世之介が肉体的に交渉した女は3742人、男は725人。新訳『好色一代男 』

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池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》(河出書房新社)の第1期最終回(第12回)配本は、第03巻『好色一代男 雨月物語 通言総籬〔つうげんそうまがき〕 春色梅児誉美〔しゅんしょくうめごよみ〕』。


 この巻の収録作はこちら。
・井原西鶴の浮世草子『好色一代男』(1682。島田雅彦訳)
・上田秋成の読本『雨月物語』(1776。円城塔訳)
・山東京伝の洒落本『通言総籬』(1787。いとうせいこう訳)
・為永春水の人情本『春色梅児誉美』(1833。島本理生訳)

江戸時代の「小説」(という総称は当時はなかったが)の4つのモードから、各1篇ずつ選ばれている。
ざっくり言って、最初の2篇は関西の文学、あとの2篇は江戸の文学だということができる。

遊郭という背景、あるいは好色という美意識


『好色一代男』は、金持ちの家に生まれた主人公・世之介の、性的に放縦な人生を物語る。
世之介の最初の性的体験は7歳。以下、1年につき1挿話(おおむね2-3頁と短い)で、60歳までの54年間を記述している。
ひとつひとつの挿話は独立しているので、1話完結のシリーズアニメを見ているような感じがする。

54という数字は『源氏物語』(本全集第04巻・第05巻・第06巻に角田光代訳が収録予定)の全54帖にちなむという。


じっさい世之介は、『源氏物語』の主人公・光源氏や、それに先立つ『伊勢物語』(本全集の次回配本・第03巻に川上弘美訳が収録予定)の主人公(歌人・在原業平をモデルにしたとされる)と並んで、日本文学の世界ではスペイン文学のドン・フアンに相当するモテ男あるいは漁色家の代名詞となっている。


江戸時代の文学に出てくる色恋沙汰のうちかなりの部分が、遊郭にいるプロの女性との関係だという。世之介の性的遍歴も、素人よりはどうしてもそっちのほうに傾きがちだ。

「井原西鶴先生の次回作にご期待ください」


また江戸時代には衆道(男色、とりわけ少年愛)もよく文学に取り上げられた。
世之介が肉体的に交渉した女は3742人、男は725人と書かれている。合計して54で割ると年間83人弱。週に1-2人の新しい相手とかかわっていることになる。

世之介は60歳で死ぬのではなく、最後は、船に強壮剤や催淫剤や性具をありったけ積み込んで、仲間といっしょに女護(にょご)の島を目指して消息を絶った。目的は〈女のつかみ取り〉である。
『好色一代男』のこの終わりかたは、なんというか、
「俺たちの戦いはこれからだ──!」
「井原西鶴先生の次回作にご期待ください」
「井原西鶴先生の作品が読めるのは大坂・池田屋だけ!」
みたいな感じだ。

もし西鶴がこのあとを書いていたら、その130年前に書かれていたラブレーの《ガルガンチュアとパンタグリュエル》『第四の書』(1552)のような、ユートピアを目指す架空航海記になったことだろう。


『好色一代男』はモテる人が訳すのか?


ちなみに、小説家による『好色一代男』の現代語訳では吉行淳之介訳が有名。
こちらには西鶴自身によるとされる挿絵がふんだんに入っている。

俳諧や小説だけでなく絵も描くとは西鶴も多才な人だ(これは後述の京伝も、生前は俳諧師としてよりは画家として認知されていたという蕪村も同様)。
江戸時代の小説というものは、キャラクターの挿画つきで刊行されたライトノベル的な刊行スタイルだった。
小説(とくに大衆的な作品)のこの刊行事情は19世紀西洋でも見られる。小説が「文字だけ」の表現と思われるようになった歴史は浅い。


ところで吉行淳之介も島田雅彦もモテオーラが炸裂する美男子であり、こういう作品はやっぱりそういう人が訳すのがいいのだろうか。
なんてことを書くと、じゃあミステリ小説の翻訳家は人殺しなのか、という話になってしまって面倒だなおい!

