広瀬一郎さんといえば元電通でワールドカップ招致に携わり、スポーツ・ナビゲーション(現スポナビ)を創設し、「スポーツマンシップを考える」「スポーツ・マネジメント入門」など数々の名著を残してきた、僕にとっては大先輩という言葉もおこがましいぐらいの偉人です。

 その広瀬さんが、近著「10年後、仕事で差がつく戦略思考」にて、風見鶏的な日本のマスコミをメッタ斬りにしていたので紹介します。この本、サッカーの話は本筋ではないのですが、南アフリカワールドカップ後に続々と手のひらをお返しになられたマスコミの方々への怒りが収まらなかったのかなと。


p112
 2010年のワールドカップの岡田ジャパンについて、メディアがある日突然の「秘技、てのひら返し!」。結局、メディアのほとんどが「自分たちを客観視できていなかった」ことが、またバレてしまった。「なぜ、岡田ジャパンを批判していたのか」という点に、最後まで誰も答えていなかった。「なぜ、ある日岡田ジャパンを褒め始めたのか」ということは、その裏返しだ。


 いやーまさに。僕自身は2010年4月あたりで岡田ジャパン支持に変えまして、まあ「結果を見ての風見鶏」ではないわけですが、さりとて支持する理由を読んでいただければわかるとおり何らかの見通しがあったわけでもありませんでした。そういう意味で、客観視できていた、とは言えませぬ。


 p112
 それは、さらに「報道(記者)」とはどうあるべきかということになるだろうし、この問題に自分はどう自覚的か、「当事者意識」はあるのか? という問題にもなる。新聞とテレビはどのように違ったメディアとしてあるべきか、ということなど全部に対して、根源的に自問していないまま、なんとなく漠然と報道記者をしていて、記事を書いてしまうようでは、説得力はない。内省力のない言葉に説得力などあるはずがない。「これくらいなら俺にも書ける」と思われてしまうだろう。

 まあコレも本当にね、いろいろ思うところがありますね。「メディアって何なのか、誰のためにあるのか、本当に必要なのか、なくたって世の中回っていくんじゃないか」みたいなことはいろいろなタイミングで考えましたね。

 もちろん事象を報道するストレートニュースの機能はまったく衰えない、どころかますます重要になってきています。また、大きな予算をかけた調査報道としての機能も必要です。一方で、オピニオン、分析を行なう場は多くのメディアに開かれており、そういう機能はすでに多くのマスではないメディアに分散されており、今後もそうなるのでしょうね。。。


P113
(中略)プロというのは、事情が違う。問題の構造がわかって、「その問題を自分が評論すること」とは一体どういうことか自問し、答えに確信を得ない者はプロになるべきではない。言葉を操ることの怖さ、危うさを自覚していない記者が多すぎる。


 全くであります。この記事を引用している僕自身が、そういう部分で自問し確信を得ているかというと。

 ちなみにこちらの書籍は、ビジネス書です。しかしワールドカップ招致、スポーツナビゲーション発足といった業績を残している広瀬氏の著書、当然ながらスポーツへの言及は多いです。題名みて「自己啓発書か」と思う向きもあるかもしれませんが、一度手にとってみることをお薦めします。

 10年後、仕事で差がつく戦略思考