今日はいよいよクリスマス。カメラとひとり旅をこよなく愛する編集者兼ライターの宇佐美里圭(うさみ・りか)さんのフォトエッセイ、今回はスペインで味わったバスクのクリスマス。どんな一夜を過ごしたのでしょう?

マドリッドのイルミネーションを満喫した後に

クリスマスです。こういう“しあわせでいるべき日”というのは、平静を装いつつも、やっぱりちょっとプレッシャー。「私はクリスチャンじゃないから、キリストの生誕なんて祝わない!」と思ったところで、街はキラキラしてるし、みんななんだか楽しそうだし……。ケッ!と思いつつも、あわよくば便乗する気満々だったりします(笑)。

さて、ふだんやや斜め目線の私も思いっきり楽しんだのが、数年前、スペインで過ごしたクリスマス。ヨーロッパの冬は寒くていやですが、クリスマスのイルミネーションはほんとにきれい。街を歩いているだけでワクワクします。

マドリッドのイルミネーションを数日満喫した後、24日からは、スペイン北部のナバーラ州、トゥデラに住む友達の家へ。街をあげてのクリスマスイベントと友達一家の盛大なクリスマス会にお邪魔しました。

24日は、日が暮れると旧市街のあちこちで音楽や歌のコンサートが行われ、“オレンツェロ(Olentzero)”というバスク地方独特の“サンタクロース”をのせた山車が練り歩きます。

このオレンツェロがなんともいえない風貌なのです。黒いバスクの民族衣装に黒いベレー帽をかぶり、大食感で酔っぱらい。どこにでもいる“ただの地味なおっさん”風で、1931年にコカコーラ社が広めたという赤い服を断固として拒否し続けているかのよう。オレンツェロはバスクの山に住む炭焼き職人らしいのですが、クリスマスになると街へ下りてきて、いい子にしていた子どもにはプレゼントを、悪い子には「石炭(に似た飴)」を配るという話です。

このおじさん、山に住む人という設定だからか、本物のヤギや羊の大群も山車と一緒に街をどーっと横断していきます。さすが牛追い祭りの街! 街の人たちも動物の大行進には慣れたもの。

友達(日本人)はコーラスグループに入っていたため、バスクの民族衣装に身を包み、バスク語でクリスマスの歌を歌っていました。

この後、私たちはあちこちの盛り場を転々とし、店に入るたびに乾杯をし続け、夜遅くから家族で豪勢なクリスマスディナーをいただきました。プレゼント交換や歌に踊り……宴は延々と続き、日付が代わってから若い衆はまた街へ。夜が明けるまで遊び、昼過ぎにのこのこ起きると、再び盛大なクリスマスランチ。そしてそのまま夜まで続く宴へ……。

そう、2日間、ほとんどずっと飲んで食べていました。その後、3日間くらいお腹がすかなかったほど。
 
あのときの、友達や友達一家のホスピタリティを思い出すと、今でもとてもあたたかい気持ちになります。額縁に入れたい“ザ・クリスマス”の一夜。

結局、人は死ぬときは何ももっていけません。誰かに残すこと、与えることしかできない。そう考えると、クリスマスや誕生日など、“特別な日”は誰かに何かをあげる絶好のチャンスなのかもしれません。楽しむが勝ち。モノでも時間でも、やっぱり何か記憶に残ることを仕掛けていかなくちゃいけないなあ……なんて割と素直に思ってきた今日この頃です。