〈パーティピープル〉を活写する18世紀の『なんとなく、クリスタル』


洒落本がしばしばそうであるように、『通言総籬』は登場人物の台詞の応酬で書かれ、控えめな地の文はごく基本的な状況説明と、妙に詳しい衣服・装身具の記述で成り立っている。
映画やアニメのシナリオのようなものだと思えばいい。

眼目はストーリーにはない。むしろ当時の通人・粋人(訳者いとうせいこうによれば〈パーティピープル〉)の生態、また彼らが通い集う場所の風俗を、実況中継式に書きとどめることにある。
仲間うちでの共有情報を前提とした楽屋落ちや、一瞬で忘れ去られるはかないブームを、とにかくバカバカしいほどに盛りこんでいる。

そういうハイコンテクストな作品の題は、現代の通人・いとうせいこうによれば「 最新ワードで描く吉原」ということになる。
この作品を当時の『なんとなく、クリスタル』(河出文庫/Kindle)であるとみなしたいとうさんは、田中康夫ばりに、本文に匹敵しそうな量の註をつける。


読者は、註という副音声に導かれて、130年前の東京プレイスポットを仮想体験することができる。

ハーレム展開のケータイ小説


『春色梅児誉美』は、不遇な色男の代名詞・丹次郎と複数の女性キャラとの同時多発恋愛というハーレム展開をたて糸に、登場人物たちの出生の秘密をよこ糸にした物語だ。
最後は、高貴な生まれの者はすべて素性が判明し、悪い奴は捕まったり死んだりしてハッピーエンド。ご都合主義もここまでくると新鮮だ。
ハッピーエンドなら恋する男女も結ばれるわけで、しかし主役に恋する女のうちふたりが正妻と側室におさまってめでたしめでたしというポリガミーなのだ。

本作は前回配本の町田康抄訳『宇治拾遺物語』(レヴューはこちら)以上に大胆な翻訳となっている。
日本では近代以前の虚構物語作品は、基本的に三人称で書かれている。この作品もそう。
 で、この作品を島本理生さんは、各場面ごとに、それぞれの中心人物の一人称の語りにした。この荒業は、現代語訳というよりもはや翻案に近いアレンジメントだ。

また、丹次郎が〈さんきゅ〉とか言ってしまうのも、少女漫画誌のゲスい漫画みたいな説得力がある(説得ってなにを?)。
などと言っていたら、酒井美羽によってすでに漫画化されていたのか。


そう考えると、短いページ数のなかでどんどん大事件が起こるのも、10年前にはやったケータイ小説を思わせておもしろい。

格調高いホラー短篇集


『雨月物語』は、中国の伝奇や日本の能といった先行作品をリメイクした短篇集で、9篇が収録されている。
原文に忠実なものから創作に近いものまで、数多くの現代語訳や再話(リメイク)があり、小説家によるものだけでも石川淳、円地文子、後藤明生、大庭みな子、岩井志麻子などの訳・リライトが存在する。


僕は後藤明生によるユルユルな翻訳(同じ秋成の『春雨物語』[1808]からの2篇も併録)を愛読していたが、今回の円城訳はもっと原文に沿っている。上品でクールな切れ味抜群の日本語で、もうこの訳が決定版でいいんじゃないだろうか。

近代小説を先取りしてしまった技法


円城さんが訳者あとがきで述べているとおり、冒頭の1篇「白峰」の視点人物の提示法はきわめて特異だ。僕の意見では近代以前においては世界でも例外的な、「3人称フィクションの視点人物を内側から提示するオープニング」なのだ。

このようなオープニングは西洋では19世紀にならないと出てこない。しかも日本語は動詞の人称変化がないので、「白峰」原文だと1人称だと思って途中まで読んでしまう可能性が高い。おまけにその主人公の素性が判明してみると、じつは西行という歴史上の著名人だったというあたりも、モダンな書きぶりだ。

「吉備津の釜」という本格ホラーも怖い。『牡丹燈籠』や「耳なし芳一」同様のパターンだが、ラストの記述が視覚に訴えるシュールな描写でぜったいに忘れられない。
江戸時代や明治時代の小説の視点操作の水準を考えたとき、秋成の視点操作のモダンさは現代を先取りしていて、歴史のなかで孤絶したかのようなモダンさがある。

メディアミックス多数


『雨月物語』は大好きだが、じっさいに人気作品のようだ。水木しげる、木原敏江、小野塚カホリによって漫画化されている。溝口健二による映画化もある。


太宰治の「魚服記」(『晩年』、『太宰治全集』1所収)も、『雨月物語』中の「夢応の鯉魚」のリブート作品だ。


これにて本全集全30巻のうち、第1期12巻が完結。1年間続いてきたこの全巻レヴューも1か月お休みをいただくことになる。
次回は第2期第1回配本、第03巻『竹取物語 伊勢物語 堤中納言物語 土左日記 更級日記』(『土佐日記』は古くは『土左日記』とも表記したとのこと)で会いましょう。


(千野帽子)