9月初旬の日本代表2試合が、原博実監督代行の指揮で行われることになった。岡田監督の後任探しが再出発に間に合わなかったことで、不手際だという論調が目立つ。だが今までのように、分析や反省もそこそこに会長の鶴の一声で決められることに比べれば、最善を追求しようという姿勢は評価できる。
 
原技術委員長は、従来のような妥協を嫌った。Jクラブが連れてきた無難な人物に託すのではなく、自分が描く理想に近いサッカーを実現し、欧州で経験を持つ監督にアプローチをした。まず技術委員長が日本のサッカーをどういう方向に進ませたいかというビジョンを持つ。そこが大切だと思う。
 
川淵元会長は、非常に限られた情報の中での思いつきで代表監督を決めてきた。結果的にジーコは失敗し、オシムはそれなりの評価を得たが、そのオシムにしても、千葉からの引き抜きで、オシム在任中にはタイトル争いを演じていたチームが現在はJ2に降格している。
 
一方原委員長は、現職に就く前から自腹を切ってでも貪欲に欧州シーンを見てきた。過去に欧州チャンピオンズリーグのベンフィカ対セルティック戦でバッタリと出くわしたことがある。その翌日にヴィーゴでセルタが試合をする。ヴィーゴはスペインでもポルトガルとの国境沿いにあるのだが、電車の便は悪いし、飛行機では繋げないので僕は観戦を諦めたが、原委員長はバスを乗り継いでセルタの試合を見ている。そして当時1部で旋風を巻き起こしているセルタを率いていたのが、ヴィトール・フェルナンデスだった。
 
少なくとも原委員長は積極的に多くの試合を視察してきた。その上で、こういうサッカーをする監督に託したいというイメージがある。そういう人が代表監督を決めようとすること自体は、会長の独断だった頃と比べれば大きな進歩だ。また世界の潮流を見極めた上で人選に入るというプロセスも、過去の拙速に比べれば前進と言える。
 
裏を返せば、今まで日本協会には、自らポリシーを明確にし、広く海外から候補者をリストアップし精選するという蓄積がなかった。従って確かに手際の悪さは否定できない。原委員長は純粋な思いそのままにチャレンジしているので、逆に交渉のプロが介入していない。また今日世界の潮流を見極めるのにW杯まで待つ必要はない。実際に今まで候補者として名前が挙がってきた監督も、W杯での仕事ぶりを確認する必要のない人たちだった。W杯での日本代表の戦いぶりを分析し、今後の対策を練るのは重要だが、監督の人選はそれを待たなくても良かった。
 
ただし新しい一歩を踏み出したことで、それをたたき台として今後の反省材料は出来た。より優れた監督を招聘するには、日常から候補者たちの家庭環境、状況や心情などを逐一把握しておく必要がある。そして監督側には、必ず代理人がいるわけだから、その代理人と虚虚実実の駆け引きが出来るような人材は用意しておくべきだろう。
代行監督が指揮をするのはいい。しかし、代行監督が次期監督候補者との交渉を続けるというのは無理がある。(了)