浦和vs鳥栖は前半早々に1点を奪った浦和が後半立ち上がりに立て続けに3点を奪い、大勝するかに思われました。ですが鳥栖もそこから3点を奪い必死に反撃を試みます。だけどそこまで。4-3で浦和が逃げ切りました。

鳥栖の選手は濡れたピッチに苦しみました。あるいは埼玉スタジアムの雰囲気に呑まれたのかもしれません。尹晶煥監督は「選手が固くなっていた」と残念がりましたし、実際に鳥栖のパスミスの多さが目立つ試合でした。
試合が終わった後、吉沢康一さんからは「あと一歩だった」と言っていただきました。また、 「鳥栖は最後まで諦めないから怖い」とフリーアナウンサーの河合貴子さんには言っていただきました。ですが、最初に4点取られる試合というのは、鳥栖の戦い方ぶりではありません。

ところで、この日の浦和のマッチデープログラムには15年前のあの日、サガン鳥栖がクラブ初めての試合として浦和と対戦したことが掲載されています。書いたのはこの方。
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清尾淳さん。当時から浦和のマッチデープログラムを作っていらっしゃいましたが、鳥栖のピンチにわざわざ佐賀まで足を運んでいただいた方です。また、ラジオNACK5の番組でも吉沢康一さんとともに鳥栖の話題を取り上げていただきました。「『翼をください』は日本代表が歌う前に鳥栖が歌っていたということも書きたかったんだけどね」と笑っていらっしゃいました。

あのとき、僕はそこにいてつぶさに見ました。鳥栖は新参者だったのにナビスコカップに無理矢理参戦させてもらって、しかも最初のゲームをホームにしてもらって、さらに対戦相手が浦和で、すごい数のサポーターが駆けつけてくれて、そのお金が当座の運営資金になって、浦和でやってもらった募金もすごい額で、何点取られる心配していたら0-0で引き分けて、試合が終わった後には清尾さんも鳥栖の駅前で飲んで……。鳥栖にとって今までで一番苦しい時期だったのですが、そのぶん、思い出は消えません。清尾さんの「あれからもう15年経ったんだ」という一言で気付きましたが、ホンの先日の話のようです。

そのときのナビスコカップで一緒のグループだったのはC大阪と鹿島。C大阪のサポーターのみなさんは鳥栖スタジアムで急きょ募金活動をしてクラブに届けてくださったし、鹿島は河津亨さんが試合前にわざわざ鳥栖サポーターを励ましに来てくださいました。もちろんこの3クラブだけじゃなくて、すべての他のクラブのみなさんがあのとき本当に熱心に助けてくださったから、このクラブが今まで存続できているのだと思います。15年間も。

ちょっとした沈黙の後の清尾さんの言葉には本当にびっくりしました。「本多君、まだ来てる? 彼はかわいらしい顔をしてたよなぁ。あと、えーっと、そうだ、小田君はまだサポーター席なの?」。15年前に会った鳥栖サポーターの名前です。清尾さんは元々記憶力がいい方なのだと思いますが、印象深く思っていただいたのも間違いないと思っています。

15年前のあの出会いから、やっとJ1でリーグ戦ができるまでになりました。 試合が終わった後、本当だったらドタバタした試合展開に渋い表情になりそうな清尾さんが、試合結果とは関係ない優しい表情を作っていたように見えたのは思い過ごしでしょうか。


そうそう、あのころはまだ小学生、あるいは中学生だった鳥栖ファンが、今や立派なカメラマンとして活躍しています。今回の試合の写真もクラブのオフィシャル・フォトとして使われるかもしれません。

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浦君。どうかみなさん、よろしくお願いします。