3年前にシリアで行方不明となっていたジャーナリストの安田純平さん(写真左)が解放された(写真:ロイター)

内戦下のシリアに2015年6月、トルコ南部から陸路で密入国し、武装勢力に拘束されていたとされるフリージャーナリスト安田純平さん(44)が解放された。今のタイミングで解放につながったのは、シリア内戦が最終局面に至っているという現地情勢と、水面下で続けられてきた解放への外交努力の存在だ。

安田さんは、イスラム過激派組織「シリア解放機構」(旧ヌスラ戦線)に拘束されていたとみられ、テロ組織と交渉しないという日本政府の高官は「身代金の支払いはない」と主張した。だが、日本政府は、過激派を支援してパイプを持つカタール政府やトルコ政府に仲介を求めており、カタール政府が身代金を支払ったとの情報もある。

内戦は最終局面

2011年の「アラブの春」をきっかけに始まったシリア内戦は、ロシアやイランの軍事支援を受けたアサド政権が首都ダマスカス周辺や南部、ホムスなどの中部から反体制派を相次いで駆逐し、最終局面に入っている。

反体制派はシリア政府との合意に基づいて、北西部イドリブ県に退去した。イドリブ県には、1万〜1万5000人の反体制派武装勢力が存在するほか、周辺から避難してきたり、武装勢力の家族が逃れてきたりして人口は約300万人に膨れ上がっている。

内戦を勝利でもって終結させたいアサド政権は、イドリブ県に対する総攻撃を準備し、反体制派を最終的に壊滅させる考えだ。すでに約350万人に達する難民を抱えるトルコとしては、総攻撃が実施されれば、さらに難民がトルコ国内に押し寄せかねいと警戒。

また、反体制派を庇護してきたことから、見捨てるわけにも行かず、アサド政権の後ろ盾であるロシアとの間で9月、イドリブ県でアサド政権と反体制派の双方の支配地域が接する境界線沿いの幅15〜20キロに、非武装地帯を設置することで合意した。

安田さんはイドリブ県で拘束されており、こうした情勢が影響を与えたことは間違いない。現地情勢に詳しい関係者によると、安田さんはシリア入国後間もなく、ヌスラ戦線とは異なる別の武装組織に拘束され、シリア解放機構に移ったという。今年7月に動画がネット上に投稿された際には、シリア解放機構から分派した、より過激な組織に身柄が渡ったのではないかとの見方も出ていたが、依然としてイドリブ県で拘束されていた。

幸いだったのは、過激派組織「イスラム国」(IS)に身柄が渡らなかったことだ。ジャーナリストや援助関係者を標的とした人質ビジネスが内戦の激化とともに活発化したシリアでは、人質が武装組織の間で転売されて価格がつり上がることが多く、武装組織や犯罪集団がISに人質を売り渡すこともしばしば起きていた。ISは、西側政府を外交的に揺さぶったり、恐怖を与えたりするために後藤健二さんら多くの人質を殺害してきた。

一方、シリア解放機構などほかのイスラム過激派は、軍資金を得るための手段として人質ビジネスに手を染めており、1人当たり数億円から30億円程度の身代金交渉が行われてきた。筆者が2013年にシリア内戦を取材した際に接触したイスラム過激派たちは、イスラムによる統治を求め、ISに見られるような残虐性を見せることは少なかったが、この頃から身代金目当ての外国人誘拐が活発化した。

最後はカタールが金を出して決着

シリア内戦が最終局面を迎える中、イドリブ県に集結する武装勢力に未来はない。一部は最後まで抵抗を続けるだろうが、大半は武装解除を迫られ、シリア政府と取引可能な者は一般市民に戻ったり、海外での亡命生活を選んだりする選択肢しか残されていない。

イドリブ県には、外国人戦闘員も多く加わっているとみられ、出身国の欧州やアラブ諸国に帰還した戦闘員によるテロが起きることも懸念されている。こうした中、安田さんの身柄を確保していた武装勢力にとっては、拘束を続けることが重荷になっていたはずであり、身代金の額を下げて「換金」を急いでいたという事情がありそうだ。
 
そもそも、安田さんはなぜ解放に至るまで3年以上の時間を要したのだろうか。安田さんが拘束された、ほぼ同じ時期の2015年7月にスペイン人ジャーナリスト3人がヌスラ戦線に拘束され、カタールとトルコ政府の仲介で2016年5月に解放されている。

この際は1人当たり約4億円をスペイン政府が支払ったようだ。これに対し、日本政府は一貫してテロ組織との身代金交渉を否定し、政府関係者によれば、実際に金額をめぐる交渉は政府レベルでは行われなかった。最後は、カタールが金を出すことで決着した形だ。

シリアをめぐる日本人人質事件では、2015年に湯川遥菜さんと後藤健二さんがISに殺害されている。その際、日本政府はIS掃討作戦に加わるヨルダンに現地対策本部を置いた。この判断に対して、一部の中東専門家からは、ISにパイプを持つトルコに設置すべきだったとの批判も上がった。安田さんの拘束事件では、イスラム過激派に影響力を持つカタールやトルコに当初から仲介を水面下で要請したことが奏功した。

カタールがなぜ、こうした役回りを担うのか。カタールは、自国民がわずか約30万人の小国だ。地域大国サウジアラビアに接し、外交的には「属国」の地位に甘んじかねない。だが、群雄割拠の中東地域で逆張りの外交を展開することで、その国力を凌駕する存在感を示してきた。

1996年に開局した衛星テレビ局アルジャジーラはカタール首長家の出資を受け、今では中東地域のみならず、イスラム世界で最も影響力を持つメディアである。アルジャジーラが後押しした「アラブの春」では、カタールは民衆側に立ち、草の根の支持を持つイスラム主義組織、ムスリム同胞団を援護した。こうした構図は、シリア内戦でも変わらない。カタールはシリアの同胞団にとどまらず、アサド政権に銃口を向けた反体制派のスポンサー役となり、資金や物資を送り続けた。

安倍首相も水面下で協力を要請

こうしたカタールの独自外交を目障りに思ったのがサウジである。絶対王制のサウジは、「アラブの春」の名の下に民主化が進み、選挙が行われては石油資源を意のままに使える絶大な権力を維持できない。同胞団を「テロ組織」に指定し、それを支援するカタールを「テロ支援だ」と非難して2017年6月、アラブ首長国連邦(UAE)やバーレーン、エジプトとともに断交、カタールを兵糧攻めにした。

安田さんの解放は、シリア内戦が最終局面に向かうという現地情勢が大きいが、もう1つには、中東で外交的に孤立するカタールが積極的に動いたことも要因だろう。安倍晋三首相は、カタールのタミム首長やトルコのエルドアン大統領との首脳会談の際、安田さん解放への協力を水面下で要請しており、解放によって日本政府はカタールやトルコに借りをつくる形となった。

カタールと敵対するサウジは目下、トルコ・イスタンブールを舞台にした暗殺疑惑で大揺れだ。サウジ人著名ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏を、実権を握るムハンマド皇太子が主導して暗殺したのではないかとの疑惑の目が向けられ、国際社会の批判にさらされている。

カタールは、サウジが暗殺疑惑で国際的に窮地に立つ中、日本政府に外交的な支援を期待するとともに、ジャーナリストの解放という人道問題に尽力したことを世界にアピールして外交的な苦境を緩和したいとの狙いもあったとみられる。