試合直前のザッケローニ監督<br>(Photo by Tsutomu KISHIMOTO)

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あけましておめでとうございます。2011年もよろしくお願いします。

新春第一弾は、アジアカップの現場から。カタールはドーハからの更新です。

ドーハと言えばドーハの悲劇。あれから17年が経過したが、当時の記憶は鮮明だ。昨日のことのように覚えている。ドーハのラマダホテルに20日間以上滞在し、取材仲間とアーだコーだ議論した思い出は。

日本はそこでアジア3位に終わり、アメリカW杯出場を逃した。多くの人が悲しみに明け暮れる中で、あまのじゃくな僕は、「日本大健闘」なる原稿を書いた。例によって、読者から激しい非難を浴びたわけだが、いまでもその見識は間違っていないと自負している。あれは悲劇ではない。よくやったのだ。当時の日本代表のレベル以上の結果を残したのだから。

いまとなっては、どうでもいい話なのだけれど、アジアナンバーワンの座を懸けて戦うアジアカップの取材で、そのドーハを訪れると、ついどうでもいい話に触れたくなる。日本の代表のレベルは17年前から飛躍的に進歩した。しかし、今回のアジアカップで3位になれる保証はどこにもない。優勝すれば大喜びできるポジションにいる。「大健闘」「よくやった」に、間違いはなかったと言いたくなってしまうのだ。

とはいえ、ドーハの町そのものは大きく変わった。17年前の面影はもはやほとんど抱けない。近代的なビルがバンバン建ち、摩天楼を形成するまでになっている。最後に訪れたのは2年前だが、当時と比較してもビックリするほど変わっている。バブルに匂いがぷんぷんする。このまま2022年のワールドカップまで突っ走りそうな勢いを感じる。

そんな中で、日本代表はヨルダンと初戦を戦い1−1で引き分けた。「大健闘」「よくやった」と言うつもりはないが、それほど悲観もしていない。むしろ、後ろを固めてカウンターの作戦を取ったヨルダンに、哀れな目を向けたくなる。もっと志の高いサッカーやろうぜ! もっと攻撃的なサッカーで、日本をこらしめて見せろよ! と、反省を促すというか、喝を入れたくなる。共感する気持ち、健闘を称える気持ちにはまるでなれずにいる。

引いて守るも作戦の一つかもしれないが、それを実行した瞬間、試合の噛み合わせは著しく悪くなる。普通ではない特殊な試合になる。格上と対戦するとき、いつでもその姿勢でいると、チーム力は上がらない。サッカーは良い方向に進歩しない。エンタメ性も向上しない。

その考え方は古いとは、サッカーの歴史を見れば一目瞭然となる事実なのだ。しっかりしろ、ヨルダン! これがアジアは初戦を見た一番の感想。

というわけで、採点です。

GK(1)川島 5.5 採点なしでも良かったぐらい。プレイ機会は限りなく少なかった。