではない。来月迎える誕生日で34歳となる木島。現役選手としては、あと何年できるかわからない。さらには、ケガも多かったことからあと5年はやり続けられるという保証はどこにもない。

だからこそ、「あと少し」という言葉が出てきたし、彼を理解し、優しく見守っているからこそ「きれい終わらせてあげたい」という言葉が出たのである。

また、木島自身も救いの手を差し伸べてくれた北野監督、そして迎え入れてくれた仲間のためにも、しっかりやりつくしたいという思いが強いのだ。

---------------------------------------------------

確かに、この日もイエローをもらうなど、完全な優等生に変身したわけではない。だが、彼の魅力は良くも悪くも「やんちゃ」なところなのではないだろうか? その個性まで消えてしまったら、木島良輔というプレーヤーの面白さは消えてしまうような気もするからだ。

ワルでもやんちゃでもかまわない。ただ、ちゃんと自分自身で感情をコントロールし、状況を正しく理解した判断ができればそれでいいのだ。また、古沼監督に替わる「お父さん役」には、帝京高校の大先輩でもある北野誠という、頼もしき存在もいる。

今度こそ、このクラブが木島良輔の「安住の地」になることを期待したいところでもある。